血と言葉

連載第5回: 幼馴染みの日(1)

アバター画像杜 昌彦, 2022年07月08日

遊  田将大ゆだまさひろは海堂ちありのことなら何でもわかると思っていた。兄妹のようにずっと一緒に育ったのだ。
 ある晴れた午後、海堂家の若奥様に、公園のジャングルジムで遊んでいるところを捕まえられ、うちの娘をよろしくねと頼まれたのを鮮やかに記憶している。見込まれた理由はわからない。市内を見下ろす金持ち住宅街と、丘のふもとの安アパートに接点があろうはずもないし、貧しい母子家庭の子として、それ以上にやんちゃを自認する男子として、金持ちの女子の家に気安く出入りするのは自尊心が許さぬはずだった。いくらお菓子や玩具を餌に釣られようともだ。まさか互いの家で夕食をとり風呂に入り、テレビを見たりゲームをしたりするような生活が日常となるとは、そのときの彼には思いもよらなかった。
 若奥様はかつてモデルだったとも舞台女優だったとも噂されていた。何かの事情で東京を離れ、夜の店で働いているところを、先妻を病気で亡くした海堂家当主に見初められたという。あくまで噂であって本当のところはだれも知らない。ジャングルジムから降りて見上げた相手は、今思えばあの午後すでに、娘を残して去るつもりだったのかもしれない。逆光を背にした彼女は子ども心にも美しかった。娘のちありは顔立ちこそ整っていても同じ輝きはなかった。どうして若奥様みたいにハキハキ喋らないんだろう、どうしてそんなに引っ込み思案で、何をやらせても愚図なんだろうと苛立たしかった。
 無口で陰気で感情の表出に乏しく、いつもひとり遊びをしているちありは、幼稚園でも小学校でもいつも虐められていた。本人は気にしていないらしく、どれだけ傷つけられようが無頓着に見えた。現実にうんざりしながら別の世界を見ているかのようだった。それが将大には癇に障った。若奥様に気に入られたい気持を別にすれば、あるいはその苛立ちが動機となったのかもしれない。ちありが髪を引っ張られたり突き飛ばされたり陰口をきかれたりするたび、将大はむきになって彼女を庇った。暴力をふるう男子は三倍にして返り討ちにした。女子の陰口にも腕力でやり返し、学校に母親を呼び出されてしこたま説教された。仕事を休んで頭を下げる母親は自分を責めた。そんなときも将大は謝罪も弁解も一切しなかった。いいわけをするのは女々しいと思っていた。
 殴り合いの喧嘩はむしろ男子の友情を深めもしたが、女子の陰湿さには手を焼いた。制裁を加えれば自分の見ていないところで虐めが熾烈になるだけだった。どうにもならなかった。しかし小学校高学年になると女子は将大に逆らわなくなった。ちありへの攻撃も沈静化した。将大は自分の前でだけは女たちがやけにしおらしくなるのに気づいた。大股ひらいて口汚く悪態をつきながらゲラゲラ笑っていたかと思うと、スイッチを切り替えたかのように内股で小声で上目遣いとなる。接する相手によってまるで呼吸するように態度を変えるのが女なのだと知った。だれに対しても無愛想なちありは、やはり変わっているのだろうと将大は思った。
 要領を得ない手紙が下駄箱にたびたび入った。携帯を持ってからは親しくもない相手に連絡先を訊かれて困惑した。どの女子も決まって直後から同性による虐めの標的にされた。まるで将大に触れさせまいと互いに牽制し合うかのようだった。おかげで将大は十七にもなっていまだ童貞だった。
 ちありだけがなぜかその牽制の対象外だった。まるで存在を無視しつづければ消えてなくなるとでもいうかのように。中学までは男子によくからかわれた。家が近いだけだよ、と交際を否定し話題を変えた。しつこく訊き出そうとする者には機嫌を害し、ときには手も出るので周囲もやがて学習した。海堂ちありは将大の前で触れてはならぬ名前となった。だれもが注意深くその話題を避けた。女子からは黙殺され、男子からは、将大の理解不能な悪癖として受け入れられた。それはふたりが同じ高校へ進学してからもつづいた。つねに友人の笑い声に囲まれている将大の、ちありは影のようなものだった。だれもが気づいてはいるが公然とは語られない影だった。
 高校へ進学してからは互いの家を行き来することはなくなった。将大は部活とバイトで疲れ果て、互いの家のあいだの坂を登り下りするのが億劫になった。ちありは勉強で忙しいようだった。母親の失踪以来、父親が厳しくなったとは本人から聞いていた。もとより身なりに頓着せず、美容院を嫌う女だったが、自分を傷つけるかのように髪を雑に切るようになった。クラスや部活が違うため、登下校をともにしたり校内で会話を交わしたりする機会は減った。それでも彼女を理解していると将大は信じていた。まったくの無表情に見えるちありの、わずかな感情の機微に気づけるのは自分だけだと。彼女が母親に去られて塞ぎがちになってからはなおさらだ。
 だからこそ裏切られた気分だった。級友の評判は相変わらず「薄気味悪い陰気な女」のままだったが将大は気づいた。この一年でちありは急に母親に似てきた。仕草が女を感じさせた。まるでいなくなったのは母親ではなく娘であるかのようだった。何も告げずに変わってゆく幼馴染と、そうさせた男が許せなかった。
 現代文の授業のたびに、こんな男のどこが、と思いつづけた。天然パーマに不恰好な眼鏡。容姿は人並み以下だし猫背のせいで卑屈に見える。生徒には完全に舐められていて授業を聞く者はなかった。私立ならとっくに馘になっていたろう。確かにこの男が生徒に腹を立てるのを見たことはない。だがそれは優しさではなく、物事の感じ方が異質であるからのように思えた。この男にとってすべてはどうでもいいのだ。関心のない番組のように消すのが面倒だから眺めているだけ。教える義務は果たしているのだからあとは好きにしろという態度だ。そういう教師のほうが何をするかわからない。
 ちありは騙されている、と将大は思った。あの晴れた午後におれは彼女を託されたのだ。若奥様が不在の今、救えるのは自分しかいない。
 嵐の翌日、ちありは目のまわりに痣を作って登校し、気分が悪いからと早退した。それで我慢の緒が切れた。件の男と数学教師の青山が親しいのは知っていた。外堀から埋めようと決意した。青山は女子生徒に人気があった。服装も身のこなしも洗練されていた。落ち着いた人柄は同性から見ても好ましかった。辻とつるんでいるのはこの高校の同窓生だからだと噂に聞いた。当時のふたりは想像できなかった。辻凰馬は醜く、不器用で、人間らしいふるまいかたを知らないかに見えた。あまりに対照的だった。
 放課後、将大はバイト先に欠勤の連絡を入れ、筋トレ部と揶揄される野球部の活動もさぼった。ゴム舗装の校庭は使わせてもらえず、まともな練習ができるのは大学の運動場を借りられる土日だけだった。運動部を担当していない辻はだれよりも早く帰宅した。仕事への情熱も出世の意欲もなく、同僚の視線に耐えるほど面の皮も厚いのだろう。一時間ほど遅れて写真部顧問の青山が職員室を出る。いつも通りだ。校門で待ち構えて呼び止めた。「先生に話がある」
 好奇の視線を集めたのに気づいた。女子たちが含み笑いで妄想を囁き合っている。いちいち気に留めていてはきりがない。
「質問なら職員室で聞こう」青山は引き返そうとした。その腕をつかんで引き止めた。
「学校では話せない」
 青山はじっと将大を見つめた。「海堂のことか」
「ここでその名を出すな。いいから来いよ」


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。