ノミのサーカス

連載第16回: ウェイク・レコード

母さん曰く〈クリスタル・ヒルに住んでいる僕がアーカンソン川を越えてカンバーランド通りのレコード・ショップに行くことはお行儀が良くないこと〉らしい。
リハビリセンターの駐輪場に自転車を停めたら、向かいの〈ウェイク・レコード〉に入る。薄暗い店内にはロックスターたちのポスターが貼られているし、棚にはCDとレコードがビッシリ。この店で、僕はローリング・ストーンズの『ベガーズ・バンケット』を買ったし、レッド・ツェッペリンの『レッド・ツェッペリンⅣ』を買った。僕がそういう音楽を聴くことを母さんは快く思っていない。母さんは七〇年代のロックを古臭いものだと考えている。母さんには、僕がお爺ちゃんやお祖母ちゃんの音楽を聴いているように思えるらしい。テイラー・スウィフトを聴いていれば、母さんは満足するのかな? そういうことじゃない気がする。
『グッバイ・クリーム』と『エリクトリック・レディランド』をカゴに入れたら、カニみたいに横歩きでレジに行った。カウンターには女性が足を組んだまま腰掛けている。革のパンツに、タートルネック。髪の毛はショートカットで真っ赤。整髪料なのか、ちょっと濡れているように見える。彼女の後ろにはフックが飛び出していて、ハンガーが掛けられている。それで、ハンガーには革のジャケットが背中を向けている。ジャケットの背中には一筆書きでドクロが描いてある。女性はスラっとしていて、見ていると、こっちが気恥ずかしくなるぐらい堂々としている。不良っぽいとかそういう感じじゃない。彼女が慣れた手つきでレジを打つと、僕は貯めた小遣いをCDに交換する。僕が生まれるよりも前に作られた音楽のために働くなんて変なことなのかな? お金を渡して、ちょっと気が強くなった僕が
「僕、この頃のロックが好きで、色々と調べているんだ。この前、〈アップ・ビート誌〉の特集を読んだんだけど、そこで〈パーセプション〉っていうバンドを知ったんだ。ダグラス・ハイドパークって知ってる?」
 彼女の黒い瞳が動いた。瞳の奥は焦げ茶色。瞳の中に僕の姿が鏡みたいに映った。
「えぇ。まぁ、知っている」
 彼女は手をヒラつかせて、一フィートぐらいの首振り人形の後頭部を指で突いた。首振り人形はブルース・リーみたいな恰好のアフロヘアーでヘンテコなサングラス。
「あんまり好きじゃない?」
「どうして、そんなことを聞くの?」という彼女の顔は不思議というより、僕を疑っているような言い方。
「いや……別に。なんとなく」
 威圧感なんてまるでないのに、どぎまぎさせられてしまう。多分、彼女の目だと思う。引き込まれるような、見透かされているような。
「迷惑な人。でも、嫌いじゃない」
 一瞬、僕のことを言ったのかと思ったけれど、そういうわけじゃないみたい。
「パール・ジャムの隣。『パーセプション』と『アーリー・イヤーズ』があったはず。言っておくけれど『アーリー・イヤーズ』はお勧めしない。デビュー前のアウトテイク集だし」
「あぁ、ごめん。今日は買えないんだ。その……お金がなくて」
「今日買わないからって、一生、聴けないわけじゃない。昔の音楽が好き?」
 彼女は僕を見た。心の奥底を覗かれているような感じ。
「好きだよ……君は?」
 ちょっと顔が熱い。なんだか、彼女に向かって言ったみたいに聞こえただろうし。
「嫌いだったら、レコード・ショップの店員はやらない」
「そうだね……僕もそう思う」
 自己嫌悪だ。馬鹿みたいなことを言っている。彼女は少し笑った。愛想笑いとか、僕を馬鹿にしているという感じじゃないのが救い。
「あなた、齢はいくつ?」
「一六」
「そんなに若いのに、昔の音楽を探す理由は?」
 彼女の口ぶりは尋問みたいだ。証言台に立たされているような気分になる。
「悪い?」
「悪いことじゃない。ただ、不思議に思ったの。あなたみたいに若い人が、ダグみたいな昔の人の音楽に興味があるってことが」
「ただの興味だよ。変かな?」
「変ね。今日か明日にでも戦争が起きるかも知れないっていう時に、ゲール語で〈お通夜〉なんていうレコード・ショップの店員とお喋りすることとか」
「ひょっとして、邪魔?」
「いいえ」
「そう……」
 言葉が途絶えると、重苦しく感じてしまう。何か話さなくちゃ。時事問題? サウスウェスト・タイムズ・レコードかバクスター速報を読んでおくべきだった。何も思い浮かばない。彼女は笑みを浮かべて手をヒラつかせると「安心して。議論したいわけじゃないから。夢中になることは素晴らしいことだと思う。それが昔のことでもね。でも、今、起こっていることとか、自分の目の前で起こっている、起こりつつあることに注意を向けることも大事なことよ」と言って、首振り人形の後頭部を指で突いた。首振り人形が首をユサユサ揺らしながら笑顔を振りまいていた。いつの間にか、彼女はCDを赤いビニール袋に入れて、僕はCDを受け取った。彼女の髪の毛みたいな色のビニール。
 僕は「うん、注意するよ」と言って、店を出た。来週か再来週、また来よう。今度は『パーセプション』を買うために。新聞も読んでおこう。そのためにも、世界大戦には待ってもらいたい。


作家、ジャズピアニスト、画家。同人誌サークル「ロクス・ソルス」主催者。代表作『暈』『コロナの時代の愛』など。『☆』は人格OverDrive誌上での連載完結後、一部で熱狂的な支持を得た。