にじみ

第3話: いっすんのはばなべぶたしんにゅうは

Avatar photo書いた人: 山田佳江, 投稿日時: 2022.04.25

学校で帰りの会の後、由美ちゃんに「書いてきたよ。」と言って交換日記を渡した。彼女はハッと顔を上げて、ひったくる様にノートを受け取り、うつむいたまま「ありがとう。」と小さな声で言った。白い頬が急速に紅潮していくさまを、単純に綺麗だなと思った。

 私たちの通う小学校は小さな山のふもとにある。裏山と呼ばれるそこには、数々の大きな樹木にツタが絡まり、陽を遮られた足元には苔やシダ植物が生い茂っている。初夏にはグミが、秋にはアケビが果実をつける。寒い季節にはほとんど人は来ないのだが、私はそこを通って帰るのが好きだった。
 裏山に続く石段を登ろうとすると、背中から「おい!」と怒鳴る声がした。振り返ると十メートル程遠くに、ガリガリに痩せた少年がランドセルを背負って立っていた。田中だ。
「そこは俺たちの陣地だからな。勝手に入るんじゃないぞ!」
 そう叫んで田中は通学路を走って帰って行った。
 馬鹿みたいと思いながら、山はあんたの物じゃないよ。と小さくつぶやいてみた。田中の言葉に臆したわけでは無いけれど、気分が乗らなくなって、本来の通学路を帰る事にした。彼の姿はもう見えなかった。
 田中とは家が近い。低学年の頃は一緒にザリガニ釣りに行ったりして、結構仲が良かった。「洋太君」「環ちゃん」と呼び合っていたのに、いつのまにか「田中」「水上」と呼ぶようになり、会話することも無くなった。別に仲良くしたいわけでは無いけれど、私には彼の態度が以前よりずっと子供っぽく見える。

 帰宅して仕事部屋の父に「レコードをダビングしたいんだけど、カセットがもう無いの。」と伝えた。レイアウト用紙に写植文字を貼り付けていた父は「そうか、じゃあ働け。」とにっこり笑って、原稿を一枚渡してくれた。
 私は決まったお小遣いを貰っていない。両親はお金と労働の大切さを教えたいらしく、写植の仕事を手伝った分だけお金をくれる。一時間手伝って百円。毎月十五時間くらい働かせて貰えるので、結果的には他の子たちのお小遣いと大差ない金額を手にしている事になる。

 スタンドに原稿をはさみ、写植機の前に座る。用紙には父の字で、改行指示などの赤字が入っている。級数の設定をして、文字板をスライドさせる。黒いガラスの文字板には、たくさんの漢字やひらがなが書いてある。そこから打つべき字を、一文字一文字探していくのだ。「今・月・の・お・買・い・得・品。」見つけた文字をずれないように慎重に打っていく。一文字ごとに「ガシャコン」と大きな音がする。「ガシャコン、ガシャコン、」父の音とは速さが随分違うけど、この大きな機械を扱っている時、自分が大人になったような気がする。学校での私とは違う私を感じる。
「中学生になったらレイアウトも教えてるからな。」
 父はロットリングペンで線を引きながらそう言った。

 *

 由美ちゃんに日記を渡した次の日に、もう返事が戻ってきた。台所でノートを取り出すとドーナツを揚げていた母が、「綺麗なノートね。どうしたの。」と聞いてきた。
「由美ちゃんと交換日記しているの。見たら駄目だよ。」
 母は古新聞に乗せたドーナツに砂糖をまぶしながら、由美ちゃんが誰だったか思い出そうとしているようだった。
「ああ、香川さんね。お母さんとPTAで一緒になった事があるわ。由美ちゃんは私立の中学校に行くらしいわね。」
 驚いて本当か尋ねると、「仲良しなのに知らないの?」と言われた。まだ仲良しになって三日しかたってないと言おうと思ったがやめた。みんな一緒に公立の中学校に上がると勝手に思い込んでいたので、私立に行く人がいるなんて不思議な気がした。

 ページをめくると由美ちゃんのとても小さな字が書いてあった。
「こんにちは。私とこうかん日記してくれてありがとう。たまきちゃんはビートルズが好きなんですね。うちのお母さんも若いころよく聞いたと言っていました。私はチェッカーズが好きです。」

 ここまで読んだところで、ドーナツの匂いにつられた父が台所に入ってきたので、一緒におやつにすることにした。
 ドーナツはぐにゃぐにゃと変な形をしている。ホットケーキミックスをスプーンですくって油に落としただけのそれを、母は「へんてこドーナツ」と名づけている。様々な形状をしたドーナツを、これは羊に見えるとか、これは隣のおばちゃんとか言いながら食べる。あつあつのへんてこドーナツはお店で買ったものよりずっと美味しくて、私も父も大好物だった。

