裏切り者へ愛をこめて:阿部和重論

連載第14回: ゆりかごを揺らす獄吏の手 5

アバター画像書いた人: 柳楽 馨
2022.
02.09Wed

ゆりかごを揺らす獄吏の手 5

承前

ピストルズでは監禁から育成への転換が十分に果たされなかった星谷影生が菖蒲カイトの後頭部を叩く場面で、 『グランド・フィナーレの読者は既視感を覚えたかもしれない一人娘にプレゼントを渡してもらおうとした沢見に向かって伊尻という友人は諦めろ馬鹿というようなことを言う。 「馬鹿野郎はお前のほうだこんちくしょうが──伊尻をそう怒鳴りつけるつもりで口を真ん丸く開きかけたわたしは不意に後頭部をぱしりと叩かれたせいで懐かしい感覚が甦ってきてブレーキを掛けられてしまい)」 (GF 49)。 沢見の後頭部を叩いたのはやはりあの女性Iであるここで重要なのは罵倒を制止する人間星谷/Iの性別だけではないなぜならカイトが乱暴な口をきかないよう止めた星谷自身が口の悪い男であるのとは対照的にIは沢見を口汚く罵ったりしないからだ罵倒という言葉の暴力を抑制するにあたり星谷とIのどちらが適任かは明らかだろう

 菖蒲水樹とみずきの間にはIと沢見のような関係が成立しない小学五年生のとき上級生のケンカに巻きこまれてみずきは母吾川捷子が残した大切なヴァニティケースを壊されてしまう激怒したみずきは秘術で上級生たちを痛めつける当然父はそれを咎める当然娘は最初から秘術を使えばそもそも問題にならなかったと言い返す。 「それはカイトの受け売りだなという意地悪な論点のすりかえが父からみずきへの応答でした」 (Ps II, 258)。

 この意地悪な応答では何が起きているのか確かにみずきの言い分は、 『ピストルズ冒頭ですでに開陳されていたカイトの主張を引き写しただけに見えるそしてこれはいくつも例を挙げたように言葉の発信者や受信者が代理人になるという事態であるだがだからといってみずきの言い分が間違っているということにはならない語られる事柄の妥当性とそれを語っているのが誰かという問題は強く結びついてはいるが別々に考えるべきことだからだまして一般的に妥当することを真実と呼ぶならその真実を語るのが具体的に誰であってもかまわないし逆にどれほど抽象的なことでも結局は個別の人間によって語られるしかない一般性/個別性あるいは抽象/具体の境界線もまた言葉によって乗り越えられるつまりお前はお前の言葉で語ることすらできないと父・水樹が暗に娘・みずきに告げる時それは言葉の暴力であると同時に相手の言葉を奪う暴力なのだそれでいて水樹がみずきに言い聞かせようとしているのは要するに暴力はよくないということだこれが矛盾でなくてなんだろう

 こちらに銃口を向けている人間に金銭を要求されるならまだしも、 「暴力では何も解決しないなどと説教されればその言行不一致に困惑するしかないつまりその言葉は真実を告げる説諭ではあるがそれが発された状況次第ではこちらを馬鹿にしているのかと思うような不条理な言葉つまりは罵倒になるというより思わずツッコまずにいられないボケだろうかツッコミなら笑い話だが笑えない暴力に発展することもある。 『ピストルズ血の日曜日事件娘の育成に失敗した父親の悲劇でありその失敗の原因は結局のところ言葉以外にはない

Orga(ni)smの解釈に先だって私たちはスタートラインに引き戻されるこの作品のテーマは言葉による暴力の抑制であるだが言葉も暴力も個別具体的には様々なかたちをとりこういった抽象的な命題では何も言ったことにならないそしてここでもまた言葉はその両義性を発揮する抽象的すぎて何も言っていない命題は同時に何もかもあらかじめ総括して語っているようにも見えるからだだからこそそれは具体的な小説を読んだフリをするのにはとても役に立つ正しいからだ私たちはこの安全で無難な正しさを超えていこう。 『Orga(ni)smオバマ大統領対話を重視し武力行使に慎重であろうとしつつそれだけに他国には侮られさらなる暴力が引き起こされるかもしれないというジレンマに悩まされるこれこそあらゆる言葉が暴力的な罵倒になりうるという視点から私たちが指摘してきたものだ。 「大いなる矛盾をみずからひきうけるバラク・オバマがひとつの身体にかたく閉じこめられていることの困難」 (Org 258という表現は監禁やそれに結びつくその他の主題が維持されていることを示す幼少期に日本を訪れたオバマ大統領、 「母の手を掴み何があってもお母さんを守るんだ」 (Org 6と決意していた。 『Orga(ni)smという大いなる育成の試みをわずかばかりでも直に見守ってみたい

次回は 2 月 16 日ですお楽しみに!

英米文学研究者。『小説トリッパー』2022年夏号「今もかならず、どこかに春が」でデビュー。関西在住の文学研究者・大学教員。