血と言葉

連載第1回: 雨の夜(1)

アバター画像杜 昌彦, 2022年07月04日

あと数日で十月にもなろうかというのに猛暑だった。教室の冷房は予算削減のために切られていた。生徒はだらしない格好で制汗スプレー臭い汗をかき、堂々と私語を交わしていた。
 辻凰馬は彼らが見えないかのように授業をしていた。縮れた髪は海藻のように額に張りつき、眼鏡は曇り、ワイシャツの腋には汗染みができていた。給料分の義務をこなせればそれでいいと思っていた。教壇に初めて立つ若造ではないのだ。出席番号の順に指名し、生徒に教科書を朗読させた。窓際の女子が飛ばされたのにだれも気づいた様子を見せない。いちいち嘲笑するのに飽きたのだ。風景の一部と化していた。
 たちの悪い生徒に数年に一度は出くわす。何喰わぬ態度で宴会芸のラバーマスクを被って授業を妨げるような輩だ。海堂ちありはただ凝視するだけではあったが度を超していた。異様な印象を与えるのは髪のせいもあった。おそらく鏡も見ずに工作用の鋏で切ったのだろう。十代向けの雑誌モデルでもしていそうな容姿をみずから憎んで傷つけたかに見えた。彼女を知らなければ虐めや虐待に遇っていると勘違いしたところだ。しかし何よりも異形なのは痩せた体と不釣り合いな大きな目だった。熱病のように濡れてぎらぎらと輝いている。
 粘着される理由もそうなった経緯も見当がつかない。授業後の質問が多いとは思っていた。夏期休暇の講習にちありは欠かさず出席した。二年生の現代文に生徒の切迫感はない。欠伸をしたりネイルを眺めたりしていた生徒たちは講義が終わると教室をそそくさと去る。バイトや部活や遊びなどほかにもやることがあるのだ。凰馬が板書を消しているとちありは嬉々として近づいてきた。凰馬は職務につけ込まれているかに感じた。拒む言葉を持たなかった。
 ちありの質問は授業から逸脱しはじめた。読書について語り、凰馬の好みに探りを入れるようになった。あしらいが難しくなった。『夏の闇』の性描写をどう思うかと訊かれた。授業にも受験にも関係ないだろう、そういう感想は友だちと話しなさい。凰馬は振り払うように職員室へ向かった。追われることはなかった。以来ちありはただ無言で見つめてくるようになった。授業する教師を生徒が凝視することは罪ではない。咎めようがなかった。その状態は新学期がはじまってもつづいた。何かよくないことに巻き込まれたのはわかっていたが手の打ちようがなかった。
 若い体臭と青臭い声。汗が目に染みた。凰馬は額を手の甲で拭い、眼鏡をかけ直した。あっ風、涼しいと声が上がった。カーテンを揺らす秋風は台風の兆しかもしれなかった。凰馬はつられて窓際へ目をやった。視線が合った。ちありの笑みが満面に広がった。赤い唇は切り裂かれた傷口のようだった。
 終業の鐘に救われた。起立、礼、着席。週番の号令がかかるときだけ生徒は静まった。再び喧噪が戻り、凰馬は板書を消して仕事道具をまとめた。戸口で数名の女子に取り囲まれた。
「先生、童貞ってほんと?」
 生徒たちは含み笑いを交わした。適性のない職業に就いたものだと凰馬は思った。青山なら気の利いた答えを返したろう。もとよりあの数学教師なら幼い憧れの対象にはなっても揶揄などされない。彼のようにはなれなかった。授業に関係ない、と呻くように呟いて生徒に笑われるのがせいぜいだった。
 ちありは陰りはじめた空を睨んでいた。

