ノミのサーカス

連載第10回: ルイジアナ・ホット・セブン ~川走

グレイハウンドはバーダンビル墓地の前で停止した。チューバ奏者にして運転手のドナテロがボタンを押したものの、ドアは半開きのまま。ヒックスが「とんだポンコツだ」と言い、〈クロックネック〉はドアからすり抜けるようにして外に出た。
「このドアにはダイエット効果があるんだ」
「おれに必要ない」
 ドナテロがクラクションを鳴らすと「サブー、ドアを全開にしておいてくれ」と言い、サブーは剃髪したことでチョコレートのように輝く頭皮に触れ、力任せにドアをこじ開けた。紙袋の中に入ったトランペットを小脇に抱えたニッキーが
「ドラマーって奴は、どうしてこうなんだ? もっとスマートにできないのか?」と言い、後ろでアコースティック・ギターのネックを握ったまま控えているジェフが
「そう言うお前ぇはジゴロ気取り」と言った。振り返ったニッキーがジェフの肩を押した。
「怒るってことは、認めたって意味だぜ」とジェフ。オーヴィルが楽器ケースのファスナーを開けようとすると、ドナテロがクラクションを鳴らした。
「音出しはセッティングが終わってからにしてくれ」
 うなずいたオーヴィルがグレイハウンドから降りた。ドナテロはポケットに手を突っ込むと掴んだナッツを口に放り込んだ。
「さぁ、仕事だ。とびきりご機嫌なやつにしなくちゃな」

 ウェスト・アチャファラヤ・ベイシン・スペルウェイから一歩入った空き地には細長いテーブルとクッションが敷かれた椅子が並べられており、給仕係たちが忙しない様子で行ったり来たりしている。紙袋からトランペットをとり出したニッキーが
「なんのつもりだ?」と尋ねると、〈クロックネック〉が
「なにって、結婚式だよ。言わなかったかい?」
「聞いたのかも知れないが、忘れた。覚えておくべきことじゃないからな」
〈クロックネック〉が口を曲げ、開放弦を鳴らしたジェフが
「くっちゃべってねぇで手伝えよ。色男」と言った。ニッキーが舌打ちした。
 マーチングバスドラムを担いだサブーが歩き出し、ドナテロがカタツムリのようなスーザフォンを担ぐ。赤黒いアコーディオンを担いだヒックスが〈クロックネック〉に近付き、口を開く。
「いい加減、マトモなピアノで演奏したい」
 肩を竦めた〈クロックネック〉は「ピアノは持ち運べないし、それに、今日は特にそれがいいんだ」と言って、養魚場の看板を指差した。
「あれがどうかしたのか?」
「今回の仕事は、あそこのオーナーからの依頼なんだ。オーナーの娘の結婚式なんだと。多分、一生に一度の晴れ舞台だし、盛大に祝おうというわけさ」
「ニッキーに言い聞かせてやるといい」
「ヒックス、今日はギャラがいいんだ。だから、膨れっ面はポケットにしまっておいてくれよ」
「おれはピアニストだ」
〈クロックネック〉がヒックスの肩を叩いて「期待しているぜ、兄弟」と言った。

 アチャファラヤ川から流れ込む緑がかった茶色の濁った水はイエロー・バイユーでせき止められており、流れのない水面を太ったナマズが跳ねて揺らした。細長いテーブルに並ぶのは、チリペッパーが効いたジャンバラヤ、セロリ、タマネギ、パプリカ、アンドゥイユと鶏肉を煮込んでオクラでとろみをつけたガンボスープ、ザリガニパイ、見事な大きさのナマズのフライ。着飾った人びとが間隔を空けて椅子に腰を下ろすと、ウィングカラーのシャツにシルバーのチョッキ、アスコットタイ、ひとつボタンのカット・アウェイ・フロックコートの髭を生やした中年男が立ち上がった。中年男はハイビスカスの花のように織ったポケットチーフで額を拭いて満面の笑みを浮かべた。
「今日という日は素晴らしい。毎日は同じように素晴らしいのかも知れませんが、今日という日はとりわけ素晴らしく感じられます。まるで、すべてが今日という日のためにあったように感じられます。一七五六年、ラ・ゲール・ド・ラ・コンケット(※ 仏語で〈征服戦争〉の意味)で敗れた私の先祖はイギリス国王に忠誠を誓わず、追放されてこの一帯にやって来ました。当時は今よりももっと危険で、辺鄙な場所だったでしょう。私たちは隠れるように生きました。英語を話すようになったのは、父の代からです。父も祖父も、先祖たちは毎日、アチャファラヤ川を見ていました。彼らは漁師でした。川の流れは二度と同じものはない。ヘラクレイトスの言葉です。素晴らしい言葉、真実です。私の人生には様々な困難がありました。ハリケーンによって工場は壊滅的な打撃を受けました。妻、アンとの死別……他にもありますが。これぐらいにしましょう。当時、私はこれらが永遠に癒えることのない傷だと考えました。ですが、どうでしょう? みなさん、よく見てください。アンヌとジュードを。二人はこれからの新しい時代に向かって漕ぎ出すのです。彼らは新しい流れを生み出すでしょう。彼らに拍手を」
 新郎と新婦が手を握り、キスをすると間隔を空けて座る着飾った人々は立ち上がって拍手をした。〈クロックネック〉は指でカウントすると、ルイジアナ・ホット・セブンたちはジェラルド・マークスとセイモア・シモンズによって書かれた『オール・オブ・ミー』の演奏を開始した。サブーは大太鼓の膜と側面を手で叩き、ドナテロはベースラインを平行に収束させて透視図法のように立体的に生き生きとしたラインを吹く。大口を開けたジェフがコードを一拍に一度ずつ、一小節に四度ずつ、カウント・ベイシー楽団に所属したギタリスト、フレディ・グリーンのように丸くて愛らしいサウンドを響かせ、ヒックスは仏頂面でアコーディオンを弾く。トロンボーンの〈クロックネック〉とクラリネットのオーヴィル、トランペットのニッキーがメロディを吹き、コーラスが終わると、ニッキーが東海岸風のクールで伊達男然としたフレーズを吹いた。
 人々は肩を動かしながらフォークとナイフ、スプーンを手にとり、料理が盛られた皿に集中砲火を浴びせ、各自のアドリブを終えたルイジアナ・ホット・セブンは、全員が同時にアドリブを演奏する、コレクティヴ・インプロビゼーションを開始する。オーネット・コールマンやアルバート・アイラーたちによって再発見された手法。本流と支流、親から子へ、子から孫へと続く川走。
 濁ったイエロー・バイユーから漂う臭いにヒックスが顔を顰め、〈クロックネック〉が片手を挙げると、勝手知ったるカウント・ベイシー・エンディング。大皿に載せられたナマズ、イクトゥスが剝きだした骨を空に向かって晒していた。


作家、ジャズピアニスト、画家。同人誌サークル「ロクス・ソルス」主催者。代表作『暈』『コロナの時代の愛』など。『☆』は人格OverDrive誌上での連載完結後、一部で熱狂的な支持を得た。