逆さの

連載第1回: あたしたちは勉強ができない

アバター画像杜 昌彦, 2022年08月17日

携帯がまだふたつ折りだった頃の話だ。生まれる前に噂された世界の終わりは来なかったけれど、ツインタワーはまだあった。津波で原発が吹き飛ぶなんて多くのひとは想像もしていなかった。梅雨が長びいた年で、降りそうで降らない雲が垂れ込めて夏を喰い潰した。これから話す物語はいまの若い子にはちょっと信じられないかもしれない。当事者のあたしたちにだって意味不明だったし、これまでだれに話しても信じてもらえたためしがない。どういうわけかその年、十七歳前後の凶悪犯が世間を騒がせる事件がつづいて、ただその歳だというだけで肩身の狭い思いをしなければならなくなった。テレビも新聞も連日のように十七歳を犯罪予備軍として報じた。若者向けのドラマでさえ視聴者である十七歳を悪者扱いした。聖書の時間には「同級生が事件を起こしたら」という題の作文を書かされたし、バスや電車では大人たちにおかしな目で見られた。実際には彼らが子どもだった頃のほうが少年犯罪は多くて残酷だったにもかかわらずだ。
 あなたのきょうがあたしのきのうと違うように、だれにだってそれぞれの十七歳がある。マスコミがどう語ろうと十七歳のあたしはトーストを咥えて遅刻、遅刻と叫びながら朝の通学路を走ったりはしなかった。ものを咥えて叫ぶ芸当が物理的に不可能であったばかりか、ひどい二日酔いで頭痛がしていたからだ。それに幸田の部屋に食料は乾き物しかなかった。角でぶつかった男にしてもある意味、運命の相手とも言えたけれども王子様などでは決してなかった。後でがっかりさせないよう断っておくとこれは恋愛物語なんかじゃない。しいていえば家族再生の物語だ。アル中の女の子がまず友だちを、最後にはまともな家族を得るお伽噺だ。現実の結末にはつづきがあって、義理の両親に子どもが生まれて居づらくなり結局は家を出るはめになったり、鬱病になった友だちを養わなきゃいけなくなったりするのだけれど、それはまた別の話だ。とにかくそれは平日の朝であたしは十七歳で二日酔いで、そして遅刻が迫っていた。
 いくら夜の仕事をしていても分別のある大人なら仕事前にあんなに飲んだりはしない。そういう同僚は大抵すぐに無断欠勤が増えて姿を消す。彼女たちがどこへ行くのかは知らない。十七歳のあたしたちに分別はなかった。脱衣所すらない六畳一間のアパートで、男たちの屍体をまたいで服を脱いだあたしは、浴室の扉を開けながら振り返った。カーテンから洩れる朝日で部屋の惨状が見てとれた。積み重ねて崩れたCDやら文庫本やらエロ本やら、中身のこぼれた空き缶やら空き瓶やら、汚れた靴下やら使い込まれた辞書やらで足の踏み場もない。春ちゃんの掃除スキルをもってしても一週間でこのありさまだ。
 大の字になって鼾をかいている男が幸田滋。交通事故で若死にした役者の愛用で知られるデニム上下にマイブラ『ラヴレス』の黒Tシャツ。ジョニー・ロットン風の逆立った短髪は、二十年後にジョン・ライドンみたいな愉快なおじさんになることこそなかったけれども、グレッチのギターを抱えた当時の写真を見たら、だれだってはぁん、そういう子ね、同じクラスにいたわそういう子、とわけ知り顔で肯くだろう。ちょっと違うのはこいつの場合それで実際に喰べていたことだ、稼ぎの大半は酒に消えていたのではと思うけれど。仕事道具も親におねだりしたのではなくちゃんと働いて手に入れたらしい。学習机の写真立てには坊主頭の小学生が父親に寄り添って笑っていた。あのかわいい子がこんなだらしない男に育つなんてとよく思ったものだ。
