半年前に完成したばかりの温暖化による海面上昇を食い止めるために建設された大がかりな防潮壁はいささか美的感覚に欠けるものの、最早、この街を侵食するものは何もない。人類は鈍足ではあるが完璧に向かっていると言えるだろう。壁は分断するだけのものではない。新たに規定する。
ヴェネツィア映画祭は素晴らしい才能に溢れていた。特に、ラストを飾ったイタロ・マリネッティの『ノミのサーカス』は、この十年で私が観た映画の中で最も美的感性に優れていた。文学的示唆に富み、情熱に溢れた作品だ。イタロ・マリネッティは十代までアメリカで過ごし、以降は両親の故郷であるイタリアで撮影を続けている。前作は哲学者であるスラヴォイ・ジジェクのドキュメンタリー映画『ラカンについてヒッチコックに聞こうと思ったが、仕方がないのでジジェクに聞くことにした』だったが、こちらはエキセントリックなタイトルと同じように内容もエキセントリックなものだった。(捻じ曲がった性格の持ち主以外には受け入れ難いものだ)しかし『ノミのサーカス』はどうだろう? エキセントリックであるものの、生気に満ち、積極的に人生を楽しもうという姿勢が打ち出されていた。
——新作、『ノミのサーカス』は初めてアメリカで撮影したもののようですが、撮影の上で問題はありましたか?
「ぼくは十代までアメリカで過ごしたんだ。故郷に帰ってきたような気持ちでできたよ」
——それは、うまくいったという意味?
「いや、全然。包み隠さずに言うと、かなり苦労した。クレジット、スタッフ、権利関係。はじめのうちは、すべてがうまくいかなかった。毎日、組合や団体に電話を掛けまくったんだ。中々、良い返事はもらえなかったね。アメリカで映画を撮影することが大変なことだということを学んだよ」
——エージェントは?
「エージェントなんて雇うだけのお金はないよ。それに、業界はぼくみたいな余所者には冷たいんだ。それとも、ぼくの英語が拙かったのかな?」
——問題ないと思います。
「そう言ってくれて嬉しい」
——今作、『ノミのサーカス』はジェームズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を翻案したもののようですが、それは、どういった切っ掛けだったのでしょう?
「ジョイスは昔から好きな作家なんだ。『フィネガンズ・ウェイク』を読んだのは、十代の時だった。
——アメリカで読んだ?
「そう、英語で。当時は話すだけじゃなくて、読む方も得意だったんだよ。今では、ちょっと難しいかな。記憶の糸を手繰り寄せるために英語版を買ったけれど、まるで駄目だった。三十年以上昔のことだからね。結局、イタリア語に翻訳されたものを読み返すことにした。
——トラドゥットーレ・トラディトーレ。
「その通り。〈翻訳者は裏切り者〉だ。君、イタリア語が話せるの?」
——挨拶程度です。今作の俳優は全員が組合に加盟していないようですが、それはなぜです?
「さっきも言ったように、いい返事がもらえなかったんだ。ぼくみたいな余所者、しかもハリウッドでの実績がない人間には人も予算も出せないというわけさ。ゼロからだったよ」
——オーディションも一人で?
「そう。お金を支払えるか、ぼく自身もわからなかったけれど、とにかくやってみたかったから、一か八かインターネットに掲載した。思った以上に出演希望者が来てくれたのは、嬉しいことさ。考えてみてよ? 撮れるかどうかもわからない映画のために、集まった人たちに演じてもらうんだ。自分でもクレイジーなことだと思った」
——主演俳優のグレン・オコーネルや助演女優のレックス・アンバーもそのようないきさつですか?
「そうだよ。グレンはサンディエゴ、レックスはイーストポートからロスまで来てくれた」
——撮影場所はテキサス州のオースティンでしたが、それはどうしてですか?
「ロスでは許可が下りなかったんだよ。友人に相談したら、風変りなことをしたいのなら、オースティンでやれ、と勧められてね。実は、昔、オースティンに行ったことがあるんだ。八六年。その時のことは本当に良い思い出さ。
——もし、よろしければ、その時のお話を聞かせていただけますか?
