血と言葉

第11話: 手製の銃(3)

Avatar photo書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.07.14

海堂とってるってマジ?」教室へ入るなり男子生徒が叫んだ。仲間の数名が声を上げて笑った。女子の多くは好奇心を押し殺した薄笑いだった。男子の思慮のなさに呆れたようにも、手を汚さずに済んで安堵したようにも見えた。
「だれの話をしてるんだ」
「朝、並んで登校してただろう。髪型も変わって女っぽくなってた」
「おれが?」
 笑いとともに空気が緩んだ。
「海堂のお父さんと古い付き合いなんだ。たまたま道で一緒になった。そんな話はいい。きょうから受験対策だ。時間がいつまでもあると思うな」
 笑いと不平の入り混じる声が上がった。現国、受験に関係ないじゃん。
「ほとんどの問題文は日本語だ。舐めてかかると泣きをみる。前半二十五分を普通の授業。十五分で小試験やるぞ。残りの五分で答え合わせだ。どうした週番」
「はぁ?」黒板に名前を書かれている女子が間の抜けた声を発した。
「はぁ、じゃない。すでに一分四十秒押してるぞ。号令!」
 隣の教室では青山が数学を教えていた。彼は異様な空気を壁越しに感じた。凰馬の低い声が聞こえてくる。邪教の呪文でも唱えるかのようだ。かと思うと唐突に教室いっぱいの爆笑が轟く。生徒らの笑い声は楽しげではなく神経症的に感じられた。
 どういう授業なんだ、と青山は思った。
 青山は窓際の席を見た。ちありが例のボールペンで紙束に朱を入れている。指名すると彼女はペンを置き、静かに歩み出て黒板にチョークで数式を書いた。正解だった。ちありは無言で席に戻り作業を再開した。
 次に指名した生徒の答えは青山の耳に入らなかった。彼は板書しようとしてチョークを折った。隣の教室と窓際の席、両側から圧し潰されるような錯覚に囚われた。鐘が鳴ってわれに返るまで、教室の怪訝そうな視線を集めていたのに気づかなかった。週番の号令を上の空で聞き流し、廊下へ出た。
 辻凰馬が教室を出てきた。青山は出入りする生徒らを眺めた。どの生徒も放心したように疲れて見えた。
「辻、おまえ最近おかしいぞ。何を考えてる」
「次の生活だよ」
 職員室で別れ、それぞれの授業へ向かった。青山に新垣が小走りに追いついた。
「辻先生、印象変わりましたね」
 わざわざそんなことをいうために近づいたのかと青山は訝った。「ああ、眼鏡……」
「オーマの話?」三年の女子が聞きつけて話に加わった。「エロいよね。最初からコンタクトにしときゃよかったのに。あのダサい眼鏡、ないわ」
 仲間が笑い声を上げて同意した。一年のときはキモいと思ってたけど最近ちょっとわかるあのよさが。そうそうおっさんのエロス? キモエロっていうかエロキモっていうか。わかるー。
 青山は生徒と同僚を警戒するように見つめた。女たちが異質な生物に思えた。ちありの行動が触媒となって何かを変えたのだ。
「どうかされましたか」と新垣。
「いや……別に」
 新垣は生徒を追い払ってから、青山の耳元に囁いた。「今晩空いてます? ちょっとご相談が」青山の視線を誤解して赤面した。「あっ、よければ奥様もご一緒に。助言を頂きたいんです」

