八秒、栄光のとき

第4話: 第四章 ~残氓Ⅰ

Avatar photo書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2022.07.08

コーリッツは吹き上げられた砂埃の中を歩いている。通りに立つ速度規制の標識は黄ばんでおり、投げ捨てられた空き缶が転がっていく。道路脇にビッグホーン(※ ウシ科ヒツジ属の偶蹄類)の胎児の死骸を見つけたコーリッツが足を止めた。青や紫、赤みがかった不定形の骸は蜜蝋で塗り固められたように、熱されたアスファルトの上でうずくまっている。すべての動物の特徴を具えた骸は目を瞑っており、無邪気な笑みを浮かべているように見える。骸の前で膝を折ったコーリッツは搔き集めた砂粒を骸にかけた。
 小一時間ほど歩いたコーリッツの額には玉のような汗が張り付いていた。コーリッツは掌で汗を拭い、目の前に建つレンガ造りの二階建ての建物を見上げて入口に向かった。建物に入るなり、中央に設置された円筒形の受付ブースの中でペンをはしらせているタイニーが手を止め、身体を揺さぶりながら立ち上がった。
「あら、ベンジー。久しぶりね。調子はどう?」
 コーリッツが白い揉み上げを掻くと汗が滴り落ちた。
「暑くて仕方がない」
「歩いてここまで来たの?」
「年寄は時間を持て余すんだ。エミールは?」
プッシュフォンに目を落としたタイニーが「電話中よ。ジェイミーから」と言い、コーリッツが
「どこのだ?」と尋ねる。タイニーは手をヒラつかせると
「出世したジェイミー」
 コーリッツが「麻薬取締局のか。ここで待たせてもらってもいいかな?」と言い、タイニーは首を横に振った。
「デスクに行ってもらって構わないわ。エミールったら、もう二〇分も長電話しているのよ。昔話なのか内緒話なのか知らないけど、プライベートなことなら自分の携帯電話でやって欲しいわね。それに、ジェイミーと話すと、一日中、機嫌が悪い」
「大抵の時、あいつは不機嫌だ」
「そう? 昔、あなたに教わっていた時の話をする時は楽しそうよ。あれで、あなたには感謝しているみたい」
「感謝しているなら、小僧を押し付けたりしない」
 不思議そうな顔でタイニーが聞き返すとコーリッツは「なんでもない」と言って階段に向かった。一段一段を踏みしめるように上ったコーリッツは自身を鼓舞するように手摺を叩いて廊下を歩き出す。かつて悠然と歩いたはずの廊下は長く険しいものに感じられた。木製のドアをノックすると、中から肯定とも否定ともとれる答えが返ってきたので、コーリッツはドアノブを捻った。部屋の壁にはレンジャーたちの顔写真が額装されており、観葉植物が青々とした葉を揺らしていた。椅子に腰掛けているエミールは受話器から伸びる螺旋状のコードを指に巻き付けている。エミールは
「客が来た。それじゃあな」と言って受話器を置くと立ち上がり、手を差し出した。コーリッツがエミールの手を握る。エミールのループタイ、深緑色の飾りが淡く輝いている。エミールは白いカウボーイハットのつばを撫でると「座ってくれ」と言い、コーリッツがソファに腰を下ろした。
「何か飲むか?」
「あぁ、頼む」
 受話器をとったエミールが内線番号を押し「コーヒーを持ってきてくれ」と言うなり受話器を置いてコーリッツの対面に腰を下ろした。エミールが言う。
「今、ジェイミーと話していたんだ」
「麻薬取締局のか?」
「あぁ」
「たしか、お前とは同い年だったな」
「知り合いの中では、一番、出世した」
「レンジャーを閑職だと思っているのか?」
