イシュマエル・ノヴォーク

第28話: ハート・オブ・グラス

書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2021.11.26

七五号線を南下してインペリアル郡に着いた時マーガレットの背中はすっかり硬直していた彼女が振り向くと後部座席ではジャッキーとブルームデイが眠っていたマーガレットは運転席で陽気にハンドルを握るジョニーを見ながら休憩なしの一〇時間近いドライブを鼻歌混じりに行うことを可能にする気力と体力について考えるジョニーが口を開く
どうかしたのかい?
何も……不思議に思っていただけ
不思議? たしかにジミー・スミスは不思議だ世界で八番目の不思議って呼ばれるのもわかる左手でベースラインを弾きながら足でペダルを踏む初めて聴いたのはガキの頃だったけど宇宙人が弾いていると思ったもんさ
誰?
ジミー・スミス最高にイカしたオルガンを弾くんだ尖っているのに丸みがあってユーモアがある
面白そうねカセットは?
 下唇を突き出したジョニーが生憎今は持ってないんだ不覚だよと言うとマーガレットが
家に帰ったら……いいえ帰れたら図書館で探してみる
音楽を家で聴く時は通報される一歩手前の音量で聴くのがいいそれでフライドチキンを踊りながら食うどんなストレスだって吹っ飛ぶ
あなたのストレス発散方法?
ストレスってやつは忘れることができないだから上塗りするしかないんだマギーはどうしている?
 マーガレットは首を横に振り寝るだけ……そんなことをやっているうちにこんなトシになったのと言って自嘲気味に笑ったジョニーは喉を鳴らし
笑う時は頬っぺたが目玉を潰すぐらいがいい萎んだ屁みたいな笑いじゃあ楽しめないぜ
 汗でベタつく前髪を撫でたマーガレットがどうやったら楽しめるのかしら?とつぶやくとジョニーは口を包囲する口髭を指でなぞり
考えていたら楽しめない楽しみは考えるよりも速いしまばたきよりも速い
振り落とされそう
 ジョニーが笑顔を浮かべてそれならそれでいいんだと言った息を詰まらせたブルームデイが両肩を上下に痙攣させて目を覚ました
着いたのか?
 ブルームデイの声で目を覚ましたジャッキーは不快そうに首を振り青くなった顎を撫でた
シャワーを浴びたいわね
おれはビールが飲みたい
 マーガレットが仲がいいのねと言うとジャッキーとブルームデイはお互いを指差しとんでもないと声を揃えたジョニーが笑いクラクションを鳴らすと隣の車線を走っていた郵便車の運転手が親指を下げた大きく伸びをしたマーガレットが
ベッドが欲しい今ならずっと眠れそう

 リンカーン・コンチネンタルの改造されたエンジン音が子守歌のように響いていたジャッキーが
このあたりで停めてと言うとジョニーが静かにブレーキを踏んだ自動車が停まるとジャッキーがドアを開けた手をヒラつかせたジョニーが
まだ着いてないぜ?
少しは運動しないとね
セントルイスに向かえばいいのかい?
えぇそうあなたたちはマギーの伯父さんの家に行って
 不満げな顔でブルームデイが馬車馬だってもうちょっと丁寧に扱うと言うとジャッキーが
なら降りればと答えたブルームデイはぶつくさ言っていたもののジャッキーは気にしない素振りで髪を掻き上げマーガレットを見た彼女は疲れ切った顔で不法投棄された冷蔵庫のように口を開けた彼女がごめんなさいと言うとジャッキーは腰に手をやり
良くないわ変化が必要ね
自慢じゃないけどおれの細胞は毎日入れ替わっているんだとジョニー
それはそうでしょうねでも話が違うマギー降りて
 ジャッキーが自動車のドアを開け手招きするとマーガレットは戸惑った顔でジョニーを見たジョニーはトンボのようなサングラスの縁を撫でバーベキューにされたりはしないから安心しなと言ったマーガレットが自動車を降りようとするとフラつきジャッキーが素早くマーガレットの肩を抱いた細身だが筋肉質な身体だったマーガレットはジャッキーの顔を見たブロンドの長い髪植物由来の成分が含まれた整髪料の匂いジャッキーは青々した口を開き
大丈夫?
えぇ……ありがとう
疲れている顔ねでもこれから戦いがはじまるのよマギーあなたは戦い抜ける?
 マーガレットはウェーブがかった後ろ髪を撫でるとわからないと答えたジャッキーはマーガレットを見て
自信がないのねそれでも戦わなくてはいけない生きている以上戦いが続く
戦いなんて……私はお金が欲しいわけじゃない
何かを得るために戦うわけじゃなくてもあなた自身を守るためよそれとあなたがあなたであるためにジョニー明日の朝九時にここでマギーを拾って頂戴それからセントルイスに向かって
OKに同意スティーヴ飲みに行こうぜ
車は?
おれはいい加減な奴だけどこいつを路上に停めて飲みに行ったりはしないぜもちろん駐車場それから歩いてバーに行く歩きが嫌なら月面歩きでもいい
おれは普通でいい
エルヴィスに普通は似合わないだろ?
「〈キングは見世物じゃない
 手を叩いたジャッキーがその調子で明日の朝までやっているといいわマギーついてきてと言って歩き出した