 会議は受験対策の補講と文化祭についてだった。内容が薄い割に長くかかった。いつものことだ。文化祭は防犯のため入場を関係者だけに制限すべきではないかとの意見が今年も出た。「来年は検討しましょう」のひと言で却下された。凰馬は分掌を早めに切り上げて退勤した。部活動や生徒指導で疲弊しながら深夜まで働く同僚たちに白い目で見られているのは知っている。気の毒には感じるが自分が変わろうとは思わない。いずれ馘になるだろうと思いながらこの歳まで勤めた。
 商店街でちありと合流し、アーケードを歩いた。ちありは無言で凰馬の二の腕をつねり、長時間待たされたことに抗議した。通りの反対側から、下校中の女子生徒らに「オーマ、ちありちゃん」と手を振られた。凰馬は「気をつけて帰れよ」と叫び返した。同級生からの扱いが一変したことをちありが気にかけている様子はなかった。
「『Ω』に決めた」とちありは前方を睨んで呟いた。凰馬は頷いた。出版や宣伝アカウントに使う名前のことをいっているのだ。ちありが今朝、店を出るとき看板を凝視していたのを彼は思い出した。
 文化横丁の長屋には将大が待ち構えていた。
「部活やバイトはどうしたんだ」
「心配でやってられるかよ」
「遊田は優しいな」凰馬は店の鍵を開け、書類鞄とほどいたネクタイをちありに手渡した。ちありは二階でジャージに着替えて戻ってきた。「バイトも部活も休みなら暇だろう。風呂に付き合え」
 商店街から歩いて十数分の距離に銭湯があるのを将大は知らなかった。ちありは勝手を知っているかのように女湯へ消えた。将大はふたりが以前からここに通っているのだと誤解した。
 脱衣所のテレビが劇場テロ事件のニュースをやっていた。犯行集団の主導者が逃走中にビルから飛び降りたという。追跡に不備はなかったと警察は発表した。包帯を巻かれ点滴された男が病床でインタビューに応じていた。顔は映らず加工された声が語った。
 まるで映画のようでした、情景がではなく犯人たちの言動が。三文芝居に酔い痴れているみたいで、政治的主張があるようには見えませんでした。犯人のひとりは近くにいた女性に携帯で撮影するよう強要しました。逃げ惑うひとびとを撃ちながら何度も見栄えを気にしていました。いまの撮ったか、とはしゃいで女性から携帯を取り上げ、もっとかっこよく撮れと。最後には写りが気に入らないからとその女性を射殺したんです。霧のようなガスが充満して呼吸が苦しくなり、あとは憶えていません。
 銭湯の客はだれも画面を見ていない。液晶パネルの向こう側では陰惨な事件が語られ、こちら側では湯上がりの老人が涼んでいた。将大は世間から隔絶されたかのような感覚を憶えた。
 将大は脱ぐのに気後れした。国語教師は生徒の前で全裸になるのに一切頓着しなかった。教室では貧相に見えた体は思いのほか胸板が厚く、丸みに欠けるために溝のような凹凸が目立ち、膚は使い古した革のようだった。ロッカーや籠の使い方を教わりながら圧倒された。野球部で鍛えている艶やかな若い体が見劣りした。男の背中には無数の古い傷跡があった。脇腹にはひときわ目立つ引き攣れた筋。
 関係者の証言から三十代の女が浮上したとアナウンサーはつづけた。
 女には結婚詐欺の疑いが持たれていた。自称した経歴は女優であったり美術商であったり、工場経営者であったりとさまざまだった。交際相手らの語る容姿は同一人物とは思えないほど異なった。人物像も無口で控えめ、派手好きで陽気、冷静で論理的、感情豊かな芸術家など一貫性がない。女はけっして写真を撮らせなかった。被害者には大金を融通した者もあれば工業機器の中古取扱業者を紹介した者もいた。
 警視庁は重要参考人として女の行方を追っていた。
 洗い場に並んで体を流していた教師は生徒の視線に気づいた。「躾けの跡だよ。教育は一生の財産になる」
「おれは父ちゃんがいないからわからない」
「お袋さんがいるだろう」
 ちありは軒先のベンチでコーヒー牛乳を飲んでいた。薄いタンクトップとジャージだけの姿に将大は動揺した。子どもの頃は毎日見慣れていたはずなのに。
「ちゃんと洗ったか。耳の後ろとか足の指の間とか」
「うっせえなくそじじい」
 ふたりの掛け合いを将大は疎外された気分で眺めた。凰馬といる幼馴染は他人のように遠く感じられた。文化横丁まで一度も声をかけることができなかった。
 凰馬は店番を将大に押しつけた。風呂代を奢ったんだからそれくらいやれよ、金をとって酒を出すだけだと彼はいった。なんだよそれ意味がわからねえと将大は抗弁した。わからなければ客に訊け、みんな常連だから。なんで教師のあんたが生徒のおれにバーテンをやらせるんだよ、未成年だぞ。子どもに金の勘定はさせないさ、あそこに並んでる酒は高いから出すなよ。
 凰馬は将大の不平を無視し、ちありを連れて刻文町の中華料理屋へ向かった。公務員の収入ではランチでも気軽には入れない店だ。数ヶ月前から予約が必要だと同僚が噂するのを凰馬は聞いていた。
 岩のように大柄な男がのっそり出迎えた。「例の押しかけ女房?」
「強姦犯だ」
「まさか辻さんがねぇ。昔は珍しくなかったが……。いつまで教師なんかやってるんだ」
「その話をしにきた」
「ようやくその気になったか」
「そう嬉しそうな顔をされるとはな。決めるのは田崎さんだ」
「戦後この界隈であんたの祖父さんに世話にならなかったやつはいない。おれの育ての親もそうだ。当時はいろいろあった。田崎さんは奥で待ってる」


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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