じみ

連載第12回: サンタクロースの石と窮屈な服

アバター画像山田佳江, 2022年06月27日

しばらく泣いて落ち着いてから、春休みに三人で下関に行く約束をした。
「今度は電車で行こう、電車だとすごく近いって知ってるか?」
 と浩一君が言った。
「知ってるよ。自転車で行くから冒険なんじゃない。」
 そう言うと、緑川のお姉ちゃんが笑った。
 そろそろ帰ろうという話になって、浩一君がお姉ちゃんに「先に行ってて。」と言った。お姉ちゃんは了承して、手を振りながら出て行った。

 浩一君がベッドの脇の椅子に座った。光に包まれている彼は、とても涼しげに見えた。目元に何かの意思を感じた。柔らかそうな唇はきりりと結ばれている。浩一君ってこんな顔をしていたんだ。今初めて見るみたいな感動で、彼を見ていた。
「見せてやろうと思って探してきたんだ。」
 右のポケットを探って、握り締めた手を開いた。
「これ…。」
「サンタクロースの国の石。」
 それは本当に、ただの黒い石だった。幾分表面がつややかな気がした。だけど、今の私には確かに見えた。その石は、強力な力で内部から放射状に発光していた。
「子供の頃見た時は、もっと光っていた気がしたんだけど。」
 浩一君は恥ずかしそうに、それを私の手の平に置いた。
「うん。すごく光ってる。本当にきらきらしてるよ。」
 息を飲んで輝く石を見つめていると、浩一君が「本当か?」と不思議そうに石に顔を近づけた。
 手の平をそっと閉じて光を逃がさないように閉じ込めた。石に、「浩一君を守ってくれますように。」と願いを込めて、彼の手の平に返した。私と彼の手が触れ合った瞬間、輝きはたくさんの光の線になって、空中に広がった。浩一君は一瞬まぶしそうな顔をして、それから不思議そうに手の平の中の石を眺めた。

 七日目に、いつものように絵を描いていると、なんだか嘘っぽい気がした。もう忘れてしまうんだな、と思った。光のかたまりもほとんど見えなくなっていた。描きかけの絵を放り投げて、色鉛筆で由美ちゃんが持って来てくれた花の絵を描いた。もう一枚、窓の外の絵も描いて、水彩絵の具で塗り絵のように色を塗った。
 ちょうど描きあがった頃に、父が来た。机の上を見て、
「なんだ、抽象画はやめたのか。」
 と残念そうに言った。
「うん。もう卒業。」
 という私に、そうかあ、もったいないなあ、と父は何度も未練がましくつぶやいていた。
 椅子に座って宇宙の絵を一枚ずつ眺めながら
「あのな環。お母さんに赤ちゃんが出来ていたらしい。お前知っていたのか?なんで分かったんだ?」
 と父が言った。「そうなの?」と自分でも驚いて、
「どうして分かったのかなあ、なんとなくそんな気がしただけ。」
 と言った。

 夕方の面会時間終了間近に、病室の入口でごとんと音がした。顔を上げると田中が立っていた。
「一人?どうやって来たの?」驚く私に田中は「自転車。」と言い放った。ここは門司の病院だった。今日は土曜日だから、小学校が終わってから自転車で来たのだろう。数日前の自分の冒険を思い出した。
 座るように促すと、田中はベッドのそばまでは来たが、立ったままだった。どこを通ったのか、何時間かかったのか、尋ねる私に彼は無愛想に返答した。私よりも随分簡単にここまで着いたみたいで、やはり男子はすごいなとため息をついた。
「俺、誰にも言っていないから。」
 突然田中が大きな声を出した。
「なにを?」
「だから、あの事誰にも言っていないから!」
 何の事か分からず、田中の顔を見つめていると、しだいに田中の顔が赤面していった。
「じゃあな。」
 それだけ言い残して、田中は走って病室を出て行った。

 変な奴と思い、しばらくぼんやりしていると、「あ、胸をつかんだ事か。」と、突然思い出した。色々な事がありすぎてすっかり忘れていた。それにしても、田中はわざわざそれだけを言うためにここまで来たのだろうか、何時間も自転車に乗って。しかも手ぶらで。そう思うとおかしくなって、田中もかわいい所があるな、と一人で笑ってしまった。

 *

 三月の最初の日に退院になった。頭の包帯を外してもらう。おでこの辺りにスーッと風が入って来る。鏡で後頭部を見ると、髪の毛が少し剃ってあってショックだった。抜糸までシャンプーはできませんよ、と言われてさらに打ちのめされる。
 両親が病室の荷物を片付けに来た。父は大きなクリアファイルを持って来て、入院中に描いた絵を一枚ずつ大切そうにファイリングした。額に入れようか、コンテストに出そうか、とぶつぶつ言う父を無視して、母と荷物をまとめた。
 先生に挨拶をして病院を後にする。母が「卒業式に間に合ってよかったわ。」とつぶやいた。結局あれから一度も、家出したことは怒られなかった。

 久しぶりの外の空気だった。深呼吸すると春の匂いがする。来月からは中学生なんだな、と思うと不思議といやな気持ちはしなかった。天を仰ぐと、いつもどおりの綺麗な青空だった。白い雲が空ににじんでいる。自分を包む何かが、大きく変わった気がした。着ている服が少し小さくなった気がする。入院中に少し痩せたはずなのに、何故か、服や身の回りの物が窮屈に感じた。父の止めたタクシーに乗り、流れていく景色を見ながら誰に言うでもなく、
「バイバイ。」
 と外に向かって小さく手を振った。

 了


1974年生まれ。福岡県北九州市出身。『SF雑誌オルタニア』『銃と宇宙 GUNS&UNIVERSE』などで小説を連載。代表作に『泥酔小説家』『白昼のペンタクル』など。