「いいよ。その頃、ぼくは人生に行き詰っていた。十代の頃というものは、なにかと不幸になりたがるものだろう。そして、大概、それはうまくいってしまう。幸いなことに、ぼくは奇妙な人たちに助けられた。
——奇妙な人たち?
「うん。すごく変わっている。彼らはフォルクスワーゲンのバンに乗っていた。彼らはドラマー以外、楽器なんてロクに触ったこともない人たちだったのに、どういうわけだか演奏ツアーをしていた。ぼくは成り行きでマネージャーの仕事をした。させられたって言うのかな? どういう経緯だったかもハッキリしない。とにかく、気が付いたら「ヘイ、イタロ。次はどこだ?」と言われていたんだ。彼らはぼくよりも年上だった。ギターはベトナム復員兵で、彼はPTSDを患っていた。ベースは太っていて、禿げた頭をしていた。ベースが弾けないチャールズ・ミンガスみたいだなって思ったよ。ドラムはクマみたいな大男で、ダミ声でシャウトするんだ。ドラムプレイは手足がバラバラなのに、リズムはキチンとしている。初めてオラシオ・エルナンデスを観たのは九〇年代の半ば、ローマのクラブだったけれど、彼は時代の先取していたんだね。テナーサックスは麦わら帽子にアロハシャツ、丸いサングラスをかけていた。彼は、ひっきりなしにマリファナを吸っていた。ツアーの間、ぼくたちは寝る間を惜しんで遊んだ。あんなに全力で遊べる人たちなんて見たことがない。うじうじ悩んでいたぼくだったが、いつの間にか、悩むなんて馬鹿馬鹿しいことだと思うようになった」
——その時のことを映画にしようとは思わなかったのですか?
「思ったよ。テナーサックスの彼は作家なんだけれど、そのことを相談したら、断られてしまった」
——それは何故?
「こっちが聞きたいぐらいさ。でも、生活の邪魔をされたくないみたい。彼はプライベートを明かしていないし、インタビューすら滅多に受けない」
——彼、というのは、ひょっとしてトマス・ピンチョン?
「違うよ、ピンチョンじゃない。そうだったら、あまりにもグルーヴィだと思うけれどね。でも、いつかは彼の気が変わるかも知れない。時代が変わるみたいにね」
——最近では第三次世界大戦が勃発するのでは? という不安が蔓延していたように思えますが、これらは敵対する指導者たちの失踪により収束しました。まるで、問題など最初からなかったかのように。こういった時代の風潮は作品に影響を与えましたか?
「難しい質問だね。あらゆる芸術は政治的だよ。政治的ではないというスタンスをとるにせよ。思うに、現代の芸術は昔と違って大きな力を持っていない。非常に個人的だ。そして、個人ができることは限られている。ぼくは『ノミのサーカス』で示したかった。悩んでいる人たちに笑ってもらったり、人生に退屈している人たちに、人生は不思議に満ちているということを思い出して欲しかった」
——その試みは成功しましたか?
「半分は」
——残りの半分は?
「なんとも言えない。自分でも答えがないんだ。まったく、監督なのにね。でも、こうも思うんだ。つまり、探している間が答えだっていうこと。たとえば、作品の意味を尋ねる人がいる。どういう意図で、あぁいった照明や撮影方法、セリフにしたのか? 作品を通して伝えたいことを尋ねる人もいる。ぼくなりに答えはある。まぁ、一応ね。でも、答えを聞いて楽しいの? 大体、ぼくの答えが正しいなんていう保証はどこにもないよ? 答えは一人ひとりにあるんだ。どんな風に感じてもいい。よくわからないと思った時は、ちょっと立ち止まっていい。さっきも言ったけれど、ぼくは一〇代の時、悩んでいた。アイデンティティとか、生きる意味とか、そんなことを考えていた。今だからわかるんだ。つまり、生きる意味は、そのことについて考えている間にだけある。それは掴めるようなものじゃない。あやふや。答えを握っているのに、ぶよぶよしたものだから、自分の手の中にあるという実感がない。逆説的かも知れないけれど、ぼくはそう思うよ」
——主題歌を歌ったブッチは端役で登場していますが、無名のミュージシャンを起用したのはどうしてです?
