八秒、栄光のとき

第8話: 第八章 ~フォー・エヴァー・ア・デイ(For ever a day)

Avatar photo書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2022.07.15

エミールはフロンテージ・ロードでピックアップトラックを停止させた。バックミラーには引き攣ったような、険しい顔が映る。自動車を降りたエミールは舗装されていない乾燥した荒地を歩き出す。黄ばんだ低木と薄茶色の細長い葉を茂らせる雑草。フランクリン・マウンテンズから飛び立ったヒメコンドルが上空を旋回している。エミールはリュウゼツランの葉を避けるように歩き、降り注ぐ太陽光に目を細めて白いカウボーイハットのつばを撫でた。肩から脇に垂れ下がる無線が鳴っても、エミールはそのまま歩いた。しばらく歩くと、半透明のレインコートのような服を着た技官たちが見えた。技官たちはピンセットやプラスチックバッグを手に屈んでいる。エミールを見た技官の一人が立ち上がり、ゴム手袋を装着した手をヒラつかせて自身を扇いだ。エミールは胸に装着したサークル・スターを撫でる。そして、地面に横たわる若い死体を見つめる。正中線から線対称に広がった死体はスカウトによる追跡サインのように見えた。エミールが言う。
「夕べ、彼の母親から電話があった。三日も家に帰らないなんておかしい、探してくれと言われた。おれは心配いらないと答えた」
 エミールが顎を上下に振ると、技官は毛髪の落下を防止するビニール帽の上から後頭部を撫でた。
「三日前の夕方、エッシャー・ラマにある学校の裏で喧嘩になり、そこで暴行を受けたそうです。そして、被害者が死んだと考えた加害者たちはここに捨てたようです。死亡推定時刻は二日前の晩です」
「ここに捨てられた時はまだ死んでいなかったというわけか」
「あるいは息を吹き返したのかも知れません」
「加害者は?」
「クラスメイトです。自首して、今は警察署です」
 エミールはしゃがみ、赤黒く染まった骸を見た。鬱血した顔は膨れ上がり、褐色の肌も紫がかっている。エミールが言う。
「この仕事を誇りに思っている。レンジャーに指名された瞬間から、おれが死ぬまで誇るだろう。だが、死んだことを知らせに行くことは苦痛だ。なんて言ったらいいのかわからない。慰めの言葉が必要なのか、それとも、黙っているべきなのか。答えがないことはわかっているのに、ずっと考えてしまう」
「エミールにも慣れないことが?」
「保安官代理になったばかりの頃、初めて死体を前にした時は気が動転した。ただ、おそろしかった。やがて、おれじゃなくて良かったと考えることで冷静さを保てるようになった。そのうち、酷い状態の死体を前にしても動揺することがなくなった。経験を積んだことで、おれ自身が強くなったと感じた。さらに経つと、何も感じなくなった。ひどい死体を見ても、アーリントンまで自動車を走らせてグローブライフ・フィールド(※ テキサス州にある野球場)で試合を観る始末だ。気が付いた時は愕然とした」
 立ち上がったエミールはイバラのような低木に引っ掛かったままの黒いカウボーイハットを拾い
「このことはベンジーに知らせたか?」と尋ね、技官が目を丸くした。
「ベンジー? 母親には警察が連絡しましたよ」
「元レンジャーのベンジャミン・コーリッツだ。まぁ、それはいい。どちらにせよ、おれが言うべきことだからな」
 黒いカウボーイハットを小脇に抱えたエミールが歩き出した。
 