 文化横丁のバー「Ω」に凰馬はもともと客として訪れた。青山を別にすれば同僚との交流はない。仕事を終えると築三十年の独房めいたアパートへ直行する生活を何年もつづけていた。六畳の部屋には布団と文机、古いマックブック、それに祖父の形見である文鎮しかなかった。その日寄り道をした理由は自分でもわからない。じめじめした暗い路地に迷い込み、看板に吸い寄せられて、穴倉のような店内へ足を踏み入れた。その気まぐれが生活を変えようとは思いもしなかった。
 マディ・ウォーターズがかかっていた。たまたまその夜の店主の気分であり、日によって初期のビバップであったりロバート・ジョンソンであったりするのだが、煙草とウィスキーと埃の匂いが染みついた店内を見回した凰馬は、古めかしいオーディオで鳴るのが、今どき牛丼屋でさえ流れるハードバップではなく、泥臭い電化ブルースなのが気に入った。ケルアックやビル・エヴァンスのような太い黒縁眼鏡の老人が、数席しかないカウンター越しに、いらっしゃい先生、と声をかけてきた。糊のきいたシャツにヴェスト、蝶ネクタイ。白髪を椿油で撫でつけている。足もとがサンダル履きであるとはそのときの凰馬には思いもよらない。
 見知らぬ他人との会話は苦手だったが思わず声が出た。どうして先生と? 雰囲気だね、専攻は日本文学、まだ助教授ってとこだな。まさか、そんな柄じゃない、安月給の高校教師ですよ、担当は現代文。するとその鞄の中は生徒の答案かな。いや個人情報の持ち出しは禁じられてます、採点を終えて肩の荷が下りたところですよ、メーカーズマークをダブルでもらえますか、あと水を。
 酒を啜っていると目の前に青い缶が置かれた。白い鳩のロゴが描いてある。何です? と見上げると老店主は真顔で答えた、ピース。銘柄だとすぐには思い当たらず戸惑った。一本いかがかなと蓋を開けながら店主はいう。吸ったことないんです。一度も? そう一度も。健康が大切? 機会がなかったんです、親も吸ってなかったし。悪い友人もいなかった? まぁそうですね。人生の楽しみを逃しているね、試してみなさい。
 マッチで火をつけてくれた。最初は赤ん坊にキスするように、それから深く肺に煙を入れた。どうだね? 甘いですね。だろう? 煙が甘いとは知らなかった、ドライフルーツの香りがする、まるでタルト菓子みたいだ。指に煙草を挟んでバーボンを啜り、凰馬は笑みを浮かべた。悪くない。心から笑うのは教壇に立つようになってから久しぶりだ。近頃では渋面がずっと呪いの仮面のように貼りついていた。
 それが田崎老人との、そして「Ω」との出逢いだった。それからどういう経緯で店番を任されたのか憶えていない。気がつけば二階の四畳半に移り住み、昼は教壇に立ち、夜はたまに訪れる客のため、カウンターに立っていた。仕入れや経理は田崎老人の部下がやってくれた。凰馬はただ客と無駄話をしてたまに酒を出せばよかった。複雑なカクテルは要求されなかった。田崎老人が道楽でカウンターに立たせた案山子だとだれもが承知していた。
 週末には古書店で埃臭い文庫本を仕入れてきて、カウンターで読んだ。日本文学の古典もあればミステリもあった。読めれば何でもよかった。書くのは幼少期に文字を憶えてからの習慣だった。カウンターでピースを灰にしながら読み、あるいは書いて、客が訪れると文庫本やノートの蓋を閉じた。訊かれると「エロ本ですよ」「いけない検索をね」などと答えた。客は笑い、別の話をはじめて、それ以上は詮索されなかった。
 客たちは静かに飲んで去っていく。何も考えたくない夜は文鎮の手入れをした。朝まで何度も分解して組み立て直すうち、曲芸めいた早さで一連の作業をやれるようになった。眠れなくなって長い月日が過ぎていた。顔には皺が刻まれ、前髪はメッシュを入れたような白髪となった。
 同僚や生徒に嗤われ、上司や保護者に非難され、酔っぱらいの相手をしながら老いていく。それが自分の人生だと知っていた。


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。