裏切り者へ愛をこめて:阿部和重論

連載第16回: 甘き死を超えて 2

Avatar photo書いた人: 柳楽 馨
2022.
02.23Wed

甘き死を超えて 2

承前

意深く見守る育成閉じこめて殺す監禁という裏面を持つことを思えばこの甘い死の匂いにも納得がいく甘味は妊婦と胎児つまり女性と子供のものなのだ。 「オバマ大統領母に連れられて子供の頃に鎌倉の大仏を見に行った時は抹茶アイスクリームの方に夢中だった」 (Org 7)。 CIAでのラリーの同僚であるエミリー・ウォーレンという女性は阿部和重も何かとヒヤヒヤさせるが彼女も大好物のチョコ菓子小枝」 (Org 524には笑顔を見せる新たな命が生まれるか否かの瀬戸際である妊娠期間も一人では生きていけない子供の育児期間も生と死が境を接する時期であることに変わりはないその境目を阿部は甘く味つけする

 だがすでに強調したように私たちが言う育成は親子の間のそれよりも幅広いものを指すたとえば大人の男であっても瀕死の怪我人は赤ん坊のようなものでありそれゆえ重傷を負ったラリーも甘いものに誘惑されるたまたま映記と同じ誕生日のラリーに阿部和重がチョコレートケーキを出してやると、 「身動きの取れないひきこもりの怪我人にとってあまいもんは危険きわまりない」 (Org 94からといって一口だけでラリーは我慢するそのくせラリーは痛み止めとして大麻を吸い平気な顔で阿部和重にもそれを勧めるのだから甘いものがいかに絶大な快楽と危険性を備えたものとして描かれているかが分かるだろう。 「阿部和重の妻である映画監督川上には山下さとえというアシスタントがいるのだが監督の無茶な指示に振り回される彼女が登場する場面では、 「連戦連勝の大本営発表」 (Org 464のような戦争の比喩が動員されるいつ死んでもおかしくない戦場のような状況で生きる山下も、 「やたらとあまいものをほしがってホットケーキと山形県産だだちゃ豆アイスクリームとクレームブリュレ」 (Org 463をあっという間に平らげる

 そして山下の苦しみは作品を完成させるための産みの苦しみであるここでもまた、 「丸裸濡れ衣と同様阿部は定型的な表現を文字通りに書くことで作品を構築している。 「阿部和重エージェントの仁枝亮作にスイーツバイキング」 (Org 274をおごらせて映記とラリーのおかげで原稿の執筆どころではないと愚痴るのだが子育てと介護なんてまさに現代的なテーマじゃないですかと仁枝は言う

へえそうなんだなんだか不思議とやる気でてきたわ

なによりですわれわれエージェントはせいぜいことくらいしかできませんからね

そいつはありがたい親ごころのようなものすら感じるよ」 (Org 273 傍点引用者

 作家もまたで育てられる子供でありその作家にとっての子供とは作品のことだ。 『Organismの育成はもう一つ別の育成を行う者を生み出そうとする行為なのだそうでなければ監禁の反復や暴力の連鎖に抵抗できない父親阿部和重を描くことで阿部はみずからを作品の母親として生まれ変わらせようとしている映記にとってパパではママの代わりにならないことくらい阿部和重は知っているだろうがそれでも父でありかつ母でもあるような存在とは理想的な親ではなかろうか

 ありふれた定型表現を文字通りに描くということは現実の事物とそれを意味する言葉との間を行ったり来たりするということだ文字通りの子供だけでなく文字として生み出される作品を阿部と阿部和重は育て上げるこうした意味での育成についてならやはりオバマ大統領より映記の方が重要になる。 「いちごの果汁グミ」 (Org 394チョコチップクッキー」 (Org 411で機嫌をとることはできても映記は母親を求め続けているしかし逆に言えば甘いお菓子は映記にとって母親の抱っこの代替物ということになるいまここにはないものの代わりをすることそれは言語の機能の最たるものだその意味でホットケーキそのものではなくしろくまちゃんのほっとけーきを愛読する映記はすでに少しずつ母の不在に耐えはじめている

 その一方で、 『アメリカの夜で余白に書きこまれるはずの墓碑銘死者の名がそうであるように言葉はそれが意味するものがいまここにはないことを暗示して人を苦しめるだからラリーが不用意に川上の名前を出すと映記は即座にママは?と問いかけてパパを困らせる。 「このあとも二〇分ほど延々とおなじ応答をくりかえさねばならぬ羽目となった」 (Org 387)。 同じことを何度も言い聞かせねばならない子供はまるで書いたそばから文字が消去される厄介な白紙のようだ。 (つづく

次回は 3 月 2 日ですお楽しみに!

英米文学を研究しているレッチリの大ファン。下唇の左側に複数のピアスあり。(文責:編集部)
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