ノミのサーカス

連載第19回: イタロ・マリネッティ記 ~インターナショナル・プレッパーズ

撮影終了。あまりにも楽し過ぎて、あるいは忙し過ぎて日記を書くことも忘れていた。今の気分は、パバロッティみたいに朗々と歌いたいぐらい。(体型が似ているから)今回、出演者はインターネットで募集した。オーディション会場はロサンゼルス。ロサンゼルスでは撮影許可が下りなかったのに……主演のグレン・オコーネル、助演のレックス・アンバーは素晴らしい仕事をしてくれた。特にレックスだ。彼女は演技未経験。でも、ロリータ・ファッションで会場に来たレックスを見た瞬間、ぼくの中で電流が走った。コケットリーで、幾分、やけっぱちに見えるのに、力強い。完璧だ。ぼくにとってレックスはジャン・リュック・ゴダールにとってのアンナ・カリーナかアンヌ・ヴィアゼムスキー。別に彼女と寝たいとか、結婚したいと思ったわけじゃないけど。主演のグレンは舞台俳優で、宣伝用の写真は若い頃のものだったから、実際に会った時はビックリした。彼はぼくと同い年で、レックスと並ぶと夫婦というより父娘。でも、とても親切で紳士なナイスガイ。グレンはレックスに演技指導をしてくれた。演技指導をする時、グレンはシェイクスピア風のソネットでジョークを言うから、ぼくまで笑ってしまった。(ちなみに、彼のジョークのいくつかはそのままセリフに使用した)
 冒頭のシーンは撮影のために借りた家から。借りたのは三階建ての漆喰の家だ。漆喰は所々、剥げていて、文化遺産みたいに見えた。レックスは窓辺に片足を垂らしながら鼻歌を歌っている。彼女が着ていた真っ赤なドレスは中古のカーテンだけど、超高級ドレスみたい。彼女の身体にグルグルに巻いたカーテンは一階の窓まで垂れている。カーテンは生き物みたいに揺れている。彼女が頬杖をつくと、屋根から地面までグレンが落下。(もちろん、下にはマットレスが敷いてある)このシーンを撮影した時、思わずぼくは拍手してしまって、あとで音声編集する羽目になった。メナシェに描いてもらった書割は素晴らしい出来栄えだった。あまりにも素晴らし過ぎて、使うことに躊躇したぐらい。
 撮影の合間、スタッフや出演者たちとレストランに行った。小さな店だったから、ぼくたちだけで満員。ステージの上にボロボロのアコースティック・ギターが置いてあって、スタッフのヌメロが弾こうとしたら、トイレから戻って来たカウボーイハットにタンクトップ、上半身はびっしり刺青の男が出てきて「それに触るんじゃねぇよ」とピシャリ。ギターを構えた彼が歌い出した時、ぼくの頭の中でイメージとイメージが衝突事故を起こした。彼が歌い終えるなり、立ち上がったぼくは名乗るより先に撮影に参加して欲しいと頼んだ。それからお喋り。彼、ブッチことジョン・フレイザーはオースティンに来たばかりのミュージシャンだった。その前はナッシュビルにいたらしい。さらに前は刑務所。話していくうちに、ブッチとレックスは同じ車にヒッチハイクしていたことがわかった。偶然にしては出来過ぎている。これが脚本なら書き直しを要求するぐらい。
 次の日、約束通りブッチが撮影現場にやって来た。彼は演技なんてしたことがないからと言ったから、脚本は書き足し。原作には登場しない。でも、いいでしょ、ジェームズ? ブッチのシーンは、家の前にやって来たブッチがギター片手にドラッグを連想させる歌を歌うというもの。その様子を上階の窓辺からアナ・リヴィア・プルーラベル(ALP)役のレックスが見下ろしながら腕を垂らして指を動かす。糸人形みたいに。他にも、ハンフリー・チップデン・エアウィッカー(HCE)を演じるグレンがポルノ片手にシェイクスピア風ソネットのジョークを交えつつ語り出すというシーンは最高だった。原作と違ってシェムとショーン、イザベルの子供たちは登場しない。〈ALP〉がイザベルを兼ね、〈HCE〉がシェムとショーンを兼ねている。大人が子供のように振舞うように、子供が大人のように振舞うことがあるみたいに。〈ALP〉と〈HCE〉の二人はすれ違った、齢の離れた夫婦にした。価値観の違いを強調したかったというのはあるけれど、人間ドラマ、葛藤よりは時間という、お互いがどんなに努力しても埋めることのできない溝を描きたかった。この溝には苦悩や争いが流れている。二人は濁流に押し流されようとしているが、それには気付いていないし、もしかすると気が付いているかも知れないが知らん顔をしている。愚かなことかも知れない。愚かさや醜さと美しさは同居する。これはシニカルな考え方じゃないし、耽美主義でもない。角度を変えた事実だ。思想や信条は尊い。大切なものだけど、セリフにはそういったものは極力控えるようにした。支離滅裂と思われるかも。ラストシーンは原作に従って〈ALP〉、レックスの独白。原作は高揚や覚醒といったものが含まれているけれど逆にした。つまり、内省的。彼女は鏡を見ながら化粧をしている。サンドベージュのカラーコンタクトを入れる指は微かに震えている。(ルイス・ブニュエルの『アンダルシアの犬』のように)スクリーンには彼女の瞳が映り、観客は偶然、映り込んでしまったカメラマンの人影を見て、自分自身と重ね合わせる。