「おれの誇りだ。最近だと、誰かから電話がある度に知り合いが死んだと知らされることが増えた」
「誰か死んだのか?」
 手をヒラつかせたエミールが「いいや。誰も死んじゃいない。ジェイミーが言わなかっただけかも知れないが」
「最近、国境はどうだ?」
 ため息をついたエミールが「越境者は増え続けている。建設中の壁はそのまま。まぁ、それはいい。どの道、壁なんてあろうがなかろうが変わらないんだからな。問題はそこじゃない」
ソファに寄りかかったコーリッツが「何が問題だと思う?」
「メキシコの治安だ。コーンの取引価格を安定させる必要がある。それに、汚職と不正も問題だ」
「そこまでわかっているなら、政治家になるといい」
「馬鹿言うな。おれはレンジャーだ。メキシコは長いこと戦争状態だ」
「メキシコは他の国と戦っているわけじゃない。相手はカルテルだ」
「そう、忌々しい、ついでに言うとおぞましい奴らだ。平気で生きたまま人間の手足を切り落として外灯に吊るす。奴らがどうしようもないのは治らないだろうが、問題の根本はこの国にある。一番の麻薬の消費国。不名誉な一番だ」
「だから、ジェイミーに電話していたのか?」
「連邦政府の貴重なご意見をうかがいたくてな」
 ドアがノックされ、エミールが返事をする前にドアが開いた。ステンレスの丸盆にコーヒーをのせたタイニーがコーヒーをテーブルの上に置いた。
「昔話をしていたの?」
「そんなことを話すために、ベンジーはわざわざ来たりしない」とエミール。タイニーが膨れた顔で
「嫌味はよして頂戴。ベンジーからも言ってやってよ」と言うと、頭を撫でたコーリッツが
「最近の話をしていたんだ。これでも、元レンジャーだから気になるのさ」
 エミールは胸ポケットに手を突っ込み、紙巻煙草の箱をとり出した。タイニーは鋭い目つきで言う。
「心臓手術を終えたばかりだっていうのに、煙草?」
 煙草を摘まんだエミールが「今更、禁煙したところで変わらない。ベンジーも吸うか?」
 コーリッツが「吸うのは家だけにしている」と言い、エミールはジッポライターで煙草に火を点けた。大きなため息をついたタイニーが「ベンジー、ゆっくりしていってね」と言って部屋を出て行った。コーリッツがコーヒーを啜り、エミールはクリスタルの灰皿に煙草を寝かしつけた。青白い煙がゆらゆらと立ち上っている。コーリッツが言う。
「それで、小僧を押し付けたのはどういうつもりだ?」
「小僧?」
「とぼけるな。ロデオに出場すると言っている小僧だ」
 手をヒラつかせたエミールがカウボーイハットのつばを撫でた。
「あいつの母親はヒスパニックのアメリカ人と結婚した。当然、結婚グリーンカードを取得している。だが、妊娠中に離婚した。英語も喋れないメキシコ人。仕事は下働きがせいぜいだ。おれは移民弁護士を紹介して、仕事の世話をした。それっきりだったんだが、あいつの母親は困った時はおれを頼れと教えていたらしい」
「困った時の意味をはき違えている」
「まったくだ。だから、お前に頼みたい」
「ロデオがどれだけ危険かは知らないわけじゃないだろう? お前が教えてやればいい」
「おれは忙しい」
「だからって、馬に乗れなくなった年寄りに任せるほうがおかしい」
 フィルターだけを残して消えた煙草から弱々しい煙が立ち上っている。コーリッツは飲み干したコーヒーをテーブルに置いた。エミールが言う。
「引き受けてくれ」
「お前の顔を立てるためにか?」
「どう考えてくれても構わないが、お前のためだ」
 立ち上がったコーリッツが「調子のいい奴だ」と言った。