「ブッチは印象的だったでしょ?」
——えぇ。
「撮影がはじまった頃、スタッフたちとレストランで食事していたら、そこで歌っていたのがブッチだったんだ。一目見た瞬間に、これだと思った」
——彼はギャングですか?
「いいや。ただ、服役していたことはあるみたい。彼は服役中にギターを習ったそうだ。なんというか、非常に映画的だと思わないかい?」
——劇的ですね。
「そう、劇的。本当は彼にもっと出演して欲しかったのだけれど、演技なんてしたことがないから、と彼に断られてね。そこで、彼がこれまでやったことのある仕事の人間を演じてもらったんだ」
——それで、あのポン引き役となったわけですね?
「彼のために書いた役だ。セリフは少ないけれどね」
——とても印象的なシーンでした。
「一つ面白い話をしよう。レックスとブッチはヒッチハイクしたそうだ。レックスはロスまで、ブッチはオースティンまで。なんと、二人とも同じ車にヒッチハイクしていたんだ」
——本当ですか?
「本当だよ。車種、ナンバー、運転してくれた青年の名前も一緒だった。間違いないね。この話を聞いた時、ぼくたちは大笑いした。ブッチなんか椅子から転げ落ちたぐらいだった。思うに、生も死もありふれている。同じように奇跡も。ありふれているから、普段、ぼくたちはそういったものに目を向けない。こんなに凄いことなのにね。ちょっとした悩みと奇跡を天秤にかけると、奇跡のほうが軽いみたいだ。だから、思い出して欲しい」
——今回、アートワークを手掛けたのは画家のメナシェ・ゴールドバーグですが、ゴールドバーグとはどういった経緯で知り合ったのですか?
「メナシェは素晴らしい画家だよね。今回、本当に幸運だった。彼とは昔からの知り合いで、相談したんだ。彼の絵のモデルになる代わりに書割を描いてもらった。交換条件ってやつかな? 釣り合ってはいないけれど。脚本を読んでもらって、面白そうだからとやってもらった。あの書割はCGで揺らしたりしている。今回、撮影許可申請が間に合わなかったから、ほとんどのシーンは室内だった。でも、制限されればされるほど、回避するためのアイディアを練るようになる。興味深いことだよ」
——ゴールドバーグは二〇世紀後半以降のアート界において、特に重要な人物とされていますが、どのように思いますか?
「どうって、普通の人だよ。ぼくや君と同じ」
——今作で劇中に使用された楽曲の大半は自身で作曲、演奏していましたが、これらは独学ですか?
「うん、独学。でも、一人で覚えたわけじゃない。友だちにギターやパーカッションが上手い人がいれば、教わりたいと思うでしょ? 優れた小説や詩を読めば、自分でも書いてみたくなる。ぼくは、スポーツは得意じゃないけれど、それでも好きだ。でも、心臓がパンクしちゃいそうだから、まずはダイエットが先かな」
——劇中に使用されたホットソースの歌は、あなたが書いたものですか?
「あれはブッチの曲だよ。あの曲の意味を知っているかい?」
——いいえ。何か、意味があるのですか?
「君は料理にルイジアナホットソースを使う?」
——タバスコの代用品ですよね?
「その通り。タバスコの代用品。違う所はタバスコよりもちょっと酸っぱくて、安い。あの歌はホットソースのジョークのように聞こえるけれど、違うんだ。ブッチから聞いたんだけど、あれを沢山使うのは刑務所ぐらいだそうだ。ジョークにしようと考えるのは、服役したことがないと思いつかないし、あの意味がわかるようになるには、服役しなくてはいけない。君、どう?」
——遠慮します。たった今、聞きましたし。
「毎日運動し放題、健康的な食事もあるのに?」
——この国では、ジャーナリストは獄死しません。
「イタリアもね。多分。詳しくはベルルスコーニあたりに聞いてよ」
——エンディングに使用された楽曲はジャズバンドによる演奏でしたが、あなたも演奏に参加したのですか?
