じみ

連載第6回: 日曜日、爆弾おにぎりの冒険

アバター画像山田佳江, 2022年05月16日

母に「日曜日に由美ちゃんと小倉の図書館に行ってもいい?」と尋ねた。口実を作るためだった。由美ちゃんとの交換日記の中では着々と博多行きの計画が進んでいた。母は了承した後、由美ちゃんの家に確認の電話を入れていた。電話口にはおばあちゃんが出たようで、何度も「いえいえ、よろしくお願いします。」などと同じ挨拶を繰り返していた。

 日曜日の朝、駅に着くとすでに由美ちゃんが改札の前に立っていた。フレアースカートにピンクのカーディガンを着て、髪をエンジ色のベルベットのリボンで二つに結んでいる。お互いおはようと挨拶してから「リボンかわいいね。」と言うと、
「多分、お父さんから送られてきた物なの。これを着けていれば私って分かるかな。」
 と小さく微笑んだ。
 私は小倉駅まで、由美ちゃんは博多駅までの切符を買った。駅員さんに大きな声で「おはようございます。」と挨拶して、改札で切符を切って貰った。子供だけで電車に乗るのは二人とも初めてで、緊張した。
 ごとんごとんと揺れる電車の中、二人でボックス席に座り、たわいのない話をして笑った。せっかく由美ちゃんとこんなに仲良くなれたのに、中学校は別々だなんて寂しいと思った。浩一君と同じように、由美ちゃんの存在も私の生活の一部になっていく。それはとても楽しい事だけれど、いつか別れが来る時の事が想像できなくて困った気分になる。
 日豊本線が終点の小倉駅についた。緊張感が沸いてきた。彼女は私よりもっと緊張しているのだろう。すっかり黙ってしまった。駅の掲示板を見て、乗り換えのホームを探す。階段を上って下りて、博多行きの乗り場に二人で並ぶ。
「由美ちゃん、私はここまでしか一緒に行けないけれど。」
 電車が来ますとアナウンスが流れる。由美ちゃんが白線を見つめたままうなずく。
「これ、お母さんが作ってくれたの。元気が出る爆弾おにぎり。具がたくさん入っているんだよ、梅干とおかかと昆布とチーズとウインナー。」
 大判ハンカチに包まれた巨大なおにぎりを「電車の中でお昼ご飯にして。」と由美ちゃんに渡した。彼女はおにぎりを受け取り、黙ってうなずいた。
 電車に乗った由美ちゃんは不安そうな顔で私を見ていた。私も不安だったけど、精一杯の笑顔で「いってらっしゃい。」と手を振った。ドアが閉まり、電車が動き出してからも、彼女はずっと私を見つめていた。電車が見えなくなるまで。

 由美ちゃんを見送ってから、駅の改札を出て図書館まで歩いた。大好きな中央図書館も、今日はなんだか気分が乗らなかった。植物図鑑をちょっと見てから図書館を出て、近くの公園のベンチで早めのお昼ご飯にした。お母さんが持たせてくれた小さな魔法瓶には豚汁が入っていた。寒空の下で温かい豚汁をすすると、家で食べるよりずっと美味しく感じた。全体を海苔で巻かれた大きな丸いおにぎりを頬張る。炒めたウインナーが一本、丸ごと入っている。私は由美ちゃんがこの巨大なおにぎりを食べるところが想像できなくて、ちょっと悪かったかなと思った。

 *

 月曜日の学校は植樹祭の準備で忙しかった。今年は卒業式の前に記念植樹をしたり、演奏会をしたり、色々と派手な事をするみたいだ。リコーダーの練習をしている由美ちゃんは、いつもと変わりがない。昨日お父さんに会えたのか知りたかったけど、なんとなく聞きづらい雰囲気だった。

 帰宅して父の仕事を手伝った後、部屋で交換日記を開いた。封筒が一枚落ちた。日記は由美ちゃんの番のはずなのに、何も書かれていない。不思議に思って封筒を開いてみると、手紙が入っていた。
「たまきちゃんへ。日曜日は本当にありがとう。おにぎりおいしかったよ。帰りの電車の中で食べました。おなかがいっぱいになっちゃった。お父さんには会えませんでした。博多駅はとても大きくて、びっくりしました。改札口もたくさんあって、駅員さんもみんないそがしそうで、こわくて道を聞くことができませんでした。駅の中も広くて、駅の中なのにお店がたくさんありました。なかなか駅の外に出ることができなかったけど、やっとおもてに出ると、大きなビルがたくさんある町でした。あのね、たまきちゃん。ビルのすきまから上をながめたら、小倉の空とおんなじで、あのノートみたいなキレイな空で、この町にお父さんがいるんだなって思ったらうれしくなってしまったの。ふしぎなんだけど、もうお父さんに会えなくても、ここまで来てよかったなって本当に思ったの。」
 その長い手紙は、中学生になれば電車通学になるから、もっと駅員さんに慣れる事もできると思う、そしてまたお父さんに会いに行きたい、と締めくくってあった。

 由美ちゃんはすごい冒険をしてきたんだな、と思った。以前より強くなった彼女を感じた。手紙の字もいつもより少し大きいみたいだった。一人で知らない土地に行って、何かに気付く事のできた由美ちゃんが心底うらやましい。
 ラジオ番組の最後のコーナーが終わったので、ラジカセをカセットに切り替えた。昨日聞きかけだったビートルズが流れた。
 由美ちゃんはお父さんの事については、もう交換日記には書かないつもりみたいなので、私も手紙を書くことにした。引き出しからキャラクターのついたレターセットを取り出して、彼女に手紙を書いた。お父さんに会えなくて残念だった事、由美ちゃんの勇気をすごいと感じた事などを書いていった。
 由美ちゃんへの手紙を交換日記に挟んで、ふと、浩一君に手紙を書いてみようかなと思った。今、彼に感じている気持ちを文章にしてみたいという欲求が沸いた。便箋を一枚取り出し、ちょっと考えてから、レターセットを少し大人っぽい水彩画の描かれたものに変えた。
 耳慣れた音楽の流れる部屋で、彼に渡すつもりのない手紙を書いた。


1974年生まれ。福岡県北九州市出身。『SF雑誌オルタニア』『銃と宇宙 GUNS&UNIVERSE』などで小説を連載。代表作に『泥酔小説家』『白昼のペンタクル』など。