 パーム・アベニューにはエゴン・シーレが描いた枯れたヒマワリのような外灯がオレンジ色の光を発していた太平洋から吹きつける潮風が通り抜けるマーガレットは目を細めTシャツの袖に触れた洗濯機の中で回転しつづけたことで汚れと共に柔軟性を失ったものそう遠くない将来窓枠を拭き取ることに使用されてゴミ箱に放り投げられる運命のもの
 ジャッキーは軽やかな足取りで歩いている父親あるいは母親と呼べる年齢のジャッキーは彼女に気を使う素振りを見せずに風を切るように歩いている対するマーガレットの足は鋼鉄のように重い彼女の脳裏にリトルロックのベッドや枯らしてしまった観葉植物置き去りにしたゴミが脳裏に過ぎるもののこれらはダグラス・ハイドパークの幻と同じように現実感に乏しかった彼女はどこでボタンをかけ違えたのかを考えるエリック・コッパードの前でブラウスを着た時か? ジョニー・オーロラのラジオ番組に生電話した時か? それともテレザ・ホットフィールドとダグラス・ハイドパークの二人が共に寝た時からか? 
 彼女は混線と狂騒を西海岸の果てに投棄したいと考えるしかしそれは無意味である血液を一滴残らず絞り出し輸血を試みたところでリトルロック市に保管されている住所録や銀行預金が彼女に紐づいていることに変わりはないように

 ジャッキーは朱色に塗られた店の前で足を止めた店には看板がなく窓ガラスはスモークガラスで中が見えないようになっているジャッキーがここよと言い二人は中に入って行った薄暗い店内にはシトラスの香が焚かれていたずらりと並んだバービー人形のように目鼻立ちがハッキリしたマネキンたちはゴテゴテした服を着ており虚ろな笑顔を浮かべている奥に進むと髪をエメラルドグリーンに染めアイシャドウは紫色のレザー・コルセット姿の肩幅が広い男が座っていた男はジャッキーを見るなり甲高い声で
あらジャッキー久しぶりね一体どうしたの?と言ったジャッキーは男とハグすると
この娘に服を見繕って欲しいの
 男はアイシャドウで紫に染まった目をパチクリさせ
ダサいわねそのTシャツもスニーカーもまるでなってない
いい娘よ名前はマギー
 マーガレットが儀礼的な精一杯の笑顔を見せると男は鼻をピクつかせたジャッキーが言う
ヴァイオラ以前はバレエダンサー今はスタイリスト
 ヴァイオラはエメラルドグリーンの髪の毛を掻き上げ
ついでに言うと現役の時はニジンスキーよりも高く跳べた
 マーガレットが誰?と言うとヴァイオラは露出した肩を上下させて
センスだけじゃなくて頭のほうもなってないみたいねジャッキーこの田舎娘をどこで掘り当ててきたの?
あんまり悪く言わないで頂戴あたしに言わせればあなただって若い頃はてんでダメだった
 喉を鳴らしたヴァイオラがジャッキーの前じゃあたしも小娘ねそれでどうして欲しいの?
 ジャッキーは片手を腰にやりもう片方の手を顎にやり
そうね……逆のイメージがいい髪型も変えてくれる?
もちろん構わないわ
 マーガレットは極めて高密度の光すら脱出できない天体のようなジャッキーとヴァイオラの前では口を挟むこともできなかったマーガレットの時空は歪められる彼女は沈黙し目を瞑る

ひどい髪まるでタワシね
マギーあとでお手入れの仕方を教えてあげるわ
これなんかどうかしら?
もう少しシックなほうが似合うと思うわ
これなんかどう?
中々いいわそれならこのジャケットはどう?
悪くないけどその系統のジャケットなら秘蔵のがあるの見てみる?
是非お願いするわ
これよ……メナシェが描いたの
コレクターなら喉から手が出るほど欲しがるようなものねどうしてこれを持っているの?
彼が売れる前に描いたの彼がデヴィッドと付き合いはじめた頃ね
凄いわジャン・ミッシェルの作品とどっちが値打ちがあると思う?
もしまだジャン・ミッシェルが生きていれば同じぐらいかしら
長生きなんてするもんじゃないわ
あなたはジャン・ミッシェルよりも前の人じゃない?
そうねあたしも長生きしすぎた
よしてよ皺が増えちゃう