 色黒の幸田とは対照的に、色白で痩せているのにぽちゃぽちゃして見える小柄な子が鈴木春雄。猫みたいに丸まって、真っ赤になって寝息をたてている。幸田とは逆の理由でとても高校生には見えない。日曜のマイホームパパみたいなポロシャツとチノパンはお母さんがダイエーで買ってきたものだ。そのダイエーもイオンになったいまではあんな服はもう手に入らない。昭和三十年代のお坊ちゃんみたいな髪型は、当時ですらどこの床屋のしわざか知りたくなった。お母さんではなく当時増えはじめていた千円カットだと聞かされて拍子抜けしたのを憶えている。こんな子がどうして幸田みたいな悪童とつるむようになったのか。後から加わったあたしが妬ましくなるくらいふたりは仲がよかった。
 熱い湯に打たれながら、というのは二日酔いを追い払うためばかりではなく、ガス釜が古すぎて湯温がうまく調整できなかったからだけれど、あたしは昨夜のラジオをぼんやり思い返していた。スポティファイどころかユーチューブすら存在しない時代で、なんならハードディスク内蔵型のごついiPodさえ発売前だったから、幸田は古いラジカセを使っていた。カセットテープが再生できるやつだ。気取った店に置いてある骨董品ではなく当時はまだそれがぎりぎり現役だった。いまみたいに新譜がテープでも発売されるなんてことは記憶のかぎりではなかったはず。幸田はそれでCDを聴いたり、ラジオや自作のデモ曲を録音していたのだと思う。思う、というのは毎晩のように飲んでいながらのちに一緒に暮らすようになるまで彼のことをよく知らなかったからだ。
 酒のにおいを泡とともに洗い流しながら思い返していたのは、男たちが潰れたあとに流れた放送終了まぎわのニュースだった。同世代なら憶えているかもしれないけれど、混雑した駅で中高年や老人が、駅員や若者に暴力をふるうのをその頃しばしば目にした。大人たちはその逆のニュースを期待したから報じられるのは稀だった。駅では自殺もあったし、混雑に白線から押し出されての転落もあった。JRや市営地下鉄がゲートを設置するのは数年後だ。犠牲者のほとんどは若者だった。大人たちはバブルの夢を忘れきれなくて、広がる格差を長びく不況のせいに、長びく不況を若者の怠惰のせいにしていた。ふだんは聞き流すニュースを反芻したのは、同級生が目撃した転落事故だったからだ。
 いまでこそ同僚の自殺騒ぎとか、男に暴力をふるわれて欠勤とかいった話にいちいち驚かなくなったけれど、死、それも事故死や殺人ということは当時それほど身近に感じていなかった。被害者は市内の工業高校の男子生徒で同い年だった。ユカからはそこまで聞いていなかった。二十分遅刻しただけで平然としていた彼女もタフだし、あたしもたいがい非常識だったけれど、ひとが目の前で死ぬのを見て、飛んできたものが当たったりかかったりしかねなかった女の子に、あれこれ問い詰めて思い出させるほどあたしは無神経ではなかった。
 かといって、それがどれほどつらいか思いやれるほど大人だったかどうかは怪しい。あたしは他人に関心がなかった。関わりに価値を見出すほど成長していなかったのだ。ユカは学校で唯一あたしに口をきいてくれる変人で、親友とさえ呼べたはずなのに、その彼女に対してさえもそうだった。あれだけ一緒にいながら幸田や春ちゃんのことを何ひとつ知らなかったのも同じだ。社会生活はどちらかといえば煩わしい義務のように感じていた。自分自身のことさえどうでもよかった。一度しかない青春のひとときを悔いのないように生きようなんて考えたことはなかった。勉強は規則のようなものだと思っていたから落第しない程度にやっていたし、進学校ゆえ強制されないのをいいことに部活には所属しなかった。汗や挑戦に価値を見出す同級生たちを、大人に強制されたことをなんの疑いもなく受け入れているだけだと思って眺めていた。春ちゃんが何を信じていたかは知らないけれど、少なくとも幸田はそうした価値を信じていて、事件に奪われるまでは一歩ずつ着実に夢を叶えていた。その純粋さを幼く感じるほどあたしは幼かったということだ。
