血と言葉

第20話: 洗脳(4)

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.07.23

よくある承認欲求だろ。リスカ痕の自撮りでチヤホヤされるタイプ。お気に入りや拡散がほしくて実況やって、しまいには本当に死んじまうんだ」赤ら顔の営業担当が酒臭い息を吐きかけながら水瀬の肩を叩いた。「しっかりしろよアラフォー男子。もうすぐ父親だろ。中二病の女子高生で一発当てる夢なんざいつまでも追いかけてんじゃないよ。おれたちゃ出版のプロだぜ」
 作家や同業者や取引先が集まる飲み会で、水瀬はΩの話をした。強くもないのに飲みすぎたのかもしれない。寝ても醒めてもそればかり考えていて自然に口をついて出た。一日中ネットを監視しているアイドル愛好家ばかりの顔ぶれだ。読んだ者もいようと期待した。だれひとりΩを知らず関心も示さなかった。水瀬はもつれる舌でファンの熱狂ぶりや作品の魅力を伝えようと試みた。同人誌かと嗤われ一顧だにされなかった。
 赤ら顔の営業が去ると、話題の輪から取り残された水瀬を校閲者が慰めた。プロの手が入らない本が売れるわけないだろう。そんなものが商売になるくらいならおれたちは要らなくなっちまう。水瀬は抗弁しようとした。校閲者はだれかの冗談に声を上げて笑い、顔見知りを呼ばわりながら席を離れた。座の話題は深夜アニメの魔法少女から下ネタに移った。
 おれの感性がおかしいのか。十代の自撮り画像に目が眩んだだけなのか。中年の危機というやつか。水瀬は自信を失いかけた。やはりテンプレ通りの商品を世に送り出しつづけるしかないのか。読者はそれを求めてるのか。代わり映えのない安寧な日常を。
 水瀬は熱病に罹ったかのようにΩの情報を追いつづけていた。既刊書はすべて読破した。ブログやツイートも最初の投稿まで遡って読んだ。それらの更新はここ数日停まっている。予告された新刊も遅れていた。ウェブ上のファンは飢餓状態に陥り、腐肉を漁るような個人情報暴きが加熱していた。水瀬もそのひとりだった。Ωの新たな言葉を求めて検索に検索を重ねた。妻を寝室に残して夜明けまで噂を蒐集した。
 ある早朝、閑散としたタイムラインが急に活気づいた。朦朧とした水瀬の目に見慣れた制服が映った。自撮り画像からついに高校が特定されたのだ。情報は瞬く間に拡散した。半日と経たずに全作品の舞台が青葉市であることが証明された。たびたび登場する学校が間取りといい立地といい、くだんの公立高校と酷似している事実も明らかになった。
 著名作家やグラビアアイドルによる覆面活動の線は消えた。しかし肝心の著者特定にはいまだ至らない。目線を隠した美少女はタイムラインに戻らず、死亡説まで囁かれはじめた。高校にいわゆる突撃電話をしたり、生徒につきまとって無断撮影したりする輩が現れるのも時間の問題と思われた。
 水瀬は盛り上がる男たちを横目で眺め、ぬるいビールを啜った。せめて何か腹に収めて帰ろうと壁の品書きに視線を移した。東北の地酒があった。牡蠣やホヤに三陸産と記されていた。さながら啓示に打たれたかのようだった。自分でも驚くほど唐突に決意した。現地に向かわねばならない。学校関係者に接触して著者を探し出すのだ。