 いつの間にか椅子に座らされたマーガレットはすり鉢状の夢の世界深淵の縁に到達する彼女の焦げ茶色の髪はショートカットに切り落とされ毛髪に薬剤が投下されるパラフェニレンジアミンが過酸化水素水と混合したことで酸化発色が開始されると過酸化水素によるメラニン色素の脱色から染毛が起こる彼女は眠ったままバービー人形のように服を着せ替えられていく

 両肩を軽く叩かれたマーガレットは身体を小さく震わせ目を開けた鏡の前にはレザージャケットにレザーパンツ濃いアイシャドウ真っ赤に染められたショートカットパンクバンドのヴォーカリストのような自身の風貌に彼女はうろたえるヴァイオラに後ろをみてと言われたマーガレットは自身の後ろ姿を鏡に映す油性塗料で一筆書きされた髑髏眼窩からは蔓が飛び出していたヴァイオラが言う
とっておきメナシェの作品よ今じゃあ考えられないかも知れないけれど以前はこういう作風だったのオークションにかけたら凄い金額になるわ
凄い画家?
そうよでもあなたにあげるジャッキーが連れて来るような子には何かがあるもの
 ヴァイオラはリボンが巻かれたミイラのような鞄を差し出し
それからこれもあげるこっちは少し違う服よ
そんな……もらったら悪い
マギー気持ちを受け取ってあげてそれにこれで返されたりしたらヴァイオラの顔に泥を塗ることになる
 ヴァイオラがジャッキーどうせもう泥まみれの顔だけどって言おうとしなかった?と言うとジャッキーはブロンドの長い髪を掻き上げ
そういうことにしておいてあげると言ってヴァイオラとハグをした

 店を出るなりマーガレットは手で顔を隠したが本当のところ何を隠すべきなのかわからず混乱していたジャッキーがマーガレットに詰め寄り口を開く
不満?
私には似合っていない
どうして?
私を見るような人はいないしそれに……
 ジャッキーは手をヒラつかせてマーガレットの言葉を遮った
しないことの理由を挙げようと思えばいくらでも挙げることができるだからこれからはすることについてにしなさいあなたは自分を見る人がいないと言った違うあなたが見せるのそれで何か言われたとしても気にする必要はないどんな恰好をしようがあなたの自由いいこと? あなたは自由これからあなたは戦わなくちゃいけないだからこれは下準備よ
 言い終えたジャッキーはついてきてと言うなりパーム・アベニューを歩き出した自動車整備工場ピザ店を横目に二人は黙々と歩く潮風がマーガレットの真っ赤に染まったばかりの髪を撫でる

 星条旗が垂れ下がったサーフィン用品店の前でジャッキーがここよと言うとマーガレットは泳げないと言った小さく笑ったジャッキーは薄暗い階段を指差し階段を下りていく階段の壁には意味を持たない言語が羅列されたシールやスチール写真新聞や映画のパンフレットの切り抜きが出鱈目に貼りつけられている階段を一段下りるごとにオクターブ跳躍するベースラインとバスドラムの低音が大きくなっていくジャッキーがドアを押すと内部で滞留していた洪水のような音が溢れ出しマーガレットの鼓膜耳骨皮膚を震わせた彼女は大音量に目を細めレザーパンツのポケットに両手を突っ込んで萎縮しながら入ると白い体毛に覆われた未確認生物サスカッチの着ぐるみに激突した反射的にマーガレットが謝罪すると大口を開けたままのサスカッチ人形が目玉に埋め込まれた小型電球を点滅させたしどろもどろになっているマーガレットを見かねたジャッキーが彼女の手を引き店内で踊る人びとを横目にカウンターに腰掛けたジャッキーはマーガレットの耳元で乾杯しましょうと言い軍帽にサスペンダー姿のバーテンダーに向かってハンドサインをしたショットグラスに無色透明の液体が注がれ二人の前に置かれたショットグラスが高らかに歌いマーガレットは冷凍庫でも凍ることのない液体を臓腑に流し込む登頂から爪先まで熱が駆け巡り彼女の意識は万有引力慣性遠心力からの離脱を開始するサスペンダー姿のバーテンダーは機械的にショットグラスを満たしマーガレットも機械的にショットグラスを空にし続けた大型スピーカーから流れるベースラインはディスコビートを刻みエコーがかったスネアドラムが店内の物体という物体すべてに反響している顔色が髪と同じ色に染まったマーガレットは笑みを浮かべると立ち上がってフラフラと歩き出す踊りながら抱擁する人びとは彼女の目には溶けて一体化しているように見えた店内を流れているのは唇に高額の保険をかけたデボラ・ハリーが在籍したブロンディハート・オブ・グラスだった恋人たちはキスをし手や肌でお互いの存在を確認するように触れ合う両手を広げたマーガレットはミュージカル映画サウンド・オブ・ミュージックのジュリー・アンドリュースのように旋回するなぜ神秘主義者でもない修道女見習いが音階の歌を歌いながら旋回するのか? クレオパトラによって傾いた二〇世紀狐社の経営を立て直すためだ行為と結果は逆転するが必ずしも矛盾しない遠心力によって法悦と陶酔が増しマーガレットはマニ車のように回転するもしマーガレットがオーストリア・ハンガリー帝国海軍軍人にしてイタリアの商船を攻撃した男の家にやってきたとすれば彼女が歌うのは映画ではカットされた誰も止められないだろうジャッキーはサスペンダー姿のバーテンダーから紙巻煙草を受け取り煙草に火を点ける天井から放射される無数の光線がマーガレットの真っ赤な髪にあたり七色に輝く