 あたしは小学校の同級生男子からラーメン頭と呼ばれたほどの縮毛だった。念入りにヘアアイロンを当てなければ教師に目をつけられるのはわかっていたけれど、ふたりと知り合ってから毎朝のように遅刻寸前で、ドライヤーさえ碌に使っていなかった。タオルを巻きつけて浴室を出ると男たちがまだ死んでいるのを確かめた。幸田の鼾にも春ちゃんの寝息にも変化はない。その朝にかぎって妙な感じ方をしたのを憶えている。ふたりとも自分が産んだ子どもであるかのように幼く傷つきやすい生き物に見えたのだ。彼らが市内有数の進学校の生徒であることは何かのまちがいのように感じていた。彼らが遅刻しようが単位を落とそうが自業自得だ、知ったことではない。下着と制服を身につけて靴下を穿き、通学鞄をつかんで部屋を出た。コンビニのビニール傘は玄関に立てかけたままにして赤く錆びた階段を駆け下りた。
 三人で飲むことこそなくなったもののあたしたちはそのままだめな大人になった。ニュースや新聞に出た顔を卒業アルバムと見較べたら春ちゃんだけは激変したと思うかもしれない。でも二十年後の彼はすでに種子として宿っていて外へ出る機会を狙っていただけなのだ。お母さんや妹を大切にする小柄で弱くて優しい子、という先入観から見過ごしていただけで、いま思えば前兆らしき瞬間がいくらでもあった。あたしと幸田のその後にしてもこの朝すでに暗示されていたように思う。ひとが遺伝や環境にどれだけ抗えるか怪しいものだ。
 胃のむかつきをこらえながら満員の地下鉄から吐き出され、押し流されるように地上へ出て並木道を駆けだした。鉛の詰まったような頭に振動が響く。快晴なら陽射しで吐いていたかもしれない。水たまりを避けて走った。ストラップ代わりの鎖がついた携帯の時刻表示を睨みながら文具屋の前を過ぎる。この店の主人は変わり者で有名だった。意味があるようでない標語をへたくそな筆書きで毎日ショーウィンドウに貼り出していた。引退したときには地方紙に記事が出た。息子夫婦があとを継いだはずだけれども気づいたら店はなくなっていた。画材屋と楽器屋の角で起きたことを思えばその朝の標語は気に留めるべきだった。「注意一秒、怪我一生」と大書されていたのだ。大人になって走る機会がなくなったのでいまがどうかは知らないけれど、体育の時間にユカから指摘されたところによれば、当時のあたしの走り方は異様だったようだ。
 弾丸のように突進してきた、とのちに義父は述懐した。
 知らなかっただけであたしと彼との関係はその朝より前にはじまっていた。十字路での交錯が互いの人生を変えたなどと語ることはできない。それでも印象的な初対面であったのは確かだ。排ガスと雨上がりの埃っぽい臭いや曖昧な色の空、通り過ぎるバスの音、間の抜けた悲鳴をいまもまざまざと思い出す。十七歳のあたしは二日酔いの朝であってさえもどこまででも走れた。紙束を載せた棚のようなものを突き飛ばしたのだとそのときは思った。巨大な花びらのように舞い散る書類のなかを駆け抜けた。何か別世界へ抜けるトンネルのように感じた。水たまりに尻餅をつく男が視界の隅をよぎり、靴が何かを踏み割った。メガネのレンズだったことは後で知った。あれだけ背の高い男がどれだけ痩せていたのかといまだに奇妙に思う。立ち止まったり振り返ったりする余裕はなかった。狭い敷地に詰め込まれた煉瓦色の建物に向かって疾走した。