 多くの教員は職員室で簡単に昼食を済ます。業者の弁当を利用する者が多かった。生徒が質問に訪れると食事どころか事務作業も滞る。そのためわずかな隙を見て外へ出る教員もいた。文化祭が近づくとそれも許されなくなる。凰馬の学級のように壁新聞でお茶を濁さない限り、担任や顧問は指導に飛び回っていた。
 凰馬はこの数日、気詰まりな職員室を抜け出して近所の喫茶店で喫煙していた。当然ながら個人情報の持ち出しは禁じられている。仕事をするつもりならすぐ戻らねばならない。その気になれずに窓に面した席で煙草をくゆらした。見慣れた影が横切ったような気がした。
 隣のスツールにだれかが座った。「あれは本物ですね」
 凰馬は振り向いた。注文を取りに来た女に新垣は紅茶を頼んだ。
「よくできていたでしょう。祖父の形見です。どうしてここへ」
「近所で喫煙できるのはここだけ」
「よくご存知で」
「観察してますから」新垣は挑むような高慢な口調でいった。「海堂さんには気をつけてください。いくらお父様とお知り合いでも危険です。あの子は退学になるかもしれない」
「その前におれが辞めますよ」
 新垣には聞こえなかった。芝居がかった態度でつづけた。「演劇部の子がわたしを信用して打ち明けてくれたんです。家族の車で水族館へ向かう途中、海堂さんと遊田君を見てしまったと。その……ホテルから出てくるのを。ショックを受けて悩んでいました。ほかのひとには話していないそうです」
「演劇部の顧問だったんですね。文化祭の指導はいいんですか」
 凰馬は煙越しに同僚を一瞥した。新垣は批難がましい目つきをしていた。
「その子は口外しませんよ。そこにいた理由を詮索されたくないはずだ。あるいは本当に水族館へ行くほど家族と仲良しなのかもしれない。あの年頃ではそれも恥ずかしいでしょう。だからだれにも話さなかった」
 給仕の女が紅茶と伝票を置いて去った。新垣は口をつけなかった。膝に手を置き、凰馬から視線を逸らさなかった。
「遊田を信じましょう。生徒の恋愛に教師が口を挟むのは野暮だ」
 新垣の肩から力が抜けた。彼女は惚けたように凰馬を見つめた。それから目が輝いて表情が明るくなった。独り合点したように力強く頷いた。「改心したのですね」
「は?」
「心を入れ替えて、あるべき姿に」
「何を……」
「わたしたちの本についてです。先日読ませていただいた原稿には改善すべき点があります。暴力的なのはいけません。殺人事件はやめて主人公を青年実業家にしましょう。女性に読まれるようにロマンティックな恋愛描写を増やします。ヒロインは平凡なOL。幼馴染の婚約者がいて同僚にもいい寄られています。実業家にひょんなことから見初められて強引に迫られ……」
 今度は凰馬が口を半開きにして相手を見つめる番だった。正気でなくても教壇には立てるのだ。犯罪者の家系と同様に。

 絵梨子は文化祭の指導で来られないと青山はいった。そうかと凰馬は頷き、ふたりは口をつぐんだ。何組かの客が出入りした。物静かな常連もいれば騒々しい若い男女もいた。様子を察して常連はだれもふたりに話しかけなかった。青山のスコッチは減らなかった。氷が溶けて傾き、酒を薄めた。
「海堂のことは本気か」客足が絶えると青山はいった。
「就職したての頃、定年退職する先輩に警告された。あの手の生徒にはいくつか型があるそうだ」凰馬はカバーのない黄ばんだ文庫本をカウンターに伏せ、ピースに火をつけた。「ひとつは同世代に飽きて手近な大人でステータスを得ようとする子。憶えがあるだろう」
 青山は渋い顔でグラスへ視線を落とした。「よく見てるな。あとは敬意と恋慕を取り違えるタイプか。親の愛情に飢えて」
 凰馬は頷いた。「ある種の適応を強いられて育った生徒は、関心を惹くために媚を売ることがある。正しいふるまいを知らないからだ。自傷として大人に近づくこともある。いずれにせよ正常な男なら相手にしない。それで恨まれるにしてもな。生徒もいずれ成長し教師の幼さに気づく」
「異常だと認めるのか」
「本人と話し合った。成人しても気持が変わらなければ籍を入れる」
「その話をしたのはいつだ」
「停学処分になる前の夜」
 青山は初めて正気を疑うかのように凰馬を見た。「求婚の翌日に新垣先生の肩を持ったのか」
「求婚じゃないし、肩を持ってもいない」
「あの子はそう取ったよ。だからこじれたんだ」青山は溜息をつき、左手で顔を覆うようにこめかみを揉んだ。凰馬は青山のグラスを取り上げて酒を作り直した。青山はようやく酒に口をつけた。「きみたちは出逢うべきじゃなかった。海堂は被害者だが、したたかな大人にも思える。僕が男だからかもしれないが……。まだ連絡はないのか」
「一度電話があった。似たようなことをいわれたよ。何を考えてるのかと」
「どう答えたんだ」
「答える前に切れた」
「責められるのは辻だ。あの子からも世間からも。僕だって……」
「わかってる」
「遊田をそそのかしたよ。海堂をデートに誘えと。あいつこないだ暴れたろう。お袋さんのことで海堂が嗤われたからだ。前からそんなところはあったが今回はやりすぎた。学校で孤立しないか心配だ」
「指導室でそんなことを話してたのか。助言の成果はあったようだな」
「そうか? 週明けからひどく落ち込んで元気がないように見えたが。そんなことより書いているのか」凰馬が黙るのを見て青山はまた溜息をついた。「やっぱりか。僕は辻がどれだけ道を外れようが構わない。でも振り回されるのはもうよせ。小説を書き上げろ」


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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