 撮影の合間に録音した。劇中歌はレックスとブッチに歌ってもらったけれど、ほとんどの音楽はぼく一人。正直言って、ぼくは演奏が得意というわけじゃない。微弱なサウンドエスケープに、ギター・エフェクターを使って捻り潰したようなノイズを重ねたり。同じ太さの六本の弦を、六分の一ずつズレた同じ音が出るように改造した、中古のフェンダーテレキャスターのギターというより差音、ノイズ発生装置。それから、薄暗いスタジオで背中を丸めてエフェクターを踏む、内省的な作業だ。
気晴らしにスタッフや俳優たちとサウス・バイ・サウスウェストを観に行った。音楽祭と映画祭、展示会、企業コンテストが一緒になったイベント。レックス以外の俳優たちは、みんな映画祭のほうに行ったけど、彼女はぼくたちのほうに来た。ぼくとレックスが歩いていると、スタッフたちは、ぼくを咎めるような目で見ていた。
「スタッフたちに誤解されているかも」
「気にしなくていい。だって、何もないんだから。あっちで演奏が始まるみたい。行きましょ? パパ」
 そう言うなり、レックスはぼくの手を引いて歩き出した。スタッフたちの目つきがさらに厳しくなったような気がした。恋愛は自由だと思うけど、交換条件が含まれる仕事ではNG。大体、野球帽にアロハシャツ、肥満気味のぼくと、髪をダークブラウンに染めた、短いTシャツにショートパンツのハイティーンのレックスと手をつなぐなんて。いかがわしさしかない。しかも、レックスは人目を引く。世の中に美しい人は沢山いるけれど、人目を引き、スクリーンに映えるのは別だ。鋭さがある。レックスにはそれがある。彼女は成功をすると思う。今回の撮影が彼女や、他の俳優やスタッフたちの経歴に輝くようなものになればいいんだけど。
 夕方になるとブッチが合流した。(レックスが呼んだみたい)ブッチはいつも通り。カウボーイハットにタンクトップ、上半身は刺青だらけ。レックスとブッチが話していると、自然と笑みがこぼれる。カメラがあれば最高だったのに。いつの間にかグレンが合流して、撮影みたい。現実と非現実の境界が曖昧になったような感じ。
グレンからシェイクスピアについての興味深い話。シェイクスピアは高等教育を受けていないはずなのに、どうして法律や古典について書けたのか? というもの。スタッフたちは別人説を支持。グレン曰く
「知らなければ書くことはできない。しかし、知っていれば書こうとは思わない」
 煙に巻かれた感じ。さらにグレンがこう言った。
「ベン・ジョンソンが言うには、言葉は人を最もよく表す。何か言いたまえ。そうすれば君がわかる」
 ベン・ジョンソンと聞いて、まず思い浮かんだのはドーピングでメダルをはく奪された選手だったけど、それはぼくだけじゃないはず。言葉が人をあらわす? 煙草の灰で人となりを当てるシャーロック・ホームズみたいだ。
 それから、ジャズバンドを観た。バンド名は〈ルイジアナ・ホット・セブン〉。多分、有名なバンドじゃない。でも、無名であることは駄目な証拠じゃない。ベースはいなくて、代わりにチューバがベースを担当している。ニューオーリンズ・ジャズの一種なんだろうけれど、ラテン音楽やレゲェ、ロックっぽくもある。思わず身体を動かしたくなる音楽。アイディアは常にノックなしにやってくる。終演後、スタッフのフリをしてステージの裏に行った。そこで、ヴォーカルとトロンボーン担当、リーダーの〈クロックネック〉に交渉。こういう時、取り繕ってはいけない。ストレートに言うこと。変化球は駄目だ。ドーピングしない桂冠詩人はなんて言った? そう、〈言葉は人をよくあらわす〉
「やぁ、はじめまして。ぼくはイタロ・マリネッティ。素晴らしい演奏だった。今、ぼくはオースティンで映画の撮影をしていて、エンディングの曲を君たちに演奏してもらいたいんだけど、どうかな?」
 ピッチャーは投げた。賽は投げられた。ルビコン川は?