 緑色のネットに囲まれた運動場は、風が吹けば砂埃を街中に撒き散らすので悪名高く、花粉や黄砂と並び称されるほどで、数年後には青葉学院に移転を余儀なくさせるのだけれど、この朝は黒い泥のプールのようだった。ださい制服の女子生徒の列が、無声映画『メトロポリス』のうなだれた労働者さながらに礼拝堂へ吸い込まれるのが見えた。この建物は先代の学長が見本だけで煉瓦色と早とちりして決めた毒々しいピンク色に塗られていて、プロテスタントの中高一貫女子校というよりも形状といい色といいラブホテルにしか見えず、あるいはそのことも移転を早めたかもしれない。いまでは跡地に三十七階建ての高層ビルが建っていて、母校は共学化を拒んだ代償に、ゴミ処理場とホームセンターしかないような郊外の田んぼのまん中へ移って偏差値が急落した。しかしそうなるのはまだ先で、この朝にはご同輩が数名「働けば自由になる」の標語が掲げられていそうな校門へ駆け込んでいった。生活指導の体育教師が、名簿を手にした生徒会役員をふたり従えて腕組みにして仁王立ちしていた。中等部と高等部の役員はどちらも眠たげでうんざりした顔をしていた。だれだって朝から取り締まりなんてしたくない。教師は蠅を追うように「見逃してやる」の身振りをした。会釈して通過した。
 ロッカー室はいつも薄暗く、じめじめして独特の臭いがした。靴を履き替え鞄を押し込め、聖書と賛美歌集をひっつかんだ。二階の廊下は制服だらけでますます無声映画の群衆のようだった。節電で蛍光灯が消えているのでますます陰鬱だった。違うのは二日酔いの頭に響くおしゃべりの洪水だ。芸能や同級生の噂話、ドラマの感想、予習をしたとかしないとか。聞くだけでニキビの出そうな恋愛話まで、朝からようやるわと思えるほど四方八方で囁かれている。開け放たれた分厚い扉を中等部に紛れてくぐった。パキケファロサウルスを思わせる禿の倫理教師が将棋倒しを警戒していた。縦に細長い窓は黒い遮光カーテンでふさがれ、砂色の壁に掲げられた十字架がほのかな照明に浮かび上がっている。外は膚寒いくらいだったのに、礼拝堂はシャンプーや化粧や香水の臭いが、ホルモン過剰な体臭と入り混じってむっと立ち籠め、蒸し暑かった。音楽教師の湯川が怒ったように演奏するオルガンと、反響する私語のわーんという持続音が頭蓋に響く。酸っぱい唾を呑み込み、こみあげる吐き気から懸命に意識をそらした。木製ベンチの間の坂を下って五年G組の区画にたどり着いた。鐘が鳴った。
「おはよ聡美、今朝もセーフだね」
 ユカが席を詰めてくれた。坊主頭寸前の短髪、切れ長の目、透き通るように白い肌。簡素なピアスのほかには化粧っ気ひとつないのに海外で活躍するファッションモデルさながらに特別に見える。そう、「特別」というのが当時の彼女にふさわしい言葉だった。インスタやフェイスブックで窺い知る彼女の日常はいまでも輝いている。あたしにはどんな仕事だか想像もつかないカタカナの職業で、企業の顧問のようなことをやって海外を飛びまわっているらしい。あたしとの共通点はいまだ未婚ということだけだ。大人びた美しさは本当の大人になってより洗練され、狭い木製ベンチでくっついて無駄話を交わした二十年前の朝が嘘のようだ。しかしそんな彼女にでさえ十七歳のあの朝にはいまは喪われた魅力があったように思う。可能性のまま潰える「その他大勢」のあたしたちと違って、いずれ実現することを知ってはいても、あたしたちと同じく将来はまだ種子にすぎず、あまたの道が輝きに満ちていたからだろう。いま思えばあの幸田にでさえ、前の晩に飲んで笑っていたときにはその輝きがあった。
 重い扉が閉ざされる前に四、五名が駆け込んで倫理教師に小言をいわれた。その儀式にすら間に合わなければ教室でひとり同級生の帰りを待つはめになる。いま思えば不思議なことにあたしは遅刻したことも礼拝から締め出されたこともなかった。その朝もぎりぎりに滑り込み、生理ではない理由で青ざめて気息奄々、隣にはモデルのようなクールな美少女がいて、礼拝堂は制服の生徒に埋め尽くされ、汗と皮脂と化粧の臭いが充満し、オルガンや反響するお喋りが二日酔いの頭を痛めつけていた。普段と違うのは同じ囁きがやたら耳につくことだ。KとZが頻出し、それを修飾するかのように歯擦音が何度か加わる。KZ、SS。柿沢がどうかしたのとあたしは訊いた。死んだらしいよ心臓破裂で、と言ってからユカは眉をひそめ、また酒臭いよと教えてくれた。柿沢が心臓破裂で死んだ。KZSS。ははっ。十七歳のあたしは教師の死をおかしい冗談のように感じて笑った。なぜか少し元気が恢復した。あたしは制服のポケットから口臭消しを出してスプレーした。
