じみ

連載第7回: 準備室のハード・デイズ・ナイト

アバター画像山田佳江, 2022年05月23日

植樹祭の日、六年生全員で校庭の石碑の下にタイムカプセルを埋める事になっていた。一人ずつ「二十一世紀の私へ」というタイトルの手紙を書かされた。二〇〇一年に私たちは二十六歳になっている。由美ちゃんも田中も私も、みんな大人になっている。
 由美ちゃんが「何を書いたの?」とうれしそうに聞いてきた。あの日以来お父さんの話は一度もしていない。でも彼女は明らかに変化して見えた。随分明るく、大人っぽくなったみたいだ。由美ちゃんは自分の手紙を見せてくれた。そこには二十六歳になって看護婦になっている自分へ、がんばっていますか、という内容が書かれていた。
「由美ちゃんは看護婦さんになるんだ。」
 自分だけ見せないのも何なので、手紙を由美ちゃんに見せた。
「二十一世紀の私へ。夢はかないましたか?宇宙を見ることはできましたか?」
 小声で読み上げた後、彼女は私の顔を見て「環ちゃんは宇宙飛行士になるの?」と聞いた。

 全員が手紙を入れ、体操着や文房具や写真など、小学校時代の思い出の品を入れた。大きなステンレスの箱が閉じられると、みんなで演奏を始めた。リコーダーや太鼓の音が響く中、先生たちが仰々しく箱に土をかけた。石碑のとなりに小さな梅の苗木も植えられた。演奏がサビに入って、みんなの気分が高まった時、また空気が歪むのを感じた。神妙な顔をして並んでいる先生たちと重なって、一人石碑の前に立つ大人の私の後姿が見えた。

 植樹祭も無事終わり、みんなで後片付けを始めた。先生が、「二組の音楽係さんは太鼓を片付けてね。」と言った。持って来る時は一組の係が持って来たらしい。背中にいやな視線を感じた。音楽係は私と田中だ。
 二人で一つずつ太鼓を抱えて校舎に入った。田中は私の五メートルくらい後ろをついて来た。何かぶつぶつと文句を言っている。私は無視して音楽室へと急いだ。
 二階の音楽室の中に入ると、防音設備のせいかとても静かだった。窓の外では植樹祭の後片付けが続いているのが見えた。音楽準備室の鍵を開けて中に入ると、田中が「おい。」と大きな声で言った。
 太鼓を床に置いて振り返り「なに?」と聞くと、田中がじっと私を睨んでいた。緊張感が走る。太鼓を持って黙ったままの田中にもう一度
「なに?」
 と尋ねた。しばらく沈黙が続いた後、田中は怒鳴るように
「ブラジャー見せろよ。」
 と言った。一瞬耳を疑った。
「なに言ってるの?」
「つけているんだろ、見せろよ!」
「…馬鹿じゃないの。」
 呆れてろくな返事も出来ず、準備室を出ようとすると、田中に呼び止められた。背中から突き刺すように見つめられているのが分かる。ため息を一つつくと、なんだか急に彼の態度を面白く感じ出した。もしここで本当に見せたら、一体どんな顔をするのだろう。
「誰にも言わない?」
「おお。」
 田中はずっと怒った顔のままだ。息を止めているみたいに見える。彼が太鼓を床に下ろしたので、私は自分の胸元に手をかけた。
 シャツのボタンを上から一つずつ、ゆっくりはずす。田中が一歩、近づいてくる。手元に強烈な視線を感じる。胸や頭の中がざわざわする。不快ではなかった。赤いチェックのネルシャツの下に、白いTシャツを着ていた。ボタンを全部はずしてからTシャツをそっとたくしあげた。自分で自分の胸元を見下ろしてみる。白いティーンズ用のブラからするりとおなかが生えている。ジーパンのベルトの上に縦長のおへそが開いている。自分の体が、いつもと違って見えた。
 田中の表情を見ようと顔を上げると、急に全身に激痛が走った。一瞬何が起こったか分からなかった。声にならない声を上げて、床に座り込む。田中に胸をわしづかみにされたようだ。彼は準備室の ギターの弦を殴りつけるようにはじいた。じゃああああんと大きな音が響いた。
「バーカ!」
 田中はそう叫んで、走って音楽室から出て行った。部屋にはギターの余韻が響いている。ビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」のイントロみたいだったなと、痛みの中、間の抜けた事を考えていた。

 *

 部屋で由美ちゃんへの交換日記を書きながら、ムカムカする気分を押さえられないでいた。昨日、田中にわしづかみにされた胸がまだ痛い。どうして彼の言うことを聞いてしまったのだろう。しかも今日、クラスの男子たちがなんだかニヤニヤしながら私の事を見ていた。田中は音楽室での出来事を男子たちに話したのだろうか。

 ラジオ番組が終盤に差し掛かった。音楽に合わせてリスナーの恋の告白を読むコーナーだった。そろそろカセットに切り替えようと思い、今夜聞く曲を物色していると
「浩一君へ。」
 と、女性パーソナリティーの声が聞こえた。さあっと自分の血の気が引いていくのが分かった。目がラジカセに釘付けになる。
「浩一君はお姉ちゃんの恋人だけれど、私はずっと浩一君のことが好きだったよ。この間はバイクに 乗せてもらえて嬉しかったです。このままいつまでも三人一緒にいられるといいな。お姉ちゃんも浩一君も大好きだから、浩一君と恋人同士になることは出来ないけど、これからもずっと浩一君のことが大好きです。Tより。」

 番組が終わっても、私はしばらく放心していた。そして、しだいに頭に血が上って自分のしたことが恥ずかしくなった。あの夜、浩一君に書いた渡すつもりのない手紙を、誰かに読んで欲しい気分になって、いつも聞いているラジオ番組宛てに投函してしまったのだ。たくさんの投稿が来ているだろうし、まさか自分の手紙が放送されるなんて夢にも思っていなかった。うそだ、どうして、最悪、などとつぶやきながら部屋の中をうろうろした。私が書いた手紙はあんな内容だったろうか。パーソナリティーの読み方のせいかも知れない。甘ったるくて、信じられないくらい恥ずかしい。自分自身に寒気がした。
 それよりも、誰かがラジオを聞いていないか、気になった。私の名前はイニシャルになっていたから、クラスの子にはわからないだろうけど、浩一君に聞かれたら絶対にばれてしまう。どうしてポストに入れてしまったのだろう。何度後悔しても、この恥ずかしい気持ちはぬぐえなかった。自分の浅はかさに腹が立った。


1974年生まれ。福岡県北九州市出身。『SF雑誌オルタニア』『銃と宇宙 GUNS&UNIVERSE』などで小説を連載。代表作に『泥酔小説家』『白昼のペンタクル』など。