血と言葉

第26話: 報いと赦し(2)

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.07.29

髪の長い女が咎めるような声を上げて近づいてきた。ニットの胸に教職員の名札を下げている。少年は胃や睾丸が縮み上がるのを感じ吐き気を憶えた。気づかれた。スウェットのポケットに手を入れているのを不審がられたのだ。まさかとは思うが計画が漏れたのか。
 これまでの人生で教師という人種にはすべてを取り上げられてきた。教室での疎外から気を紛らわすための携帯ゲーム機や漫画週刊誌。人前で恥をかかされなければ持ちつづけていられたはずの自尊心。小学校でも中学でもフリースクールでも虐げられ笑いものにされた。認めてくれたのはセンターの千里先生だけだ。
 見憶えのある顔にも思えたが考える余裕はなかった。またしても奪われる。ここまで来て不手際で計画を台無しにはできない。阻止しなければ。少年はポケットのなかで安全装置を外した。倉庫では「格好いい撃ち方」だけをひたすら練習した。実弾を使うのは初めてだ。銃を抜くのと同時に女が自分の名を呼んだように聞こえた。
 段取りこそ事前の打ち合わせと違ったが訓練通りやれた。遊底を引いて薬室に弾丸を送り込み、構えて撃った。女は糸の切れた操り人形のように仰向けに倒れた。廊下を行き交う人びとが驚いて振り向き、倒れた女と自分を見た。何を予期していたのか自分でもわからないが拍子抜けした。ちゃんと格好よく撃てたろうか。
 一瞬遅れて悲鳴が聞こえた。人びとが戸惑ったように逃げはじめた。じわじわと実感が湧いた。ついにやった。成し遂げた。昂奮で体が震えるのを感じた。もうあとには退けない。おれはやるのだ。千里先生のいう「小道具」で人生を変える。いまここで。おれの手で。
 生まれてこの方だれからも無視されて育ってきた。暗い部屋に閉じこもってゲームをやるだけの彼を両親は放置して顧みなかった。信じて放任したのではなく関心がなかったのだ。学校生活に適応できない息子の性格が明らかになるや、両親は狂ったように精神科やフリースクールや新興宗教を頼りはじめた。さまざまな施設をたらい回しにされ、世間への彼の憎しみは募った。最後に行き着いたのが「人間開発研究センター」だった。信じられる大人にそこで初めて出逢えた。
 海堂千里はほかの「先生」と違った。優れた人間の孤独を理解してくれた。受け入れない社会は滅びるべきだと教えてくれた。彼女のためなら死ねる。何があっても一生ついていくと決めた。
 少年は雄叫びを上げて銃を乱射した。弾丸は天井を穿ちコンクリートの柱をえぐった。窓ガラスが砕け落ち、ボール紙や紙花の飾りつけが落下した。人びとは廊下を転がるように走ったり教室へ逃げ込んだりした。彼らを虫のように感じた。嘲笑以外の反応を得るのは初めての経験だった。銃を自分の力であるかのように取り違え、畏れられる快感に酔った。散々おれを醜い虫のように扱ってきた連中め。力関係が逆転すればこのざまだ。社会は選ばれた人間の力で是正されなければならない。千里先生が教えてくれた。おれは今この手で革命を起こしているのだ。少年は高笑いして人びとを追い散らした。
 新垣は頭部から血を流して冷たい床に倒れていた。だれひとり生死を確かめようとさえしなかった。

 ちありは母親の姿を求めて校内を駆けまわっていた。後ろ姿を認めて追ったが体育館で見失った。軽音楽部の演奏が行われていて校舎での銃声は聞こえなかった。人波をかき分けて母親を探した。観客が多すぎる。熱気で息苦しい。押し潰されそうだ。去年はこのようなことはなかった。
 だれもが舞台に何かを探すかのように伸び上がり、視線をさまよわせている。Ωの読者に違いない。恐怖に駆られた。これまでは画面に表示される数万の記号にすぎなかった。それが実体となって現れた。血と肉と骨を備え、熱と体臭を放って呼吸し、動いている。
 先生の言葉があたしの手を離れて独り歩きしている。
 薄汚いスウェットとカーゴパンツの少年が舞台に乱入し、天井へめがけて発砲した。演奏が中断されハウリングが起きた。観客は演出なのか判断しかねてざわめいた。演奏者らの戸惑いに気づいたのは最前列の客だけだった。ちありは舞台の袖に母親を認めた。そちらに気をとられ、懸念が現実となったのに気づかなかった。
 二発目が照明に命中した。ガラス片が降り注いで悲鳴が上がり、ちありは人波に押し流された。彼女は舞台へ手を伸ばして叫んだ。近づけない。だれもが我先に出入口へ殺到した。このとき舞台の袖で高笑いする女が複数の客に目撃されている。逃げようとした軽音楽部員が舞台から転落して足首に軽い捻挫を負った。
 海堂千里は群衆に紛れて姿を消した。

