こシンセミア』 の文脈では、 『ピストルズ』 の吾川捷子 (みずきの母) による監禁に注意を促したい。 吾川は親友の片山笙子を死なせた男への復讐を誓い、 片山が 「郊外の一軒家に閉じこめられ」 (Ps I, 340) ていたのだから、 「アイツを捕まえてきて、 監禁して、 徹底的にぶっ飛ばしてやる」 (Ps I, 344) と決意する。 またしても監禁者が監禁され、 監禁が反復される。 吾川は、 親友をろくでなしの 「アイツ」 に引き合わせた 「自称映画監督」 の男も同罪と見なし、 「見張りと雑事を担う牢番役」 (Ps I, 345) として 「アイツ」 の監禁を手伝わせるのだが、 この牢番役もまた、 自らも (半ば) 監禁されつつ他人を監禁している。 だが、 三カ月ほどこの状態が続いたころ、 大して暴行されてもいない 「アイツ」 は隙を見て逃亡する。
この挿話では、 監禁が失敗するだけでなく、 思いがけない育成が成立する。 吾川は、 牢番である 「自称映画監督」 の男をママと呼ぶよう 「アイツ」 に強要したのだが、 「自称映画監督」 も 「アイツ」 を甲斐甲斐しく世話するようになる。 監禁が失敗したのは、 この二人の男のあいだに 「疑似的な母子の触れあい」 (Ps I, 349) が生じてしまったからだ。 そして 「アイツ」 が逃走すると、 「自称映画監督」 は、 自分のことはいいから警察が来る前に逃げろと吾川を急かす。 「警察だって、 おれがアイツのおふくろだと知っちまったら、 手だしはできないと決まってる。 なにせ連中は、 原則的に民事不介入だからな。 親子の揉め事には、 やつらは首を突っこめないんだよ」 (Ps I, 355-56)。 これは、 「自称映画監督」 の勝手な思い込みではない。 吾川に包丁を突きつけた 「アイツ」 は、 買い出しから戻った 「自称映画監督」 がうろたえる様を見て、 「あたかも病身の母を心配する、 おさない子供のごとくに」 (Ps I, 352) 自分も動揺する。 こうして、 言葉の上での疑似的な 「母子」 が本物以上になってしまう。
明らかに、 この挿話は郡山橋事件を描き直したものだ。 監禁と育成が重なり合うことは 『シンセミア』 ですでに暗示されていた。 被害者を 「熊女」 (SS II, 217) と呼んだ加害者たちにとって、 彼女への監禁・暴行は 「サーカスだとかの 『熊の調教』 みたい」 (SS II, 218) なものだった。 この娼婦は 「汚穢に塗れた」 (SS II, 217) 体で監禁されていたが、 『ピストルズ』 の 「アイツ」 もまた、 監禁されて以来 「三カ月も入浴せずにいる、 着たきりスズメ」 (Ps I, 349) である。 そのせいで臭いもきつくなってきたので、 「アイツ」 を風呂に入らせて汚れた服も洗濯しようと 「自称映画監督」 が提案し、 吾川もそれを認めたことから、 すでに述べたように監禁が失敗に終わる。
この挿話には一カ所、 不可解な記述がある。 すっかり 「腕利きのベビーシッター」 (Ps I, 348) のようになった 「自称映画監督」 が食料の調達にでている間、 脱出しようとした 「アイツ」 は背後から刃物を突きつけて吾川を捕まえる。 「体を引きよせられると、 肌が濡れたような感触を得た捷子さんは、 アイツの着ているものが上から下までしっとりと湿っていることに気づきます──洗濯槽の中にあった自分の服を、 そのままアイツは身につけていたわけです」 (Ps I, 351)。 衣服が濡れていることなど、 書く必要があるのだろうか。 濡れた服のまま逃亡したために 「アイツ」 が凍死した、 という展開があるわけでもない。 だが答えは、 あっさり見つかる。 郡山橋事件の娼婦は、 神町に住むある妻帯者の男性をたぶらかしているという 「濡れ衣を着せられていた」 (SS II, 210)。 「アイツ」 は現に片山笙子に害を及ぼしたのだから濡れ衣ではないが、 着ているものは文字通り濡れてしまう。
そしてこれが入浴や洗濯の結果であることから、 「洗浄」 の重要性が見えてくる。 これも 「散髪」 と同じく、 身だしなみを整える行為であり、 いわば育成の一環である。 だからこそ、 体を洗うことも髪を切ることも監禁・拷問の一部になるのだ。 郡山橋事件の加害者たちは、 娼婦を 「粉雪のちらつく川辺に連れ出して、 衆人環視の中で水浴び」 させた (SS II, 208)。 切っても切ってもすぐさま毛が生えるかのように真っ黒なこの娼婦は、 洗っても洗っても落とせない汚れでもある。
郡山橋事件の真の黒幕だった菖蒲家は、 この娼婦の悲劇を繰りかえす。 彼女が橋から落下して、 「川原の岩端に後頭部を直撃して頭蓋がぱっくりと割れ、 乳色の脳髄がはみ出てしまい、 流血によって青白い顔が紅玉のごとく真紅に染まっていた」 時と酷似した光景が、 菖蒲家の父娘 (水樹とみずき) によって再演されるのだ (SS II, 210 傍点引用者)。 「血の日曜日事件」 では、 暴行されて 「血だるま」 の水樹は 「見ろ、 体中、 こんな色になっちまった」 とみずきに言い、 「後頭部」 を金属バットで強打される (Ps II, 427 傍点引用者)。 濡れ衣を着せられ、 後頭部が割れて死んだ女性に身をもって詫びるかのように、 水樹は全身を血で濡らし、 後頭部を攻撃される。 (つづく)