ノミのサーカス

連載第11回: イタロ・マリネッティ記 ~ロスに唄えば

全裸のままベッドに寝転がり、天井を見上げる。壁から壁に通された糸から垂れ下がっている写真、スケッチ、新聞の切れ端。壁の一部分には混ざり具合をチェックするために擦りつけられた絵具が隆起している。粘土みたいだ。少し離れたところでは筆を持ったメナシェがパンクロッカーみたいな髪の毛を掻いている。どうして、ぼくが全裸でベッドに寝転がっているのか? その理由はこう。
 撮影についてメナシェに電話で相談したところ、〈面白そうだから、話を聞かせて〉という流れ。もしかすると? という下心がなかったわけじゃない。脚本の内容を聞き終えたメナシェは興味深そうな顔をしていた。彼と知り合ったのは八九年だ。キッカケはお菓子のCM撮影の助手として行ったパリ。袋の中身は安っぽいチョコレート菓子なのに、外側のCMは豪華。制作費を味の向上にまわせば、もっと売れたと思う。包装、広告。核心から遠ざかる外側ほどお金がコーティングされる。世の中の本質? ぼくが嫌な奴なだけかも。撮影が終わってからはスタッフたちとタクシーに乗り込んで真夜中のパリを散策した。ミュゼットを弾いている人なんていない。ジャック・タチも。タクシーから身を乗り出しながら『リラの門の切符売り』を出鱈目なフランス語で歌うことには、なにか真理めいたものがある。それから、ぼくたちは〈二七歳クラブ〉というナイトクラブに行った。ドアマンにレミー・コーションと名乗ったら、変な顔をされたっけ。クラブの壁には二七歳で死んだミュージシャンのポスターが貼られていた。ロバート・ジョンソン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ブライアン・ジョーンズ、マーク・ボラン、ダグラス・ハイドパーク。ハイドパークはパリで死んだから、ひょっとしたら、あのクラブに行ったのかな? もし、あの店がまだ営業しているとしたら、カート・コバーンやエイミー・ワインハウスのポスターが貼られているだろう。スタッフの一人がアート通で、メナシェの顔を見るなりすぐに駆け寄り、話をはじめた。自己紹介、〈あなたは才能があり、素晴らしい……〉以下省略。通訳はぼく。一通り話が終わると、ぼくはメナシェと彼のパートナーのデヴィッドと話をした。二人はぼくがアメリカ人で、イタリアで仕事をしているということに興味を持ったのか、イタリアに来た理由を聞かれた。ぼくが「ファミリーネームがマリネッティだし、多分、イタリア系でしょ?」と言うと、メナシェは
「ぼくはユダヤ系だけど、イスラエルに行きたいとは思わない」とピシャリ。
ちょっとムキになったぼくが「君の言い分は理解できるけれど、ぼくを否定するのは違うんじゃないかな?」
「別に否定していない」
「ぼくは自分が自由だっていうことを証明したかった。そのキッカケは八六年にバンドのロード・マネージャーをしたことなんだ」
 隣で立っていたデヴィッドが「人は元々が自由だよ。自分自身で限界を設定しているだけ」と言ったことで、ぼくはさらにヒートアップ。この時に喋った内容は思い出すと恥ずかしい。子供っぽかった。ぼくはたった二週間のマネージャーとしての仕事(実態はバンの運転手だけど)が人生を変えたと力説した。
八六年の話を終えた時、メナシェが笑った。嫌な笑い方じゃなくて、楽しい話を聞いたといった感じ。
「面白い話をありがとう。それから、さっきの言い方、悪かったね」
 ぼくはすっかり上機嫌で、二人と握手をした。後年、あの時のバンドのドラマーがダグラス・ハイドパーク亡きあとに再結成したバンド、〈新しいパーセプション〉に加入したんだから、奇妙なものを感じる。メナシェとはその後も関係が続いた。彼がイタリアで個展を開いた時はパーティに呼ばれたし、ぼくが監督した短編『チップの用意はいいかい?』がアメリカで放送された時は、彼から挿絵が添えられたメッセージカードが送られてきた。(もちろん、売ったりしていない)

 ベッドに寝転がったぼくは天井を見つめる。カリカリという音が聞こえても知らんぷりを決め込む。少しでも動くとメナシェが「動かないで」と言うから。彼の絵の一枚は今回の製作費よりも高額だ。彼と同じ絵具とキャンバス、筆を買うことは誰でもできる。でも、仕上がるものはまったく別。彼の仕事には値段に釣り合うだけの価値があるということ。そのあたりの詳しいことは、サザビーズに電話して。ぼくの仕事の価値? シカゴとかは少し高くなるけれど、大体、一二ドルぐらい。月とスッポン? その通り。メナシェは一つの作品を作る。仕上がった作品は一人の個人、あるいは財団が所有する。額縁とガラスケース、盗難防止用の赤外線センサーに囲まれ、数時間おきに警備員が見張る。ぼくには必要ない。せいぜい、DVDケースがあれば事足りる。上映が終わっても、家で何度でも観ることができる。気に入らなければフリーマーケットに並べてもいい。イー・ベイでもいい。とはいえ、消化し、感動するプロセスは揺るがない。もちろん、ぼくの映画で観客が感動するかは別問題。でも、どうにかなる。無一文でイタリアに行ったぼくが、今も生きているんだから。たとえ、上映中に観客が途中で帰っても。インターネットで悪口を書き込んだとしても。どうにかなる。
 半日ほどベッドの上に眠らずに寝転がり続けるというのは、貴重な経験だ。服を着る前に、メナシェがデッサン用に何枚か写真を撮った。(これ、現像できるの?)
 服を着た後、コーヒーを飲みながら交渉スタート。モデル代の代わりに書割を描いて欲しいという内容。ぼく自身、かなり無茶な話をしていることは理解している。メナシェの答えは「いいよ」それだけ。その時のぼくの気分は、もう一度、服を脱いで『雨に唄えば』のジーン・ケリーのようにタップダンスを踊りたくなるぐらい。無謀なことほど挑戦してみる価値があるということかな? 無謀といえば、知り合いの映画関係者、マッテオ・ボテッキアからのこんなEメールがあった。
〈アメリカで撮影ができたのなら、ヴェネツィア映画祭に推薦してやる。もちろん、おれが気に入ったものなら〉
 マッテオ、君が気に入るようなものを撮るつもりはないよ。でも、その賭けには乗ろう。ぼくが失うものはほとんどないのだし。それよりも、約束を忘れないで。関係者の間では、君の約束は羽よりも軽いと言われている。そういう悪い噂をかき消すためにもね。


作家、ジャズピアニスト、画家。同人誌サークル「ロクス・ソルス」主催者。代表作『暈』『コロナの時代の愛』など。『☆』は人格OverDrive誌上での連載完結後、一部で熱狂的な支持を得た。