 エミールは車に乗ったまま、コーリッツが所有する土地を一周した。停められたままのトラック、厩舎の吊り扉も開け放たれたままだった。安堵のため息をついたエミールは煙草に火をつけ、ハンドルに肘をつきながら煙草を吸った。エミールはコーリッツの家を見ている。動きを止めた揺り椅子、手摺に置かれたままのグラスの底は乾燥したウィスキーの残骸で黄ばんでいる。家の扉が開くと、エミールは煙草を灰皿に放り、助手席に置かれた黒いカウボーイハットを掴んで車から降りた。後ろ手に閉められたドアが軋んでもエミールは振り返らずに歩き出した。歩きながらエミールは父親のデニスが愛用したピストルベルトとコルト・シングル・アクションアーミーのグリップに指で触れた。ジョージ・パットン将軍が愛用したもののように象牙の装飾などない、唯一の目的のために生み出された底冷えする魂。パジャマの上にガウンを羽織っただけのコーリッツの髪は視界に入れた者を石像に変えるメデゥーサのようにボサボサだった。コーリッツは眼帯を巻いておらず、両手でショットガンを握っている。コーリッツの白い無精ひげは石英のように輝いている。エミールはブーツの底を地面につけたまま足を開き、言う。
「家にいろ。おれがなんとかする」
鼻孔を膨らませたコーリッツが「うるさい」と言った。目を細めたエミールが
「これ以上、言わせるな」
 コーリッツは押し殺した声で
「マークを殺した連中に報いを受けさせる」
「おれは法を無視することを許さない。お前も同じ考えだったはずだ」
「もうレンジャーじゃない」
 エミールは胸に装着したサークル・スターを指差し
「知っての通り、これはメキシコで作られた。鋳造所で銀が流し込まれ、この国で打ち抜いた」(※ テキサス・レンジャーが胸に装着するバッジ、サークル・スターはメキシコのペソ硬貨を加工したもの
「何が言いたい?」
「これはモノでしかない。多少、手先が器用な奴なら同じようなものをこしらえることは朝飯前だ。だが、精神は違う」
舌打ちしたコーリッツが「そこを退け」と言って、銃口をエミールに向けた。エミールは微かに震える仄暗い銃口を見つめながら肩を竦めた。
「ベンジー、まるで駄目だ。話にならない」
「そういうお前はどうだ? 今でも早撃ちを気取るのか?」
「年寄が一人二人減ったところで世の中が変わることはない」
「マークは一七なんだぞ?」
「そうだ」
「なら、わかるだろう? ただ、黙っていてくれればいいんだ」
「黙っていられるか。おれは言うべき時には言うし、すべき時には行動する。例外は認めない。親父も、お前もそうだった」
「そんな話は聞きたくない」
 エミールは片手に持っていた黒いカウボーイハットをコーリッツに向かって放った。宙を舞った帽子がコーリッツの腕に吸い寄せられた。コーリッツはカウボーイハットを抱き寄せ、フェルトに頬をつけた。
「全部、失った。そう、全部だ。もう何もない」
 エミールはコーリッツが握るショットガンの銃身を掴み、コーリッツはショットガンを離して黒いカウボーイハットを胸に抱きながら地面に両ひざをついた。エミールが言う。
「連中にはキチンとした裁きを受けさせる。だから、待っていてくれ」
 顔を上げたコーリッツは首を横に振り、片目から涙が滴り落ちた。
「待ちくたびれたんだ」
 エミールはコーリッツの肩を軽く叩いて「お前を待っている奴がいる」と言うと、ショットガンを持ったまま回れ右をして歩き出した。

 厩舎の吊り扉が引かれ、レールが金切り声を上げる。天井からは光が斜めに差し込んでおり、主を失ったクモの巣が揺れる。干し草と馬の体臭、馬糞の臭いに鼻をピクつかせた老人は馬房の前まで歩くと木柵の隙間からスタンダードブレッドが頭を出し、老人は馬の首筋を撫でた。馬房に入った老人は馬糞と古くなったおがくずを取り除き、長方形に固められた干し草を馬の前に置いた。馬は大きな黒い瞳で老人を見ている。老人は青いホースを引っ張ると蛇口を捻ってバケツに水を入れた。馬は頭を下げずに物言いたげな顔で老人を見ている。老人が白い無精ひげを撫でる。
「お前が考えていることは手に取るみたいにわかる。食事が終わったら散歩に行こう。最近は運動が多かったから、それも不満だろうが」
 頭を下げた馬が干し草を食む間、老人は腕を組んだままテーブルに寄りかかった。テーブルの上には鞍と拍車がついたブーツ、黒いカウボーイハットが整然と置かれている。馬が食事を終えると、老人は馬体を丁寧にブラッシングした。短い鹿毛が埃と共に舞う。
 ブラッシングを終えると、老人は馬にハミを装着させ、ゼッケンとボア、鞍をのせると馬の顔を見ながら、ゆっくりと腹帯を締めていく。馬が微かな反応を見せる度に老人は手を止め、首筋を撫でた。手綱を引いて馬房から出た老人は前橋ぜんきょうに黒いカウボーイハットの顎紐を結び、袖で目元を拭うと歩き出した。

 〈END〉


作家、ジャズピアニスト、画家。同人誌サークル「ロクス・ソルス」主催者。代表作『暈』『コロナの時代の愛』など。『☆』は人格OverDrive誌上での連載完結後、一部で熱狂的な支持を得た。
ぼっち広告