故郷に帰って来たという実感はまるでない。ハイスクールを卒業して、八六年に離れて以来のアメリカ。思い出深いことは人並みにあるけれど、故郷を離れてからのほうが楽しかった。かつてのぼくは、今、行き交う人たちと同じように無色透明だった。そんなぼくが入国審査の列に並んで
「滞在の目的は?」と尋ねられる。自身を持って答えよう。
「仕事です。映画を撮るんです」
ハリウッドの仕事じゃないけど。と言い添えることも忘れずに。
入国審査は手短に終わった。スタンプが押されただけ。思わず「これだけ?」と聞いてしまった。もし、次に来ることがあったら、別室に連れて行かれるぐらい喋ろう。野球帽、アロハシャツを着た下腹が出た中年。それがぼく。見た目のいかがわしさでは自信があったつもりだけど、アメリカでは、ぼくみたいな風体の人間も普通になったのかも。ぼくのキャリアは輝いている……わけない。本当は困り果てている。今回のことはアメリカのテレビ局が、ぼくが監督した短編『チップの用意はいいかい?』を放送してくれたことがキッカケだった。すっかり気を良くしたぼくはインターネットで出資を募った。目標金額に到達した時は気分が良かった。
『チップの用意はいいかい?』は友人で、恩人で、ぼくの人生の先生。ジェイク・キニスキーの脚本だった。ジェイクについて考えると笑みがこぼれる。どんな人間でも、ジェイクを見れば笑顔になる。ジェイクはジョークが好きで、出鱈目で、愛嬌があって、知的で、音楽、特にモータウンが好きなマリファナ愛好家のヒッピー作家。『チップの用意はいいかい?』はスペインとポルトガルの国境に近い田舎町、シウダ・ロドリゴで撮影した。日に日に大きく育っていく筋肉の塊、闘牛用に育てられている牛を横目で見ながらバーベキューを楽しみ、テレビ局が用意したお金(ぼくにとっては潤沢)を思う存分、注ぎ込んだ。ぼくは撮影に熱中した。撮影中に三回熱中症で倒れるぐらいに。太りすぎかも。
アイディアはローマのアパートで固めたけれど、脚本、ロケーション、スタッフ、俳優の手配は覚束ない。ぼくはハリウッドでお呼びじゃない。アート系ドキュメンタリー映画監督。それがぼくの世間での一般的な認知。いや、そんなに一般的じゃない。でも、無名であることは有名であることと同じぐらい尊いということはジェイクから学んだ。彼は名前以外の一切を公表していない作家だし。彼について尋ねられても一切を話さないようにしている。傍から見れば、彼は自堕落なスラッカーだけど、タイプライター(最近はぼくが国際郵便でプレゼントしたパソコンを使っている)の前に座るジェイクは作家と呼ぶに相応しい存在だ。ホテルに着いたらEメールの整理をしなくちゃ。それから金策。手伝ってくれそうな人たちへの電話作戦。彼らの心のマジノ戦線を迂回し、ハートを鷲掴みにしなくちゃいけない。ぼく自身、詐欺師みたいだって思う。でも、アロハシャツに野球帽。ちょっと肥満気味の冴えない映画監督という像としては、これ以上ないってぐらいに完璧。
ホテルに到着。ここにルームサービスはなく、シーツの交換も二日に一度きり。朝食はコーヒーとシリアルだけ。北欧のように簡素な生活を希望する人は、ぼくと交換しない? 買ってきたジャガイモだらけのピザを食べながら携帯電話をコール。友人たちから紹介されたスタッフになってくれそうな人たちに電話。コネクションを持たないぼくみたいな人間は詐欺師か悪戯だと思われている。もし、逆の立場だったら? 黙ったまま、あるいは愛想笑いをして電話を切る。もちろん、着信拒否設定も忘れずに。ちょっと、過去を振り返ってみよう。ぼくは無一文でイタリアに渡った。映画監督になりたいという漠然とした夢はあったけれど、夢を実現させるための近道なんて思いつかなかった。そもそも、その時、ぼくはイタリア語を喋れなかった。無謀で愚かだ。リュックサックに詰め込んだものが日に日に減っていく様は奇妙に思えた。(イタリア語の辞書は最初にお金に変えた)はじめて滞在したホテルはバックパッカーばかりで、夜になると皆で夢を語り合った。当然、ぼくも。語った内容については、彼らのプライバシーがあるから内緒。彼らのうち、何人が夢を実現させたのだろう? お金が尽きて大使館に駆け込んだり、強制退去させられたりしたのかな? ぼくはイタリア語をレストランで皿洗いをしながら覚えた。つまるところ、万年、お金がない元バックパッカーの映画監督。それがぼく。製作会社に脚本を売り込んだことは一度や二度じゃないし、今でも持ち込んでいる。映像作品に関係することで、少しでもお金になりそうなことはなんでもやった。初めて依頼されたことでも、得意だと言って依頼を受けた。撮影、照明、美術、俳優、各種コーディネート……やったことがないのは、ポルノ出演ぐらい。(ちょっとやりすぎたかも)それでも、まだやりたいことがある。サメ映画を撮ってみたいし、西部劇も撮ってみたい。着ぐるみ怪物パニックホラーなんて最高だ。誰か資金を用意してくれないかな?
