八秒、栄光のとき

第3話: 第三章 ~マルケス・カスティロ

Avatar photo書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2022.07.08

膝丈ほどの高さのガスバーナーに赤々とした火が灯る。ボビーは血管が浮き出た黒い腕に握られた釘節刀ちょうせつとうを釘節に引っ掛けるとハンマーで釘節ちょうせつを叩き起こし、金属が打ち付けられる重い音が響いた。釘節が真っ直ぐになると、蹄鉄を剪鉗せんかんで挟み、蹄鉄を外す。削蹄用剪鉗さくていようせんかんに持ち替えたボビーが伸びた蹄を削切し、鎌で細かな部分を切り揃え、大きな爪ヤスリで蹄が平らになるまで擦った。高温になったガスバーナーの中では炎が白み、丸型の鉄が花火のような破裂音を発している。ボビーは大きなニッパーで湾曲した鉄を引っ張り出し、ハンマーを振り下ろした。鈍く、震え上がるほど重々しい音があたりに響き、後ろに立っているコーリッツが顎に手をやった。
「いつも感心する。どうして、そんなに迷わずにできるんだ?」
 首を振ったボビーが「気が散る。お喋りはもう少し待ってくれ」と言い、コーリッツがうなずく。ハンマーが振り下ろされ、赤黒い鉄の塵が舞い散る。後肢をひし形に変形させると、ボビーは新しい蹄鉄をバーナーに戻した。ボビーは汗だらけの顔を手で拭い
「こいつはずっと、おれがやっているからな」と言ってスタンダードブレッドをしげしげと見た。馬尻尾を振る。熱した蹄鉄を蹄に焼き付けると白い煙が立ち上り。馬は涼しげな顔で厩舎を見ている。ボビーは腰に巻き付けたポシェットから蹄釘ていちょうをとり出し、五本の蹄釘を打ち付けた。ボビーは休むことなく蹄壁ていへきから飛び出した蹄釘の先端を釘切剪鉗くぎきりせんかんで切り落とすと蹄釘の下に溝を彫り、クリンチャーで断端を溝の中に折り曲げながら埋め込んだ。その後、蹄鑢ちょうろで蹄釘の断端が滑らかになるまで削った。
 ボビーが馬を固定していた縄を解くと馬は軽快な足取りで歩き出した。肩を回したボビーが一息つき、口を開く。
「アーサーの馬がセレン過敏症(※ ミネラルの一種であるセレンを多量に摂取することで罹患する症状。セレン濃度の高い土壌で栽培された飼料が原因で引き起こされることがある)になったらしい。こいつは問題なさそうだが、アーサーから牧草をわけてもらっているなら気を付けたほうがいい」
「適当にビタミン剤を注射したんだろう」
 首を横に振ったボビーが「ビタミン剤は使っていないと言っていた。競走馬じゃないからな」と言い、コーリッツは渋い顔で
「あいつから牧草をもらうのは控えよう。ボビー、教えてくれてありがとう」
「礼を言われるようなことじゃないさ。このあたりの土地の問題……要するに、お互い様ってやつだ。次も来月でいいか?」
「もちろんだとも」
「ところで、ベンジー。顔色が悪いように見えるが、調子が悪いのか?」
「どこも悪くない。齢をとると顔色が悪くなるんだ。土に還るための予行練習だろう」
 ボビーは剪鉗と爪ヤスリを道具箱に寝かしつけると「縁起でもないことを言わないでくれ。鉄屋は迷信深いんだからな。とはいえ、それだけ口が回るなら大丈夫そうだが」と言って、苦笑いを浮かべた。ボビーの黒い肌に浮かぶ歯は白く輝いていた。馬がコーリッツの肩に鼻先を擦り付け、手綱を引いたコーリッツが「散歩に行きたいか? いいとも」と言い、ポケットからとり出した皺くちゃの紙幣を渡した。

 黄土色の地面をコーリッツは手綱を引きながら歩いている。あたりには黄ばんだ土埃。上空には白んだ土埃が舞っている。新しい蹄鉄を装着したばかりの馬は軽快な足取りで地面を歩き進んでいる。コーリッツが咎めるような口調で
「そう、速く歩かないでくれ。お前は思い切り走りたいだろうが、こちらはそうはいかないんだからな」と言い、耳を立てた馬が歩く速度を落とした。
「わかってくれて嬉しい。これでも、お前を自由にさせたいという気持ちはあるんだ。でも、そうすると、何かあった時に駆け付けられないだろう? 大昔、チーム・ローピング(※ ロデオ競技の一種)にデニスとラフが出場したことがある。デニスはエミールの親父で、最高のテキサス・レンジャーだ。今の若い奴はエミールを理想的なレンジャーだと口を揃えるが、まだまだだな。あの通り、怒りっぽい。元女房にはキチンと謝っていないし、不法移民の取り締まりにも乗り気じゃない。移民に対しては、あいつの意見も少しは理解できるところもあるが。それでも、元とはいえ一緒に暮らしたエリに対して冷たすぎる。いや、頑固と言うべきか? あぁ……話が逸れたな。デニスとラフは馬に乗りながら子牛を追って、後ろ足と首に縄をかけた。ラフが投げる縄が、ひゅっと空を切って、子牛に吸い込まれるみたいに見えた。カウボーイっていう言葉はあの二人のためにあるように思ったよ。レンジャーとして。男としてデニスは素晴らしかった。本当にな」
 コーリッツが満足げな顔で顎に手をやると、馬は尻尾を振り、渦巻き状に飛び回るハエを叩き落した。

