年配の権威者による 「書評」 で売ることができる本も、 数秒の動画で売ることができる本も、 おれが読みたいものとはまるで別物だ。 ピンチョンを 「知的な大人の嗜み」 みたいに持ち上げて別の何かを貶めるひとはわかっていない。 『かいけつゾロリ』 を大人が読んだっていいじゃないか⋯⋯ピンチョンのおもしろさはむしろ 『かいけつゾロリ』 に似ているはずなのに。 だれだって 「ある」 と知らされたものしか知りようがないし、 読み方、 楽しみ方だって教わらなければわからない。 その努力を出版関係者は怠ってきた。 出版不況といわれた二十年前から、 その場しのぎで、 とりあえず手っとり早く売れるものばかりを優先してきた。 書評家にせよ編集者にせよ、 ただの読者には見いだせない視点や文脈を先んじて提示しなければならない。 自動車を知らない顧客に 「より速い馬」 を売るような商売では先が見えているし、 そもそも別の視点に気づかせてくれるのが読書だ。 耕さなければ文化は豊かさを失い、 痩せ衰えて何も実らなくなる。 書評とは販促手段かといえばそれは違う。 結果としてそうなることはあっても本来はそれ自体が読みもので、 読みものであるからには批評の対象となりうる。 ソーシャルメディアの人気アカウントによる紹介はそれとはまた異質だ。 無害かつ刹那的な消費財を提供して自らをブランディングするのが彼らの仕事。 ストアやソーシャルメディアの表示優先度はアルゴリズムが決める。 優先表示されたものが権威づけられて売れる。 つまり売れる本はアルゴリズムが決めている。 アルゴリズムが決めた 「より速い馬」 を出版社は作家に書かせる。 だったら書くのも読むのもアルゴリズムにやらせればいい。 そこに出版と読書の未来はない、 というか少なくとも民主的な未来は。 あるのはビッグブラザーと焚書だけだ。 例えば一人称と三人称多視点しか読んだことがなければ神視点の小説をまともに読めず、 下手だと勘違いするだろう。 そうした幼い誤解も読書においては必要な通過点なのだけれど、 アルゴリズムは刹那的な消費に最適化されているので読者の長期的な育成など一顧だにせず、 その幼い声ばかりを増幅する。 書評/紹介をあえて販促手段とみなして考えてみると、 現在の出版/読書には権威主義 (特権的エリート) とソーシャルメディア上のファッション (ふだん読まない人) の二極しかない。 これセグメント的に評価軸が異なっていて、 後者は本来は顧客じゃない層を広く取り込む発想で、 前者は富裕層の権威強化。 富裕層の権威強化ってのはつまりセメント靴を百万とかで売る高級ブランドみたいな手法ね。 前者も後者も 「子どもの頃から読むのが好きで、 ただおもしろいから読んできた」 って読者を疎外する。 いまの出版業界はそういう 「読者としては普通 (本を読む時点で普通ではない)」 の客をないがしろにしている。 富裕層ってのは比喩だけど、 高学歴でいい仕事に就いているひとたちが、 『かいけつゾロリ』 を見下しながら高尚な文学理論で小難しく、 お上品に語っちゃうような、 そういう読み方しか許されない小説をだれが読む? 普通の本好きは文学理論も 「映え」 もわからないけどピンチョンに爆笑するよ。 そんなおれたち 「普通の読者」 に読書を取り戻したい。 権威者のマウントからもソーシャルメディアの 「映え」 からもこぼれ落ちる価値と、 その読み方、 見つけ方を示したい。 どのフィルターバブルからもエコーチェンバーからも疎外された言葉でなければ救えないものがあって、 そんな本を読みたい。 そのために epub や POD や WordPress による地下出版で何ができるかずっと考えている。 アルゴリズムを出し抜くのだ。 抜け目なくやりたい。
2021.
12.13Mon
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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