 ☆

 リンカーン・コンチネンタルの車内で目を覚ましたジョニーは欠伸をしながらアフロヘアーを揉んだジョニーはダッシュボードからキシリトールを配合した板ガムを一枚とり出して口に放ると後部座席で足を延ばしながら眠るブルームデイを見たブルームデイの腹は呼吸の度に収縮を繰り返していたブルームデイのいびきは神話なき国にも神の到来を予感させるような力強さがあったジョニーは平手で膝を叩き雷鳴のようないびきに音を添えた
前方からやって来るレザージャケットに真っ赤な髪の女を見た時ジョニーは自身の眼球を疑いサングラスをずらして確認した訳知り顔の女が自動車のドアを開けて助手席に座ると満面の笑みを浮かべたジョニーが楽しんだみたいだと言った
 マーガレットが絞り出した頭が痛いという声はしゃがれており腫瘍手術を終えて間もないのに怒鳴ったことで人生で二度の変声期をむかえたマイルス・デイビスのようだった
ジャッキーは?
準備……訴訟の……団体テープとか調べるから……頭が割れるみたいに痛い
 ジョニーはマーガレットの真っ赤に染まった髪を見ながら割れてない血塗れみたいに見えるけどと言ってダッシュボードからとり出した板ガムをマーガレットに差し出したマーガレットは黙ってガムを受け取り口に放ったジョニーが
似合っているぜと言うなりアクセルを踏み込んだ


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。

連載目次


  1. 一九七一年 パリ、ホテル・アンリ四世
  2. 二〇〇三年 アーカンソン州リトルロック
  3. リトルロック空港
  4. アーカンソン州リトルロック
  5. カリフォルニア州ロサンゼルス
  6. カリフォルニア州サンタモニカ
  7. カリフォルニア州ビバリーヒルズ
  8. アリゾナ州エルコ
  9. 一九七〇年カリフォルニア州ロサンゼルス / ミスター・ジョンソン。死んだよ
  10. 私たちは何者か?
  11. テキサス州ダラス
  12. アーカンソン州リトルロック
  13. カリフォルニア州ロサンゼルス
  14. カリフォルニア州ブエナパーク
  15. アーカンソン州リトルロック
  16. サタデー・ナイト・サタナイトショー
  17. 黒いブラックサバス
  18. カリフォルニア州スキッドロウ
  19. ブリテン・ボード・システム
  20. カリフォルニア州インペリアル郡 ~ジャック・トレモンド
  21. カリフォルニア州インペリアル郡 ~スティーヴ・ブルームデイ
  22. 裸の街
  23. 明敏で過敏なパーセプション (一九六六年 アップビート誌 九月号より)
  24. カリフォルニア州サンディエゴ ~ドーピーズ
  25. ピンクパープルの力学
  26. カリフォルニア州サクラメント
  27. 一九七〇年 コロラド州プエブロ
  28. ハート・オブ・グラス
  29. 屈折した知覚
  30. ミズーリ州セントルイス
  31. 離見の見
  32. 審理前会議
  33. オーディション
  34. 予備審問
  35. ハイエナたち
  36. デイライト
  37. アリゾナ州フェニックス
  38. 立証を終えて
  39. ブリテン・ボード・システムⅡ
  40. テキサス州エルパソ
  41. チップの用意はいいかい? ~TAKEⅠ
  42. チップの用意はいいかい? ~TAKEⅡ
  43. チップの用意はいいかい? ~TAKEⅢ
  44. テキサス州エルパソ ~天使のホンキートンク
  45. はかりごと
  46. 煙が目にしみる
  47. フロリダ州マイアミ
  48. モルフォゲンの輝き
  49. 暗号美学
  50. フロリダ州タイタスビル
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