「破裂はないわ。ソースだれよ」
「佐倉。過労だって」
「当てになんないよあの情報魔」
 ふっと音楽がやみ、頭蓋に加わっていた圧力が消えた。ハム音のようなお喋りの反響も薄れて消えた。宗教主任のイデグチがいつものように壇上で私語をたしなめ、礼拝の開始と賛美歌の番号を告げた。オルガンと不揃いな歌声がさっきよりひどい圧力をかけてきた。まじめに歌わなくてもたまにそれっぽく唸れば、反響が補い合って全生徒が歌っているかに聞こえる。出世のために洗礼を受けた何人かの教師と合唱部の生徒だけが熱心に歌っていた。宗教のようで気持悪いと感じ、宗教だったとすぐに気づいた。
「あいつもやりすぎだったよね。講習とか補習とか」
「競争力のない私学は淘汰されるからね。必死なのよ」
 賛美歌が終わって着席の振動がどかどか響いた。全校生徒の尻の重みと衝撃で床が抜けるのではないかとあの頃はよく畏れたものだ。礼拝堂は築半世紀は経っていて、強制収容所へ行進させられる囚人のような毎朝の移動のたびに地震さながらに揺れた。大震災前に移転していなければまちがいなく倒壊していたと信じている。あたしは聖書の適当な場所をひらいた。この人は人々が殺そうと思っている者ではないかとイデグチは朗読した。見よ、彼は公然と語っているのに、人々はこれに対して何も言わない。
 あたしは一限目の教科を思い出した。「現国は自習?」
「代わりが来るでしょ。小論の講習もあるし」
 宗教主任イデグチはしかつめらしい顔で説教した。「最近の若者のモラルの乱れには嘆かわしいものがあります。我が校にはそんな生徒はいないと信じますが、ところ構わず携帯を使う。髪を染めたりピアスをしたり、ご両親に授かった体を傷つける。テレビやゲームの影響で、現実と虚構の区別がつかなくなり、生命を尊ぶ心を……」当時の大人たちはみんな本気でこういうことを言っていた。流行だった。テレビの影響で現実が見えなくなり、生命を尊ぶ心をなくしたのだろう。イデグチはいまや全生徒が知っている柿沢の死にひとことも触れなかった。福音書との関係すらよくわからなかった。
 だれかが啜り泣いていた。生命の大切さに感銘を受けたのだろう。
 ラジオで青工生のニュース聞いたよとあたしは言った。「睡眠不足による不注意だって」
「突き落とされたのよ。見てた人もいるはずなのに」とユカはあっさり言った。「大人たちを押しのけて緊急停止のボタンを押したけど手遅れだった。犯人は見えなかった。あれってすぐには死ねないみたいね」
 紙吹雪とクラクションが脳裏をよぎった。「警察には話さないの」
 相手にされないよとユカは言った。あたしは肯いた。中学のとき勇気を振り絞って警察署に出向き、父のことを相談した。はじめは笑われ、それから説教され、しまいにはいい加減にしなさいと怒られた。飯沢警部に出逢うまで警察にいい印象はなかった。
「私たちはともすれば親を敬う心を忘れ」と宗教主任は祈った。「悪魔の道へ身を落としてしまいます。無知な私たちを誘惑からお守りください。アーメン」生徒と教職員が機械のようにアーメンを復唱した。「頌栄」とイデグチが起立を促し、再びオルガンが鳴った。全生徒の尻が持ち上がる振動も二日酔いの頭にはこたえる。あたしはうんざりしながら立ち上がった。どうしたらユカのようにいつも冷静でいられるのだろう。