 舞台上の少年は全能感に酔い痴れていた。ざまをみろ。世間に思い知らせてやった。これで憧れの千里先生に一人前の男として認められる。東西二箇所の出入口に爆発物を仕掛けた紙袋を置いてあった。対人地雷と同程度の殺傷力がある。爆発で群衆が引き返した時点で、待機していた担当者たちが扉を閉め、外から施錠して監禁する手はずになっていた。殺到した観客が吹き飛ばされるのを待った。
 何も起きない。
 あいつら何やってるんだ。少年はカーゴパンツのポケットから携帯を取り出した。どちらの担当者にも繋がらない。無能め、と苛立った。まさか押し寄せた群衆にふたりとも踏み潰され、息絶えようとしているとは想像もしない。着信した携帯は人びとに蹴り飛ばされ、踏み割られて振動を止めていた。少年は舌打ちした。まぁいい、爆弾は添え物に過ぎない。群衆に舞台から狙いを定めた。
 彼が神でいられた時間はそこで終わった。火を噴いたのは銃口ではなかった。少年は脚がもつれたようによろめいて仰向けに倒れた。その顔はなくなっていた。
 成型の不充分な遊底が圧力に耐えかねて破裂したのだ。

 青山は生徒や来客を登校口へ誘導していた。携帯でほかの教員と連絡を取り合ったが何が起きているのかだれも知らない。二階のどこかに危険物を持ち込んだ客がいたらしいとしかわからなかった。頭上で聞こえるあの乾いた音がそうなのか。体育館も大きな騒ぎになっているようだ。両方の場所で同時に事故が起きたのかもしれない。
 青山は馴染み深い声に呼び止められた。預かっててくれ、と手に押しつけられた。煙草とライターくらいさしたる荷物でもなかろうに、同僚であり親友でもある男がそうした理由は今もってわからない。待てよ、と青山は呼ばわったが凰馬は階段を駆け上がった。眼鏡をかけた坊主頭の男が後を追った。
 それが青山が親友を見た最後だった。

 凰馬は亡霊の声を聞いていた。悲鳴にもかき消されず耳元で聞こえた。銃を振りかざして廊下を闊歩する少年を認め、無人になった教室のロッカーから箒を取り出して投げた。少年は箒が脚に絡んで転倒した。
 手首を踏みつけてやったが少年はしぶとく銃を放さなかった。骨のあるやつだな、と祖父は意地悪く笑った。「折ってやりますよ」と凰馬は声に出して答え、馬乗りになって少年の腕をねじ上げた。奪った銃の筒先を少年の後頭部に押しつけた。髪が焦げる臭いがした。背中に体重をかけると肋骨が折れた。少年は裏返った声で絶叫した。
 いちいち怯える少年が凰馬には奇妙に思えた。目の前のこの子どもにとって暴力は日常ではないのだ。自分が辻直継から虐待されていたときには心が死んでいた。子ども時代と世間との隔たりを感じた。
 犯人の数と計画を訊き出せ、と祖父はいった。吐かなければ殺せ。
 少年は話さなかった。恐怖で声が出ないように見えた。凰馬は彼を砂袋のように蹴り上げて転がし、仰向けにさせた。左手で襟首をつかみ、銃の台尻で頬を殴った。凰馬は淡々と手際よく作業をこなした。無表情だった。物陰に身を潜めた生徒らがそれを目撃していた。水瀬は棒立ちした。暴力を初めて目の当たりにした想いだった。
 逃げられないと悟った少年の目は次第に虚ろになっていった。ああこれか、と凰馬は納得した。これがおれをつくったんだ。
 少年が口をひらいて何かいいかけた。顔が西瓜のように弾け飛んだ。銃声は後から聞こえたように感じたとある生徒はのちに語った。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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