今回のアイディアはジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』だ。学生の時に読んだきりだったけど、あの言語の迷宮を映像にしたいと思う。でも、どうやったら撮ることができるんだろう? そもそも『フィネガンズ・ウェイク』を正しく読むことができるの? 試しにイタリア語版を読み返したけれど、相変わらずサッパリ。(ちなみに、英語版はもっとサッパリだった。早々に友人にプレゼントした。迷惑だったかも)
部屋を行ったり来たりしながらアイディアを練る作業は奇妙だ。連想するのは刑務所と動物園。どちらも入ったことはないし、多分、これからもないと思う。壁に寄りかかったり、シャツを脱いでベッドに放ったり、半裸のままテレビに映るニュース番組に向かってポーズをとったり。一見すると無意味な行動だけど……本当に無意味。それでも、切羽詰まった時ほどそういったことが必要だ。現実逃避? 違う。生きている限り、現実から逃れる術はない。一人で部屋にいる時や、眠っている時であっても。ぼくは現実の片隅で踊り、少しでも面白いと思えるアイディアについて考える。ピザを齧りながら。
映像にアニメーションを組み込みたいと思う。特撮もやりたい。試しに予算を試算したところ、ゼロの桁を間違えた。いや、正しくは間違っていない。間違っているのはぼくの予算。レイ・ハリー・ハウゼンの道は一日にしてならず。
脚本は進行中。ジェイムズ・ジョイスは『フィネガンズ・ウェイク』をはじめのうち『進行中の作品』というタイトルで発表したから、ぼくも真似をしよう。脚本の元となる『フィネガンズ・ウェイク』はベッドの上に置いたまま。あの本からイメージを膨らませてコンテを切るなんて無理。バロウズの『裸のランチ』を読みながらコンテを切れる? 答えはデヴィッド・クローネンバーグ。
できるじゃないか! さっさと読み直して、その皺が寄った薄ピンク、一二〇〇~一五〇〇グラム、成人の体重二~二、五パーセントほどの重さを占める臓器、脳みそ(ぼくの場合は一五〇〇グラムよりも重い計算になる)を活用してノートを埋め尽くせばいい。
スタッフの手配。ホテルにこもりっきりで行う、パソコンでのテレビ電話。PEの空。すべてを機械が行っているような感じ。いっそのこと、AIが脚本を書いてくれればいいのに。AIが出資し、AIが観る映画。それは困る。ぼくは失業してしまう。それなら、リヤカーを引いてパニーニを焼こう。ぼくの料理の腕前は最悪だ。以前、友人に料理を振舞った時のことは忘れない。曰く〈豚も食わない味〉……毎日、食べているから、ぼくはこの通り。
三〇年以上経って、ぼく自身のアイデンティティはすっかり揺らぎ、別の人間になったのかも知れない。『ボディ・スナッチャー』みたいに。いっそのこと、大幅に手を加えていいのかも知れない。ハンフリー・チップデン・エアウィッカー〈HCE〉とアナ・リヴィア・プルーラベル〈ALP〉にこだわる必要はない。『フィネガンズ・ウェイク』はアイルランド民謡『フィネガンの通夜』に因んでいるのだし。想像力を働かせよう。ぼくは働かず、想像力が働く。
─ Here comes everybody ─ 〈ここにくるすべての人〉のために。
連載目次
- イタロ・マリネッティ記
- Q
- ルイジアナ・ホット・セブン
- ダラー・デイ
- ウィリアム・ボブロウ ~朝日のようにさわやかに
- セルロイドの塔
- ルイジアナ・ホット・セブン ~私を月に連れて行って
- イタロ・マリネッティ記 ~LAプレッパー
- ウィリアム・ボブロウ ~テキサス州ダラス
- ルイジアナ・ホット・セブン ~川走
- イタロ・マリネッティ記 ~ロスに唄えば
- ウィリアム・ボブロウ ~ザ・パッセンジャーⅠ
- 一八時二五分、停止なし
- ウィリアム・ボブロウ ~ザ・パッセンジャーⅡ
- 不戦試合
- ウェイク・レコード
- ルイジアナ・ホット・セブン ~テキサス州会議事堂前
- ウィリアム・ボブロウ ~ザ・パッセンジャーⅢ
- イタロ・マリネッティ記 ~インターナショナル・プレッパーズ
- ウィリアム・ボブロウ ~ザ・パッセンジャーⅣ
- イタロ・マリネッティ監督、インタビュー ~インタビュアー、アンブローズ・ロック