じみ

連載第4回: 虹の散歩と探偵の人探し

アバター画像山田佳江, 2022年05月02日

緑川のお姉ちゃんの予言どおり、私たち三人は本当に仲良くなった。あれから毎日のように浩一君は緑川家に来ている。まるでずっと昔から、お姉ちゃんと浩一君と私と三人でいたような、浩一君に会う前はどうやって遊んでいたのか思い出せないような、不思議な親近感が芽生えていた。

 ある土曜日、昼食を済ませて緑川家に行くと、お姉ちゃんが犬の散歩用のリードを持って、玄関から出てきた。「散歩に行こう。」という彼女の提案に、コロが真っ先に賛成した。うれしそうに犬小屋の前をうろうろしている。
 三人で散歩に出かけた。ゴルフ場の森沿いに、池の方まで行こうとお姉ちゃんが言った。リードをもっている浩一君が引きずられそうになりながら「落ち着けよ。」とコロに声をかけている。
 二月にしてはとても暖かい日だった。青く澄んだ空に大きな白い雲がたくさん浮かんでいる。由美ちゃんのノートみたいだ。雲は風に乗ってどんどん流れていく。お姉ちゃんは日差しを浴びて輝いている木々をまぶしそうに見ている。浩一君の左に私が、右に緑川のお姉ちゃんがいて、三人で並んで歩いた。
「あ…。」
 久しぶりに池の近くまで来て、呆然と立ち尽くしてしまった。池の左手に小高い丘があったはずなのに、切り崩されて赤土の崖みたいになっている。「最近開発されていたみたいだよ。」と、お姉ちゃんが言った。
 あの丘の頂上にはかつて数本の木が生えていて、その木の下に田中と秘密基地を作った事があった。ゴミ置き場から食器や椅子を拾ってきて、結構立派な基地が出来ていたのを思い出した。
「でも随分長い間工事が止まっているみたい。どうしたのかな。」
 お姉ちゃんがそう言うと、コロが急に丘の方に向かって、リードをぐいぐいと引っ張った。「登ってみるか。」と浩一君が丘を見上げてつぶやいた。

 赤土を踏みしめながら、三人で慎重に丘に登った。緑川のおねえちゃんは片手でスカートを掴んでいたので、バランスをうまく取れないみたいだった。私はハラハラしながら、後ろについて登った。
 一番に頂上についた浩一君の動きが止まった。追いついて横顔を見る。息を飲む彼の目線の先には、規則的な図形で区切られた赤土の平地が広がっていた。
「遺跡だ。」
 浩一君がつぶやいた。
「遺跡が出土してしまったから、調査のために工事を中止していたのね。」
 白い息を吐きながら、お姉ちゃんが言った。コロはあたりの匂いをくんくんと嗅ぎまわっている。浩一君はリードを短めに持ち直し、私に説明してくれた。
「縄文時代か、弥生時代かよく分からないけど、昔の人の住居がここにあったんだよ。ほら、多分そのあたりが家の壁だ。」
 ぐわん、と頭が揺れる気がした。ただの赤土のかたまりにしか見えなかったのに、彼の言葉で急に、遺跡が色味を帯びて見えた。さあっと風の音が聞こえる。空気が歪む。数件の住居とそこに住む人たちと、秘密基地を作る田中と私が、一度に全て見えた気がした。

 しばらく立ち尽くしていると、お姉ちゃんが「あれ?」と空を見上げた。その途端、ざあっと急に雨が降り出した。
「にわか雨!」
「なんでこんな季節に?」
 あわてて丘を駆け下りる。赤土が急激に湿ってどろどろになっていく。手をついてしまいジャンパーの袖が汚れる。後ろで「うわあ!」と叫び声がする。振り返ると浩一君がコロに引きずられて転倒している。駆け寄ったお姉ちゃんのスカートが泥だらけになる。転がるようにして丘を降りたところで、ゆっくりと雨は止んでいった。
 雲は流れ、また陽が射した。コロがブルブルっと体を震わせて水滴を飛ばした。緑川のお姉ちゃんがたまらず笑いだした。「浩一君、ひどい顔。」お互いずぶ濡れの姿や泥のついた箇所を指摘しあっていると、視界にきらきらしたものが入ってきた。
「あ、虹。」
 つぶやいた私の声に、二人が顔を上げる。池の上に小さな虹がうっすらと架かっていた。

 さすがに真冬の空気は寒かったので、三人で慌てて緑川家に戻った。お姉ちゃんは浩一君に「お風呂を沸かすから入って行って。」と懇願したが、近いから大丈夫だとバイクに乗って帰っていった。私も挨拶もそこそこに自宅に帰り、仰天する母にお風呂を沸かしてもらった。

 由美ちゃんとの交換日記ももう数日続いていた。ノートには彼女がリボンを集めている事や、お母さんが生命保険の仕事をしている事、算数が苦手な事などが書いてあった。私も好きなラジオ番組の事や、緑川家のコロの事などを書いた。ただ浩一君の事だけは書かなかった。書こうと思っても、何故か彼の事がうまく書けなかった。「浩一君は緑川のお姉ちゃんの恋人で大学生です。」と書きかけて、妙な違和感を覚えてすぐ消してしまった。

 月曜日の夜、いつものように夕食もお風呂も済ませて、自分の部屋でラジオを聞きながらノートを開いた。由美ちゃん独特の小さな字でびっしりと何か書いてある。いつもと違う空気を感じた。私は姿勢を正し、交換日記を読み始めた。
「たまきちゃんへ。国語の時間に朗読した時、かっこよかったね。大きな声が出せていいなあと思いました。たまきちゃんは頭もいいし、先生にも言いたいことはちゃんと言ったりして、かっこいいなあとずっと前から思っていました。」
 この間、演奏会の内容で先生に文句を言った時の事だろうか。それにしても、ずっと前からって、一体いつごろからそんな風に思っていたのだろう。
「だれにも話していないのだけど、たまきちゃんにだけ言います。うちにはお父さんがいません。おじいちゃんとおばあちゃんとお母さんとくらしています。お父さんは私がようち園のころに死んだとお母さんは言っていました。だけどこの間、お父さんから来た手紙を見つけてしまいました。おばあちゃんに言われてぶつだんのお水を変えていたら、下の方が少し開いていました。そんな所に引き出しがあったなんて知らなくて、開けてみたら、お父さんからお母さんにあてたふうとうがたくさん入っていました。どのふうとうにも手紙は入っていなくて、銀行で見るような、何かの金がくを書いた紙が一まいずつ入っていました。一番新しい日付のふうとうはまだ開いていなくて、すかしてみると紙とリボンが入っているみたいでした。もしかすると、おばあちゃんが時々くれるリボンやきれいなシールはお父さんからおくられてきたものだったのかも知れないです。私はおとうさんに会ってみたいです。たまきちゃんは物知りだから聞きます。お年玉がまだたくさん残っているのだけれど、小学生でも探偵に人を探してもらうことはできますか?」
 ノートの最後には「今わかっている事はこれだけです。」と書いた後に、知らない男性の名前と住所が書いてあった。


1974年生まれ。福岡県北九州市出身。『SF雑誌オルタニア』『銃と宇宙 GUNS&UNIVERSE』などで小説を連載。代表作に『泥酔小説家』『白昼のペンタクル』など。