 散歩を終えたコーリッツは馬を馬房に戻し、ブラシで馬の毛並みをマッサージした。その間、馬は大きな涙ぐんだ目でコーリッツを見ていた。厩舎を出たコーリッツは地面に転がる綿を見るなり舌打ちした。煙草を口にくわえたコーリッツがコットンウッドに向かった。
コットンウッドの下では若い男が煙草を吸っていた。コーリッツは首筋を撫でると目を細めた。
「ここで何をしている?」
 若い男は肩を竦め、茶褐色の手をヒラつかせた。
「煙草を吸っている。コーリッツさん?」
若い男が着るTシャツの模様、一筋の線がグニャリと曲がった。
「あぁ、そうだが……その前に自分から名乗るのが礼儀だ」
 地面に煙草を落とした若い男が「マルケス・カスティロ」と名乗った。喉を鳴らしたコーリッツが
「煙草をそこらに捨てるな。灰皿が見えないのか?」と言って、錆びだらけのブリキ缶を指差す。
「ゴミかと思った。拾ったほうがいい?」
「当たり前だ」
 億劫そうに膝を曲げたカスティロが煙草を拾ってブリキ缶に放る。
「それでいい。何の用だ?」とコーリッツ。大袈裟に息を吐いたカスティロが
「ぼく、ロデオに出るんだ。でも、馬に乗ったことがなくてさ。だから、思い切ってバーリングさんに聞いたんだ。どうしたらいいの? って。そうしたら、ベンジーに聞けと言われたんだ。それで、来たというわけ」
 コーリッツが目を細める。青い瞳孔の義眼は微動だにしない。
「エミールからそんな話は聞いていない。人違いだ」
「間違っていないよ。ここに住んでいるベンジャミン・コーリッツに聞けと言われたんだ」
 ため息をついたコーリッツが「この齢でロデオなんてやらない」と言うと、カスティロは早口言葉のように「ベンジーに聞くのが一番だ。親父の次にいい馬乗りだったと言っていたよ」
「デニスの次は光栄だが、エミールだって馬に乗れる。あいつも中々だ」
「バーリングさんには断られたんだ。それに、繰り返すけど、あなたが一番だからって言われたんだ。ねぇ、意地悪しないで教えてよ」
「意地悪なんてしていない」
「じゃあ、教えてくれるんだ」
「お前」
「マルケス」
「いいか、マルケス。齢はいくつだ?」
「人に名前を尋ねる時は自分から。これって相手に齢を聞く時もでしょ?」
「齢なんて忘れた」
「自分の齢なのに?」
 ため息をついたコーリッツが「六五だ。これで満足か?」と言い、カスティロは薄ら笑いを浮かべてうなずく。
「ぼくは一七」
「子供が煙草を吸うな」
「コーリッツさんだって」
「もう一度言おう。子供は煙草を吸うな」
 首を振ったカスティロが「わかったよ」と言い、コーリッツが
「約束だ。この約束というやつは聖書に手を置いた時だけのものじゃない。何があっても破らないと決めることだ」
「約束するよ。煙草はやめる。それで、ロデオは教えてくれるの?」
 半歩進んだコーリッツが目をぱちくりさせた。カスティロがコットンウッドに寄りかかった。
「今日は帰れ」
「明日、来たら教えてくれる?」
 回れ右をしたコーリッツが「考えておく」と言い、家に向かって歩き出した。