「あれは偶然だったんだ。オースティンで音楽フェスティバルがあって、そこに彼らの〈ルイジアナ・ホット・セブン〉が出演したんだ。その日は機材トラブルで撮影が中断していたから、気分転換に観に行った。素晴らしかったから、演奏が終わった後にスタッフのフリをして何食わぬ顔でステージの裏まで行って、〈クロックネック〉に話をしたんだ。二つ返事だったよ。撮影スケジュールの調整があったから、シーンを撮り終えてから録音になった。ほとんどお金が尽きていたから、俳優やスタッフたちが食べ物やお酒を買ってきて、撮影場所のあの家でギュウギュウ詰めのまま。打ち上げパーティしながら録音したよ。〈クロックネック〉が箱の上に乗っかって、説教師みたいに身振り手振りでメンバーたちにメロディを伝えると、メンバーたちはそこからベースラインや和音を見つけていくんだ。ピアノのヒックスがアレンジャーで、細かい注文を出していく。今回、ヒックスには悪いことをしたと思っている。というのも、あの場所にはピアノが持ち込めなかったから、子ども用のトイピアノを弾いてもらったんだ。コーラスは、あの場にいた全員。イエーとか、オーとか合いの手をいれたり、笑い声なんかはそのまま収録された。俳優たちはオフなのに、あの場にいたから、まるで登場人物みたいに見えたよ」
——今回の撮影費用の大部分はクラウドファンディングから得た資金のようですが、こういったインターネットを介した資金に対して不安を感じませんでしたか?
「それは、まっとうなお金じゃないかもという意味?」
——そういうわけではありませんが、資金調達の方法としてはイレギュラーだと思います。
「イレギュラーかも知れないけれど、脚本を直せと命令されることはないし、自分の力でできる。小規模な映画を撮影するのならば、もっと沢山の人が利用すべきだと思う」
——インターネットに対する不安は?
「インターネットが生活を奪うかも知れないという意味? インターネットは自分で考える力を奪い、あくせくと小突き回してしまうという、そういう考え?」
——おおむね、その通りです。
「そういうことなら特にないね。インターネットは生活を変えたとは思うよ。でも、人の歴史の大きな変化ではないと思う。ぼくは子ども向けの教育番組が好きでよく観るけれど、地球の歴史を生物の歴史と考えるのなら、そういった大きな変化ではないと思う。知りたいことをすぐに知ることができることは良いことだよ。それに、今までならば知り合うことのない人たちとも繋がることもできる。もちろん、そのためのストレスは多々あるけれど」
——最後に、この記事を読んでいただいた人々に一言。
「なんだか照れ臭くなるね。でも、さっき言ったことを繰り返すようだけれど、人生には不思議なことが沢山ある。ありふれているように見えるけれど、それは一回しかなくて、かけがいのないものだ。だから、冷笑的にならないで。万が一、うまくいかなくて、ガス代も電気代も支払えなくなったって笑い飛ばそう。ぼくは過去、債権者たちから追われて首が回らない時期があった。今でもそんなに変わらないけれどね。忘れないで。みんなの幸運を祈っているよ。それじゃあ」
——END——
連載目次
- イタロ・マリネッティ記
- Q
- ルイジアナ・ホット・セブン
- ダラー・デイ
- ウィリアム・ボブロウ ~朝日のようにさわやかに
- セルロイドの塔
- ルイジアナ・ホット・セブン ~私を月に連れて行って
- イタロ・マリネッティ記 ~LAプレッパー
- ウィリアム・ボブロウ ~テキサス州ダラス
- ルイジアナ・ホット・セブン ~川走
- イタロ・マリネッティ記 ~ロスに唄えば
- ウィリアム・ボブロウ ~ザ・パッセンジャーⅠ
- 一八時二五分、停止なし
- ウィリアム・ボブロウ ~ザ・パッセンジャーⅡ
- 不戦試合
- ウェイク・レコード
- ルイジアナ・ホット・セブン ~テキサス州会議事堂前
- ウィリアム・ボブロウ ~ザ・パッセンジャーⅢ
- イタロ・マリネッティ記 ~インターナショナル・プレッパーズ
- ウィリアム・ボブロウ ~ザ・パッセンジャーⅣ
- イタロ・マリネッティ監督、インタビュー ~インタビュアー、アンブローズ・ロック