 エンディング曲はスタジオではなくて、セットで録音することにした。〈ルイジアナ・ホット・セブン〉は居間に楽器を広げて、可能な限りマイクを色んなところに置いた。それから、スタッフや出演者たちはお互いの仕事を称えながらポケットマネーで買ってきたビール片手にお喋り開始。真っ黒のスクリーンに白字がせり上がる間、打ち上げパーティが行われる様子をイメージしてみて。曲は〈クロックネック〉がフレーズを歌うことからはじまった。それを、ピアノが持ち込めなくて渋い顔をしているヒックスがトイピアノを弾きながらコード進行について口頭で指示していく。チューバのドナテロがベースを吹いて、トランペットのニッキーとクラリネットのオーヴィルがハーモニーを作る。ギターのジェフがカウント・ベイシー楽団のフレディ・グリーンみたいに四分音符でコードを刻む。ドラムのサブーがエルヴィン・ジョーンズやアフリカ出身のドラマーみたいに複雑でまろやかなビートを叩く。スタッフのリチャードはマットレスの上で飛び跳ねていて、レックスとアランはお喋り。上半身裸になったブッチが撮影班のクォモと踊っている。セット内は笑い声で溢れている。接触を控え、孤独や断絶について考えることが多くなったぼくたちが。
ぼくたちは災害や戦争、恐慌を避け、生き抜こうとしているプレッパー。でも、独力で生きて行こうとはしていない。集合離散を繰り返しながら、気ままに振舞いながら、時々、ひどく後悔しながら。ぼくたちはインターナショナル・プレッパーズと言っていいかも知れない。語呂が良いし。とりあえず、アメリカでできることは全部やった。ローマに戻ったら、編集作業の前にCM撮影。他にはドラマの脚本。西部劇を大量生産したスペインのオアシス・ミニハリウッドで撮影する機会が巡ってくればいいんだけど、ちょっと難しいかも。それより、マッテオ・ボテッキアは約束を忘れていないことを祈るばかりだ。あとで電話しておこう。イタリア人は陽気で冗談が好きだけど、嘘は言わない。だよね? (ぼくは似非イタリア人だけど)


作家、ジャズピアニスト、画家。同人誌サークル「ロクス・ソルス」主催者。代表作『暈』『コロナの時代の愛』など。『☆』は人格OverDrive誌上での連載完結後、一部で熱狂的な支持を得た。