 ラジオ番組〈テキサス・ツイスター〉を聴き終えたコーリッツがソファから立ち上がった。クッションは彼の身体に合わせるように凹んでおり、自身を投影したように色褪せている。コーリッツはチェック柄シャツの上にチョッキを着ると壁に掛けられたつば広の帽子をかぶって外に出た。
砂埃に覆われたアスファルトの上に灯る光はコーリッツが握る懐中電灯のみ。道路脇では鋭い爪で掘った穴に鼻先を突っ込むアルマジロが頭を上げ、老人を見た。吹き出物のような黒い目をしたアルマジロは老人が通り過ぎるまで動きを止め、老人が去ると口内でうねるミミズを飲み込んだ。
三〇分ほど歩いたコーリッツはバーのドアを押して中に入った。見知った顔の客たちが恭しい態度で帽子に手を触れ、顎を上下させた。シャツにブーツ、白いカウボーイハットで統一された男たちに向かってコーリッツが「エミールは?」と尋ねると、グラスに入った円形の氷を指で突いた男が「今しがた帰った。伝えることがあるなら、明日にでも伝えておくよ」と答えた。
「別に、大したことじゃないんだ」
男は「大したことじゃないのに、わざわざ来たのかい?」と言って、緑色の目でコーリッツを見る。
「自分の口で言いたくてな」
 コーリッツが出て行こうとすると、男は「折角、来たんだ。一杯どうだい? みんなもベンジーの話が聞きたいだろ?」と言い、テーブルを囲む男たちもうなずいた。帽子のつばを撫でたコーリッツが椅子に腰を下ろす。
「ビールを」
 男が目配せすると、カウンターのウェイターがうなずいた。男は両手の指を交差させ
「ついさっき、エミールから人食いエドマンズの話を聞かせてもらったんだ」
 小さくため息をついたコーリッツが「昔の話だ。飲酒運転したお前がホッパーの家に突っ込むよりも前だ」
「よしてくれよ。思い出したくない話だ。まぁ、今じゃあ、笑い話だがね」
 中年のウェイトレスがテーブルにビールを置き「ベンジー、元気にしていた? 最近、見掛けないから心配していたのよ?」と言ってコーリッツにハグした。コーリッツはウェイトレスの肉突きのいい肩を軽く叩く。
「デボラ、心配してくれてありがとう。いつも通りだとも」
「足の具合はどう?」
「相変わらずさ。なんとかやっているよ」
「折角、立派な厩舎があるんだから、カウボーイを雇ったら?」
 首を横に振ったコーリッツが「馬一頭、年寄り一人で十分だ。気楽でいい」と言い、前掛けを撫でたデボラが
「無理しないで。困ったことがあったら、いつでも相談して頂戴」と言って奥に向かった。ビールを一口飲んだコーリッツが顔を顰める。
「それで、お前たち。なんの話が聞きたい?」
 男が「人食いエドマンズについて」と言い、他の男たちが神妙な面持ちでうなずいた。
「昔の話だ。もう終わった」
「エミールはそう思っていないらしいぜ?」
「あいつは感傷的すぎる。終わらないものはない」
「それがベンジーの意見かい?」
「あぁ。たとえ、結果に満足できなくてもな。残念に思うか?」
 男は空になったグラスを振って球体の氷を鳴らし「終わりがなければ、物事に区切りがなくなるし、前に向かって歩いて行けない」
「そうだ。とはいえ、終わったと思っても、実は終わっていないようなものもある。一六の時の話だ。馬に乗って牧場の見回りをしていたとき。その日は有刺鉄線を巻いた柵のまわりにコイドッグ(※ コヨーテとイヌの交雑種。コヨーテよりも家畜を襲うことが多いとされる)のクソが落ちていないか、目を皿のようにして見回った。前の日にメキシコ人のカウボーイから鞍を買って、それを試したんだが、寸足らずで使い物にならなかった。裸馬に乗っているみたいだった。馬から降りて、柵を背にして地べたに座っていた。サンドイッチを食べていた。上は青、下は赤茶。今と変わらない。水筒の水を飲んでいる時、丘の上に獣の姿が見えた。それはコヨーテ、野良犬、コイドッグよりも大きかった。オオカミだ。知っての通り、オオカミはうんと昔に一頭残らずいなくなった。大昔はオオカミを殺して役所に持って行くと報奨金が貰えた。ふと、そのことを思い出したが、持っていたのは拳銃一つ。当たりっこない。それでも、追い払うぐらいはしないといけない。空に向かって引き金を引いた。銃声はうんと先まで聞こえたと思う。怯えた家畜たちが固まっていた。オオカミはこちらを一瞥して丘の向こうに走り去った。灰色の背中は銀色に輝いていた。あれは、ろくに逃げ回ることもできない家畜を襲う獣の姿じゃなかった。神々しい? いや、違う。神が御造りになったにしては、いささか上手く出来過ぎていた。神が御造りになったものは、どれもこれも欠点があるからな。神がそうあれと御命じになったんだから仕方がない。だからこそ、人はお互いの欠点を認めて、赦すように努力する必要がある」
 眉を上下させた男が「ベンジー、説教師になったほうがいいぜ」と言った。コーリッツはビールを飲み干し、口を開く。
「それでも、すべてが喉元過ぎれば熱さを忘れるというわけでもない。いつまで経っても苦しみ続けることもある。実際、ほとんどのことはそういう風にできている。これも御命じになられたものなら、ありがたく頂戴しなくてはならんのかも知れんが、難しい。世の中は過酷だ。お前たちは色々な選択をすることだろう。その時は一番いいものを選んだつもりでも、後悔し続けるようなものが。だから」
「だから?」
 小さくため息をついたコーリッツがポケットからとり出した小銭をテーブルに置き
「ここから先の答えがあるのかないのか、それすらもわからん。すっかり話し込んでしまったな。帰らせてもらうよ。お前たち、あまり深酒するなよ。エミールは小言が好きだからな」と言って立ち上がった。


作家、ジャズピアニスト、画家。同人誌サークル「ロクス・ソルス」主催者。代表作『暈』『コロナの時代の愛』など。『☆』は人格OverDrive誌上での連載完結後、一部で熱狂的な支持を得た。
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