 レンジャー事務所から戻ったコーリッツは、家の裏手に植えられたコットンウッドに寄りかかりながら煙草を吸い、吸い殻だらけの錆びたブリキ缶の中に煙草を捨てた。その後、コーリッツは厩舎の前を通って家に向かった。家の前ではカスティロが腰掛けていた。コーリッツはため息をつき、顔を上げたカスティロが立ち上がって口を開いたものの、コーリッツが手で遮った。
「昔ならいざ知らず、今はお前ぐらいの齢の子供は学校に行く。馬鹿なことを言っていないで学校に行くんだ」
 カスティロが漆黒の髪を揺らす。瞳には憤怒が渦巻いている。
「ヒスパニックにロデオはできないと思う?」
「いいや。いいカウボーイを沢山、知っている」
「学校で言われるんだ。ヒスパニックはテキサス人じゃないってさ」
「人種が土地を作るなんて考えは愚か者の考えだ」
「じゃあ、何が作るの?」
 コーリッツは地面に転がる白い綿を見て「誇りだ」と言った。
「その誇りはどこからくるの?」
「質問ばかりだな。お前自身の考えはどこにある? お前が誇れるものは何だ?」
 カスティロはコーリッツのタンザナイトのような色の瞳を見て
「ないよ。だから、欲しいんだ。ぼくが誇りあるテキサス人だっていうものが」
「いくら欲しがったところで空から降って来るものじゃない」
「それぐらいわかっているよ。ぼくは認められたいんだ」
「まずは自分を認めてやれ。話はそれからだ」
 カスティロが項垂れると、コーリッツが「何をしている? ついて来い」と言った。
コーリッツが厩舎の吊り扉を引くと、砂埃を踏んだレールが軋んだ。開け放たれた厩舎の中から馬の匂いが漂う。コーリッツの姿を見た鹿毛のスタンダードブレッドが大きな黒い目を輝かせて尻尾を振る。二人は空っぽの馬房を通り過ぎ、馬の前で足を止めた。馬が頭を出すとコーリッツは馬の首筋を撫でながら
「撫でてみろ」
 カスティロはおそるおそる手を伸ばし、馬は左右の耳をバラバラに動かした。
「お前がおっかなびっくりだと、馬も不安になる」
「噛みつかない?」
「噛むことはある。それはお前がこいつにとって嫌なことをしようとした時だ」
カスティロは「そんなことしないよ」と言って馬の首筋に指で触れ、そのまま鹿毛の毛並みを撫でる。首筋は脈打っていた。コーリッツが言う。
「どうして、ロデオに出ようなんて思った?」
 馬の黒い瞳にカスティロの仏頂面が映る。
「クラスの奴らに言われたんだ。テキサス人なら、それぐらいできるって」
「そんなわけない」
「わかっているよ。でも」
 カスティロの言葉が千切れた雲のように漂う。コーリッツが「認めさせたいというわけだな? いいだろう。ところで、ロデオの何の競技に出るつもりだ?」と尋ねると、カスティロが不思議そうな顔をした。
「ロデオって、暴れまわる馬に乗るものじゃないの?」
 顔を顰めたコーリッツが「競技は様々。それぞれが別物だ」と言い、カスティロがハーフパンツのポケットから折り畳まれた書類を一枚とり出して広げた。
「ステア・レスリングって書いてある」
「競技の内容を知っているか?」
「知らない。とにかく、なんでもいいから出場させて欲しいと言ったら、それに空きがあると言われて名前を書いたんだ」
 額を撫でたコーリッツが「何も知らずにロデオに出場すると決めたのか? まったく……いいか? 暴れ馬に乗るのはサドル・ブロンコ・ライディングだ。鞍を装着しない馬に乗るのがベアバック・ライディング、牛に乗るのがブル・ライディング。お前が出場するのは、ステア・レスリング。一目散に走り出した若い牛を馬で追い掛け、飛びついて牛を倒す競技だ」
「牛を倒す? 殺すの?」
「地面に引き倒すという意味だ。もし、ロデオを根性試しだと思っているなら、その考えは捨てるんだ。ケガをするぞ。お前がサインした競技は力任せでできるものじゃない。馬術がキチンと身に付いたカウボーイでなければできない。試合はいつだ?」
「再来週の土曜日」
「無茶だ。ステア・レスリングは熟練したカウボーイがやる競技だ」
「コーリッツさんでも無理?」
「若い時に出場したことはある。だが、今はもう馬に乗ることすらできない」
「努力するよ。失望したくない」
 コーリッツは「エミールにはとんでもないものを押し付けられたな」と言い、カスティロが
「母さんは困った時はバーリングさんに相談するようにと言っているんだ」と言った。コーリッツはカスティロを上から下までしげしげと見る。Tシャツとハーフパンツ、すり減ったサンダル姿だった。
「マーク。その服装は駄目だ。明日、ジーンズとシャツを着て来るんだ。シャツは長袖で、キチンと襟があるものがいい」
「どうして?」
「礼儀だからだ。ブーツと帽子は貸そう」
 馬の首筋から手を放したコーリッツが手を出し、カスティロが筋張ったコーリッツの手を握った。

 コップに沈んだ義眼の青い虹彩に下着姿のコーリッツが映る。洗面台の鏡を手で擦り、顕現した体温が鏡を曇らせた。


作家、ジャズピアニスト、画家。同人誌サークル「ロクス・ソルス」主催者。代表作『暈』『コロナの時代の愛』など。『☆』は人格OverDrive誌上での連載完結後、一部で熱狂的な支持を得た。
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