プラットフォームは有名人を優遇し無名人を冷遇するし、 裁判は金を持ってるやつの勝ち。 フォロワーが万単位でフォロー数がゼロのアカウントが 「誹謗中傷への厳罰化を」 と書いていて怖いと思った。 プラットフォームが冷遇するのは無名人だけじゃない。 けっこう前の話だけれどアフロアメリカンの有名俳優がひどい差別にさらされたとき、 Twitter の運営は何もしなかった。 多くの利用者が差別の申立てをしたけれど却下。 その後、 トランプは優先表示されて結果はご存知の通りだ。 現代ではプラットフォームが人間の価値を決める。 その判断基準はギャディスの描く小学生のようだ。 違法ではないからやる、 金になるからやる。 ひとびとの価値観に根ざした差別は社会通念であり法にも触れず金になる。 その力に乗っかりフィルターバブルで膨れ上がらせればいい。 プラットフォームを後ろ盾につけた価値ある人間はない人間に対してなんでも好きなことができる。 Zの旗印のもとにウクライナ市民を虐殺し強姦するロシアの若者たちのように。 民主主義を実現したいならトランプの凍結を解除して 「右派にも平等」 とかいうんじゃなくて単純に表示優先度を無名人とおなじにまで下げればいいんだよ、 存在しないのとおなじくらいにまで表示を抑制して、 いいねもリツイートも加点しなければいいし、 いいねをタイムラインに流す仕様もやめればいい。 言論の自由がお望みなら、 いいねを廃止してリツイートも引用リツイートだけにして、 意見を加えなければ共有できないようにすればいい。 ところがかれらはそうしない。 なぜか。 民主主義は金にならないからだ。 市民からの搾取こそがかれらの目的であり、 そのための効率的な手段そなわち民主主義に見せかけた中央集権こそがかれらが実現せんとすることだ。 かれらは個人の価値を認めない。 あなたがあなたであることはかれらの商売を揺るがす。 金になるファシズムの時代へようこそ。 もちろんあなたの金ではない。 あなたが金なのだ。 あるいは石鹸やランプシェード。
三年間つづけた Mastodon サーバを停止した。 Fediverse の利用者層が期待はずれだったからだ。 そこも女児アニメ画像アイコンばかりの世界だった。 望む読者はそこにはいなかった。 合わない客に読まれて変な評価をされるくらいなら、 売れなくていいし、 フォロワーも減っていい。 そりゃまぁ売れに売れて大評判、 売上も評価もうなぎ登り⋯⋯みたいになればおれだって欣喜雀躍、 狂喜乱舞するだろうけれど、 そういう種類の本じゃないしなぁ。 おれがひとりで自己満足してるほうがいいよ。 そうさせてくれと思うが、 そうさせてはくれないのが Amazon なり Twitter なりのプラットフォームだ。 かれらはおれに無能を思い知らせずにはおかない。 おれは愛されずに育って、 いちどもだれからも肯定されたことがないのだけれど、 なんだかんだいって、 やはり肯定されたい気持は棄てきれずにいる。 他人に頼らず自力で肯定したい。 Amazon の商品ページという公の場に、 自分の作業の結果が表示されるのはそのための自己満足に役立つ。 江戸時代、 算額を神社に納めたアマチュア数学者たちも似たような心地だったのではないか。 ところがそのようにして売ることには難点があって、 客層はおれと合わないし、 有能な他人がどうしても視界にはいる。 自己満足で自己肯定感を高めたいのに、 逆の結果になる。 なむさんみたいに、 自分に最適の客層を見出す/に見出されるのはどうやってやるんだろうな。 かれは同人誌即売会やソーシャルメディアや公募イベントで地道に人脈をつくっていったようだけれど、 おなじことはおれにはやれない。 そしてそもそも、 おれに合った客層が存在しない。 おれは凡庸な人間なので、 読書傾向もそれほど変わっているとは思えないし、 それどころか読書家ですらないから、 だれでも読んでるような有名な本しか知らないはずなのに、 それでも他人とはかみあわない。 なぜなのかわからない。 すこしでも読書傾向がかぶるひととか、 おれがいいと思う書き手はみんな高学歴、 高収入で、 生まれ育ちや暮らし向きがぜんぜんちがう。 知性も教養もおれとは別世界だ。 おれが否応なしに感じて生きてきたようなことは知らずにすんでいるひとたちじゃないかって気がする。 だからおれの書くものを読んでもきっと理解しない。 おれに似た他人はどこにもいない。 おれの書くものをわかってくれる他人はいない。
一冊書き終えてから次を書きはじめるまであいだがあいてしまうのは、 落胆を乗り越えるのに時間がかかるから。 歳を経るにつれ失望が降り積もって、 乗り越えるのが困難になる。 無名人が書くのを許せないひとが一定数いて、 何か書くたびに目をつけられて 「無名人のくせにけしからん、 こらしめてやろう」 と黙るまで説教される。 書けば罰されるのがわかっているし、 そんな経験を重ねれば自分が世間的にまちがっているのは身に染みるから、 気力をふりしぼるのが年々むずかしくなる。 どう読んでもすぐれているとしか思えないおれの小説が、 だれからも評価されず、 ばかにされるだけなので、 価値があるコンテンツというのがどういうことなのかわからなくなった。 黒澤明の古い映画をみていた。 当時の世相がわかって興味ぶかくはあったものの、 退屈のあまり一時間で挫折した。 他人の小説もおなじ理由で読めない。 おれのがだめならどんな評判のいい本もたいしたことはないかのように思えてしまう。 無能を晒してみずからを貶め、 自己肯定感を毀損するだけなのになぜ書くのか自分でもわからない。 たぶん病気なのだろう。 『KISS の法則』 と 『ガーベッジ・コレクション』 を絶版にした。 どちらも中身は屑以下で、 表紙だけが気に入っていた。 迷っているのが 『逆さの月』 で、 2001 年の習作を 2018 年に書きなおした代物。 装画は⋯⋯気に入ってはいないけれど手間はかけた。 断崖絶壁で犯人に追い詰められて鳩が飛んだり、 雨のパレードで逃走劇をやったりするんで、 アクションは悪くないけれど、 まぁゴミ。 『悪魔とドライヴ』 は、 くみたさんのすぐれた装画のおかげでおれの本ではいちばん売れたけれど、 いいのは外側だけで中身はしょせんゴミ。 おまけに CreateSpace で出した本なのでいろいろと不具合がある。 残すならペイパーバックをつくりなおす必要があるけれど、 内容にそこまでの価値がないのでこれも迷っている。 たぶんもう、 次は書かないだろう。 他人の本をつくるほうが自己満足できる。 今後は優秀な書き手を集めて文芸プラットフォームのようなことをやって、 出版もどしどしやって、 おれはその片隅でひっそりと目立たないように、 このような屑日記を書き綴るようになるだろう。 それなら、 いずれ運営費くらいはアフィリエイトで回収できるようになるかもしれない。