 礼拝堂から押し流されながら吐き気をこらえた。ロッカー室で鞄を回収し教室へ向かった。二日酔いは治まりつつあったが佐倉が耐えがたかった。衛星アンテナみたいな耳は伊達ではない。他人の噂を吹聴して話題の中心になろうとする目立ちたがりで、メガネの奥の目を光らせて熱弁をふるった。仲間が群がって盛り上がるからますます調子に乗る。いわく柿沢の代わりは背が高くて痩せた若い男だそうだ。職員室に入る一瞬を廊下の端から見たらしい。独身との情報も入手したと彼女は得意げに語った。ユカはあたしの隣席でニヤついていた。女子校なのにどういうわけか教師は男性ばかりだったものの、禿の中年か公立校を定年退職した老人ばかり。独身の美青年だけはありえなかった。もし仮に本当だったところで、大人が子どもを相手にするわけはないし、したらしたで大問題だ。担任と結婚した卒業生がいるとか、教職員の奥さんのほとんどは元教え子だとかいった噂は、在校中に何度も耳にした。けれどもそれがどの教師かという話となると噂は決まって具体性を欠いた。笑ったり畏れたりしながらもなぜ十七歳は夢みてしまうのか。つけ込む大人が珍しくないと知れば、それがどんなことか身をもって知れば、お伽噺はまるで違って見えてくる。
 同窓会には一度も参加したことがないし、誘われもしないから佐倉がどんな大人になったかは知らないけれど、佐倉も、この朝に彼女に群がっていた子たちも、大方ありふれた大学を卒業してありふれた就職をし、どうでもいい男と結婚して何人か子どもを産み、あいかわらず噂話を生きがいに生活しているに違いない。十七歳のあたしはそういう人生を憎んでいた、自分が決してそうなれないのを知っていたから。いまでは彼女たちもただ生まれ落ちた場所に押し流されるようにして生きていただけだとわかる。情報化社会なる言葉が意味するところの「情報」とは九割九分だれかを貶める噂話だ。需要と供給があるから週刊誌やワイドショーは、出版不況だのテレビ離れだのと言われながらインターネットに主役を奪われたいまもなくならないし、民主主義の象徴だったはずのブログやソーシャルメディアには根も葉もない名誉毀損が溢れかえる。
 教室の隅から啜り泣きがまた聞こえた。こけしみたいに薄い顔の子がうつむいて肩を慄わせている。地味すぎて存在感がなく名前を思い出すのに時間がかかった。臼井幸代だ。噂に夢中でだれも気に留めていない。あるいはだれもが気づいていながら持て余して無視していたのかもしれない。共有のネタとして消費できないものは教室では存在してはならない。哀しみは内面に属するものであり、独立した個人を示すものだからだ。気にはなったが目立つリスクを負ってまで声をかけようとは思わなかった。
 黒板側の戸がガラッとひらいた。静まり返って視線が集中する。
「おい、うるさいぞ。静かにしろ」
 現れたのは眉毛の薄い赤ら顔。おかっぱ頭のてっぺんが禿げている。学年主任のタケカワアツシだ。どうもこの学校はこのタイプの禿げ方が多いような気がする。感染性の禿が職場内でアウトブレイクしたのでなければ全員が宣教師ザビエルの子孫だったのかもしれない。あるいは千数百人の女子中高生に囲まれて働くと男性ホルモンの均衡が崩れるのか。思春期の女子が禿を生理的に嫌悪するのはうまいことできている。倫理的アウトブレイクで礼拝堂が倒壊しなかったのは禿のおかげに違いない。柿沢先生なんで亡くなったんですかとだれかが質問した。
「心臓発作だそうだ。代わりの先生が来るから自習してろ」
 河童顔がひっこんで戸が締まった。教室は前にも増して騒然とした。
 再び戸がひらいて静まりかえる。鴨居に何かがぶつかった。あっ、と間の抜けた声がして本の束がぶちまけられた。ユカと顔を見合わせた。馬面が突き出され、痩せた長身が背中を丸めて入ってきた。教室に衝撃が走るのを感じた。まだ四十前だろう、青葉学院の教師にしては確かに若い。シャツはだれかがアイロンの存在を教えてやる必要がある上に、なぜか全身に泥を浴びていて、ズボンの尻は失禁でもしたかのようだった。床屋へ行くべき時期を二週間は過ぎ、瓶底メガネはひしゃげていて、ひげは剃刀の刃を替えたことがないかのよう、ネクタイはよれよれで結び目すら整っていない。過去十五年間は流行から遠ざかっていたらしく、比較的新しそうに見えるのはサンダルくらい、それも靴屋ではなくホームセンターにありそうなやつだ。男は現国の教科書や出席簿を拾い集めた。それらを教卓に置き直して何事もなかったかのように言い放った。
