血と言葉

第24話: 集う日(4)

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.07.27

風船や紙花で飾られた校門をくぐると、校舎にはポスターカラーで描かれた垂れ幕が並び、風をはらんで揺れている。焼きそばやクレープの屋台。チラシを撒く生徒。人びとの笑顔。例年は外部の客といえば保護者や他校の生徒だった。今年は明らかに近隣住民ではない客で異常に混雑していた。大半が諜報員の戯画のように周囲を盗み見ては携帯をかざしたり操作したりしていた。
 教職員は神経を尖らせ、生徒を撮らないでくださいと注意して客と揉めていた。彼らは何かよくない事態が進行していると察してはいたが実況中継については知らなかった。「#Ω」「#聖地巡礼」といったハッシュタグで動画やツイートが爆発的に増殖し拡散されていた。自分たちの学校生活が話題になっていることを、気味悪がる生徒もおもしろがる生徒もいた。
 将大はあの日以来どうでもいい女子につきまとわれていた。名前を憶える気にもならなかった。化粧も顔つきも喋り方もほかの子と区別がつかない。文化祭の人混みで、顔を背ける将大に女子は携帯を突きつけた。あたかも所有物を誇示するかのように、これ見よがしにはしゃいだ。
 生徒会の発行したパンフレットを片手に水瀬が歩いていた。パソコンを入れた肩掛け鞄が人混みで邪魔だ。段ボールで迷路をつくったお化け屋敷や女装男子のメイド喫茶。すべての階段にパネルが貼られ鮮やかな広告やイラストが描かれているのに彼は感心した。自分が若い頃にはそのような発想はなかったように思う。パンフレットによればプールでは男子水泳部のシンクロ演技があるらしい。
 男子校育ちなので共学校の文化祭は新鮮だった。そもそも学生時代に校内イベントに参加した記憶がない。文化祭も運動会も修学旅行もさぼってゲームセンターに入り浸った。見知らぬ他人との対戦に打ち込んだ青春を後悔はしない。けれども文化祭を楽しむ若者たちを目にすると別の人生もあったかもしれないとも考えた。校内イベントは男女交際の機会でもあるらしく初々しいカップルを何組も見かけた。いい争う男女とすれ違った。
「海堂さんを探してるんでしょう」
「ちげえよ」
「来ないよ。みんなが楽しんでるのがおもしろくないのよ」
「関係ねえって」
 水瀬は彼らの青春を羨んだ。妻とはこの数年、ゆっくり会話するどころか口論さえする暇もない。にもかかわらず仕事と称して東北旅行をすることに罪悪感を憶えた。
 アニメの登場人物や巫女の仮装をした女子生徒がチラシを配っていた。うっかり顔を覗き込んで怪しまれないよう注意した。目線を隠した自撮り画像にどの子も似ているように思えた。すでにすれ違っている可能性もある。
 ツイートやブログは平日の昼間にも投稿されていた。著者は登校拒否児かもしれないし成人男性で画像は流用かもしれない。むしろ後者をなかば予期していた。著者はこの学校の関係者ですらないかもしれない。そんなことは初めからわかりきっていた。それでも青葉市へ引き寄せられた。
 校舎には祝祭の雰囲気とともに不穏な気配が満ちていた。淀んだ目で何かを探す者。携帯で教室や女子生徒を撮影し投稿する者。地方の垢抜けない公立高校とソーシャルメディアの百鬼夜行、ふたつの世界が重なって存在するかのようだ。マーク・チャップマンよろしく本を携えた女も目立つ。いずれも長い袖で手首を隠し、思い詰めた青白い顔をしていた。Ωの小説に過剰に感情移入し、自己投影する読者が増えているとの噂を連想させた。
 Ωの投稿は「先生」の裏切りと別離をほのめかすようになり、新作の刊行も途絶えた。何かが起きているのだ。長い編集者人生において今日は重要な意味を持つだろう。どんな些細な手がかりでも見つけずには帰るまい。そう水瀬は決意した。
 パンフレットによれば文芸サークルは存在しないようだ。今どき流行らないのだろう。自撮り画像に抵抗がないのは露出癖があるせいかもしれないと考え、体育館の舞台を覗いた。軽音楽サークルが安物の楽器でアニメ音楽を演奏していた。クラス演劇はありふれた素人芝居で台本も借り物だった。写真部も新聞部も空振りだった。放送委員会がラジオ番組のようなものを流していたが関係なさそうだった。
 壁新聞を眺めているとき背後に気配を感じた。全身の毛が逆立った。振り向いた。廊下を横切る男の姿を認めた。伸びすぎた癖毛、猫背。
 Ωの描く「先生」がそこにいた。

 二階ではその頃「選抜生徒」が右手をポケットに突っ込んで廊下を徘徊していた。与えられた持ち場が彼には不満だった。体育館の仲間に携帯で状況を報告した。ぶつぶつと独り言を呟き、指示された作戦を反芻した。何度も他人にぶつかった。女子生徒から不審の目で見られ、逆恨みを募らせた。楽しんでいる同世代の男女を憎んだ。
 小学校でいじめられなければ不登校にならず、この高校に進学していたと彼は信じていた。他人や社会を見下す態度はその経験で培われたものではなかった。逆だった。両親から受け継いだ性格ゆえに疎まれた。虫のいい自己愛をセンターの教えは正当化し、報復の手段までも彼に与えた。
 彼は新たな指示を待ちながら校内をさまよった。学校生活を楽しむすべての男女が敵だった。標的はだれでもよかった。

 一階では凰馬が見回りをしていた。仕事は溜まっていたが会議で警備の徹底を指示されたのでやむを得ない。どのみちこう騒がしくては職員室での作業に集中はできまい。生徒を盗撮する輩は予想を超えて多かった。いちいち注意していた同僚たちもやがて諦めて放置するようになった。
 凰馬は体育館につづく廊下の角でちありを見たように思った。見慣れないジーンズとニット姿のせいか、別人のように大人びた印象を受けたが間違いない。ボディバッグを胸の下に抱えるように肩にかけている。だれかを探しているように見えた。人混みに消えた。凰馬はあとを追おうとした。呼び止められて振り向いた。坊主頭に眼鏡、筋肉質の小柄な男。名刺を差し出してきた。
「群生舎の水瀬といいます。Ωを探しています」
 思い出した。「電話の……」
 水瀬は凰馬の目を見つめた。「あんたが書いてるんだな」

 新垣は二階を見回っていた。演劇部の出番まで時間があった。新垣は学校行事が好きだった。ただでさえ少ない授業時間が削られるのはわかっていたが、その価値はあると思っていた。学生時代フリースクールで不登校児に教えていた。文化祭や修学旅行を知らない生徒が多かった。バイト講師の立場でやれることは限られていた。彼らにもこうした楽しいイベントを経験させたかった。
 新垣は挙動不審な少年に気づいた。うちの生徒ではない。見憶えがあるような気がした。パーカのフードで顔が隠れているが間違いない。フリースクール時代の生徒だった。懐かしさがこみ上げて声をかけた。少年は狼狽した様子を見せた。パーカのポケットから手を抜いた。銃が握られていた。
 新垣は目にしたものを理解できなかった。辻先生の部屋で目にした「玩具」がなぜここにあるのかと思った。
 少年は遊底を引いて薬室に弾丸を送り、新垣の眉間に狙いをつけた。

 Ωであることを凰馬が否定しようとしたとき、遠くで乾いた破裂音がした。聞き憶えのある音だ。桜色をした灰の味と雨の匂いが脳裏をよぎった。
 銃声だった。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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