杜 昌彦

血と言葉

第4話: 雨の夜(4)

書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2022.07.07

その頃の凰馬は粗暴な父の言いなりだった初めて会う老人にそれまでずっとよき孫であったかのように爺ちゃんと呼びかけた祖父もまた義理の息子の思惑を知った上で孫を受け入れたそうして死なれるまでの三年間凰馬は祖父の世話をした学期末の繁忙でどんなに孫の帰宅が遅れても祖父は夕食をとらずに待っていた毎夜のごとく酒を酌み交わし昔話や政治の議論をした市内の中心部を見下ろすこの住宅街はだから凰馬にとってつらく懐かしい場所だった
 海堂邸はそれ自体が目印になるような城塞めいた屋敷でよそ者でも迷わず行き着けそうに思えた寺のような門が自動で開閉し車は玉砂利の敷かれた長い道をのぼったメイド服の使用人に迎えられ広大な応接室へ通された古めかしい絨毯が敷かれ調度品がごてごてと飾りつけてある高い天井からはシャンデリアが吊られていたどれも高価な骨董品なのだろうが凰馬には大したものには見えなかったどうしても祖父の家と較べてしまう衷次郎の家は人目につかない奥まった場所にあった今は成金の新興やくざが住んでいると聞いたあんな古い屋敷に住みたがる心理が凰馬にはわからない箔がつくとでも思っているのか
先生をお連れしました私服刑事の片方がいった
 暗い日本庭園を眺めていた五十がらみの男がマホガニーのデスク越しに振り向いた現場を離れて久しいのが恰幅のいい腹でわかった着流し姿だった子どもの頃父親の挨拶回りで訪ねた政治家がこんな格好をしていたのを凰馬は思い出した写真の若い祖父も和装だったがもっと粋に見えた出逢ったときにはヘルパーに買わせた毛玉だらけのスウェット上下だった
きみが娘をかどわかした教師か
辻凰馬です現代文を担当しています
訊かれたことに答えろ何をしでかしたかわかってるのか
 人生で何をしてきたか自覚している人間なんているのか。 「県警本部長ともあろうお方が市民を拉致してその挨拶ですかまずはそっちから名乗るのが筋じゃないですかね海堂宗介さん
二度と教職に就けないようにしてやるいやどんな仕事にもだ
 あの娘にしてこの親ありかと凰馬は思った出所後の生活を考えた教職以外の仕事は店のほかに経験がない学生時代のバイトでさえ家庭教師一本だった今さら給料を要求すれば田崎老人はどんな顔をするだろうどのみち今の生活がいつまでもつづくとは考えていなかった
署ではなくご自宅を選んだのには理由があるんでしょうこのひとたちはいいんですか
どういう意味だ
聞かれたくない話もあるかな
聞かれたくないのはきみのほうじゃないのかね辻君
小六まで寝小便してたのはおれじゃない座っていいですか凰馬は返事を待たずに腰をおろした低いテーブルから焼き物を取り上げしげしげと見つめる。 「これ灰皿ですよね借りますよジッポでピースに火をつけ顔を上げて警官たちを見回した。 「どうしたんですせっかくですから爺ちゃんの思い出話でもしましょう
本部長喋るほうの部下が困惑したようにいった
聞きましたようちの柿を盗んだんですって? さすが本部長大した度胸だ木から降りられなくなって泣いてるのを爺ちゃんに助けられたとか大瀬川で溺れたのを救出したとも自慢してたけど……あそっちもほんとなんだてっきり作り話かとあんな稼業なのに子どもが好きだったんですね
本部長喋るほうがまたいった
もういい仕事に戻れ本部長がいった
 無口なほうの部下が小さく噴き出した
とっとと出て行け!
 刑事たちは踵を返して出て行った
元気な頃の爺ちゃんを知ってるひとと話せて嬉しい本人は恥ずかしがって話してくれなかったんです隠居するときは躊躇なく組を解散して恨みを買ったようですね抗争も起きたとかおかげでだれも昔の話を聞かせてくれない警察にもご迷惑をおかけしたのでは
鳥巳衷次郎の孫にして辻直継の息子か犯罪者の血筋だなどうやって教職に潜り込んだ
だれも調べなかったんでしょう新聞で読みましたが書類を偽造して二十年も無免許で勤めた教員がいたそうです
娘をどこへ隠した
帰ってないんですか熱があって早退したはずですが
昨夜おまえといたのはわかってるんだ
それは昨夜の話でしょう
否定しないのか
否定してどうなるんです
訴えればおまえは破滅だ
お嬢さんも傷つく
 本部長はぐっと言葉を呑み込み歯を噛みしめて凰馬を睨んだ
ちゃんと話し合ってますか学校の生活や進路のこと晩ご飯は一緒に食べてます?凰馬は肺に煙を満たし深い溜息をつきながら灰皿で火を揉み消した。 「当ててみせましょうかあなたはお嬢さんの気持や考えがわからない予期した結果になり苛立ちを加害者にぶつけている
 本部長は立ち上がりデスクを回り込んで凰馬の前に立った紅潮したその顔を凰馬はうんざりして見上げたそれから生徒の父親の慄える拳を眺めた拳は振り上げられなかったそうなる前に力が抜けるのを凰馬は見た
ついて来たまえ
 海堂宗介は大股に部屋を出て行った凰馬は火をつけようとしていたピースを箱に戻し上衣のポケットにしまった吹抜けのホールの階段を本部長についてのぼったちありの体型は母親に似たのだろうと凰馬は考えた
 二階に使用人の姿はなかった本部長は扉を開けて凰馬に入室を促した凰馬は絶句し吐き気を感じた
 四方の壁に夥しい写真がびっしりと貼り出されていたそのすべてが凰馬を盗撮したものだった教科書を片手に机間巡視する彼背を向けて板書する彼職員室で採点する彼古書店にいる彼買い物袋を下げた彼カウンターで酒を出したり文庫本を読んだりする姿まであったずっと以前から店に出入りされていたのを凰馬は知った
 マーカーで彩られた手書きポップのようなものも散見された指導案に書いたのと同じ言葉を見つけてぞっとした身に憶えのないものも多かったがすべて凰馬が過去に発した台詞と思われた小学生の頃から使っているとおぼしき学習机には化粧と勉強の道具が散乱していてマーカーで彩られた付箋が鱗のように貼られていたそこには凰馬の一日の行動パターンが事細かに記録されていた
 台風に関する記事を印刷したものもあったカレンダーにはきのうの日付が赤いマーカーで囲われて決行!と書かれていた
 説明を求めて振り向いた海堂宗介の憔悴した目に見つめ返された凰馬が知っている以上は何も知らないことがわかった娘の奇行に狼狽し途方に暮れる凡庸な父親に過ぎなかった
 凰馬は質問を変えた。 「母親はどんな人物なんです