 おやつが済んで緑川家に行くと、玄関脇に原付バイクが停まっていた。新聞屋さんかなと思いながら門柱を通ると、突然サッシが音を立てて開き「いらっしゃい。環ちゃん!」と頬を染めたお姉ちゃんが出てきた。
 コロと遊ぼうとしていた私は、いつもと違う緑川のお姉ちゃんの態度に目を丸くした。コロも驚いているようだった。大きく開かれたサッシの向こうに、男の人が小さく座っているのが見えた。

「紹介するね、この人は森山浩一君。大学で同じクラスなの。浩一君、こちらは水上環ちゃん。」
 部屋に上げられて突然の事に、はあどうもこんにちはなどとお互い間の抜けた挨拶をしながら、緑川のお姉ちゃんと、浩一君と呼ばれた男性を見比べてみた。彼女はいつも以上に明るく、はきはきと喋っている。浩一君はちょっと困ったような優しい顔をして私を見ていた。
「お姉ちゃんの恋人なの?」
 そう尋ねると彼女は一呼吸おいて、恥ずかしそうに「うん。」と小さく微笑んだ。
「コーヒーを入れてくるわね。二人で何か話でもしていて。」
 そう言ってお姉ちゃんはパタパタと忙しそうに部屋から出て行った。

 にぎやかだった部屋が急に静かになった。浩一君と顔を見合わせ、緊張でどきどきしながら、何を話したものか考えていた。
「お邪魔でしたか。」
「いや、緑川がどうしても環ちゃんに会わせたいんだって言っていて。絶対仲良くなれるからって。」
 そうなんですかと返事して窓の外を眺める。かまって貰えなかったコロが犬小屋に入っていった。風でさわさわと庭木が揺れている。二人でぼんやりと庭を眺めながら、横目で彼を観察してみる。あごが少し長い。多くて柔らかそうな髪の毛がふわふわしている。厚手のトレーナーに隠れて体型はよく分からないけど、痩せていて筋肉質のような首筋が見える。
私が見ているのに気付いたみたいで、浩一君と目が合った。間がもたない。思わず
「サンタクロースを信じますか?」
 と質問してしまった。

 ちょっと驚いたような目をして、彼はしばらく私を見ていた。それから天井を見上げて少し考えた後、座ったまま近づいてきて
「緑川には言うなよ。」
 と、小さな声で話を始めた。
「俺さ、小学生の頃はサンタクロースを信じていなかったんだよ。絶対に親父がプレゼントを買っているはずだって。だから五年生の時、それを暴いてやろうと思って計画を立てたんだ。」
 真剣な目で私を見つめながら話す浩一君は、とても大学生には見えなかった。それこそ、計画を立てている小学生そのものの顔だ。私は息を飲んで彼の話を聞いた。
「クリスマスの数日前、親父がうれしそうに、サンタさんには何を頼むんだなんて聞くから、とりあえずプラモデルが欲しいって言っておいたんだ。ベッドの脇の靴下にもプラモデルって書いた手紙を入れておいた。だけど、クリスマスイブの夜にこっそりすり替えたんだよ。『サンタさんへ。もし本当にいるなら、証拠にサンタさんの国の物を何か下さい。』って書いた手紙に。そしてクリスマスの朝、枕元にプラモデルが置いてあったんだ。分かっていた事だけどすごくがっかりして、靴下に入れた手紙を捨てようとした。そしたら靴下の中に何か小さな物が入っているんだよ。」
 彼の目が輝いている。これは本当の話なのだろうか。
「靴下を振るとゴトンってそれが落ちて、拾い上げてみると石だった。普通の道に落ちているような石。だけど、普通の石なのに普通と違うんだ。すごく真っ黒できらきらしていて、内部から発光しているみたいだった。俺は『これはサンタクロースの国の石なんだ。』って思って、嬉しくなってパジャマのままで部屋から飛び出した。茶の間では親父が味噌汁を飲みながらプレゼントは何だったって聞くから、慌てて石を隠して、プラモデルだったよって言っておいたんだ。」
 浩一君は右手を握り締め、背中の後ろに隠すポーズをとった。その手の中には本当に何か大切な物が隠されている気がして、私は思わず彼の後ろを覗き込もうとした。
「この話、誰かにするの初めてだ。」
そう言って彼はニッと笑った。笑うとマイケルJフォックスに少し似ているなと思った。
 ちょうど緑川のお姉ちゃんがコーヒーを三つ乗せたお盆を持ってきて、「仲良くなれた?」と聞いてきた。


1974年生まれ。福岡県北九州市出身。『SF雑誌オルタニア』『銃と宇宙 GUNS&UNIVERSE』などで小説を連載。代表作に『泥酔小説家』『白昼のペンタクル』など。
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