「今日から現代文を担当するジンノウチです。はい静かに。授業に入ります」
 衝撃が浸透し受容されるまでにかなりの間があった。こんな変人が教壇に立つなんて滅多にあることではない。堅苦しい校風なのだ。それからジンノウチ以外の視線が佐倉に集中した。あたしとユカも含めてだ。佐倉は取り澄ましていたが失望は隠せなかった。青信号が灯ったかのように私語が再開され、佐倉の周囲はへらへら笑ったりブーイングしたりした。適応の早いやつらだとあたしは思った。何も期待していなかったあたしでさえまだ動揺していた。「あいつだれだっけ」茫然とするあまり声が洩れた。
「いま言ったじゃん」ユカに指摘されて自分でも何を言わんとしたのかわからなくなった。
「プリントを準備していたのですが事故がありまして。今回は教科書に沿ってやります。どこまで進んでる?」ジンノウチは騒音に慣れているかのように最前席の子に顔を近づけた。最前席の子の答えはあたしには聞きとれなかった。現国教師はあっそうと肯いた。「一二○頁ひらいて。きみ読んで」
「立って読むんですか」
「うん、そう」ジンノウチは教科書の片側を丸めて持ち、チョークを持つ手でメガネを押し上げた。そして急に思いついたように黒板へ向かった。「僕の名前はこう書きます」陣内龍之助、と書いた。意外に整った字だ。現代文というよりも物理や数学の教師が書きそうな字に思えた。「ジンナイではなくジンノウチ。リュウノスケではなくタツノスケと読みます。何か質問は? では授業に戻ります。読んで」
 だれも聞いていない。騒然としていた。最前席の子の朗読はほとんどかき消されていた。引き戸がひらき、タケカワアツシが心配そうな顔を覗かせた。ジンナイリュウノスケじゃない男は彼に何かを言った。学年主任は毛のない眉根を寄せて肯き、赤ら顔をひっこめて去った。不安が解消されたようには見えなかった。
「まさかあんなのと知り合い?」とユカ。「聡美って変わってるとは思ってたけど……まあ、母性本能を刺激するタイプではあるかもね」
「そんな本能は男社会がつくりあげた神話だってユカ、こないだ言ってたじゃん」
 教壇の男はあたかもこれが平凡な日常であるかのように聞こえない朗読に肯いた。それから黒板に向かい、私語に負けない音を立てて板書した。だれもノートをとっていなかった。初回の授業がこんなことで不安を感じないのだろうか。あたしが学長なら契約を更新しないか、すぐさま馘にするし、あたしがこの男なら昼休みには転職情報誌を買いに走る。この男の娘だったなら恥ずかしくて一生口を利かないだろう。幸いあたしはそのどれでもなかった、この朝までは。こんな冴えない男が人生に重要な位置を占めるようになるとは想像もしなかった。くどいようだがこれは恋愛物語ではない。この男はいずれ義父になるのだ。
 あたしはあっと叫んだ。「注意一秒怪我一生!」
 ユカは気味悪そうに横目であたしを見た。はい結構と陣内は言ってメガネを押し上げた。歪んでいるせいでずり落ちるのだ。えーこの箇所の要点はと彼は言い、顔を憶えられてたらどうしようとあたしは言った。何があったか知らないけど大丈夫、とユカは請け合った。「あいつは自分の顔だって憶えてないね」
 騒然としたまま鐘が鳴った。陣内はわれに返ったように教科書を閉じた。「今日はここまで。週番は?」
 そしてまたメガネを押し上げた。レンズには大きなひびが入っていた。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。