 鍵を挿そうとして施錠していなかったことを凰馬は思い出した疲れ果てて何も考えたくなかった家出少女がどこへ消えようと事件に巻き込まれようと知ったことか非常灯で床の泥が見えた開店前に掃除が必要だったネクタイを緩めながら二階に上がった
 人の気配を感じるのと本で殴りつけられるのは同時だった制服に裸足の生徒が本を次々に投げつけてきた長屋は地震のように揺れた凰馬は書類鞄で顔をかばいやめさせようとしたちありは両手で大型辞典をつかんで殴りかかってきたやがて本は力を失い弱々しく彼の胸を叩いて畳へ落ちたちありは凰馬の腰にしがみつき脱力して膝をついた凰馬は引っ張られるままに腰を下ろした
 窓から青いネオンが射していたちありは万年床に座り込んで泣いていた布団の上にA4のコピー用紙が散らばっていた凰馬は自慰を咎められた少年のようなばつの悪さを憶えた
何でこんなひどいこと書くのどうしてこんな気分にさせるのよ!
読んだのか
つづきは? 何で隠すの
それで全部だ読む人間がいるとは思わなかった文机の抽斗にしまうべきだった
先生がこんなの書いてたなんてだれもまだこの本を知らないのよ
本じゃないただ書いただけだ
 ちありは高熱に浮かされたように凰馬を睨んだ濡れた瞳は世界を呑む闇のように見えた。 「もう先生だけのものじゃない世に出さないのは犯罪だよこれが本の原稿でなきゃ何なの?
 凰馬は初めてそのことについて考えたそして答えを見つけた
生活の残骸だ


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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