裏切り者へ愛をこめて:阿部和重論

連載第11回: ゆりかごを揺らす獄吏の手 2

アバター画像書いた人: 柳楽 馨
2022.
01.19Wed

ゆりかごを揺らす獄吏の手 2

承前

シンセミアの文脈では、 『ピストルズの吾川捷子みずきの母による監禁に注意を促したい吾川は親友の片山笙子を死なせた男への復讐を誓い片山が郊外の一軒家に閉じこめられ」 (Ps I, 340ていたのだから、 「アイツを捕まえてきて監禁して徹底的にぶっ飛ばしてやる」 (Ps I, 344と決意するまたしても監禁者が監禁され監禁が反復される吾川は親友をろくでなしのアイツに引き合わせた自称映画監督の男も同罪と見なし、 「見張りと雑事を担う牢番役」 (Ps I, 345としてアイツの監禁を手伝わせるのだがこの牢番役もまた自らも半ば監禁されつつ他人を監禁しているだが三カ月ほどこの状態が続いたころ大して暴行されてもいないアイツは隙を見て逃亡する

 この挿話では監禁が失敗するだけでなく思いがけない育成が成立する吾川は牢番である自称映画監督の男をママと呼ぶようアイツに強要したのだが、 「自称映画監督アイツを甲斐甲斐しく世話するようになる監禁が失敗したのはこの二人の男のあいだに疑似的な母子の触れあい」 (Ps I, 349が生じてしまったからだそしてアイツが逃走すると、 「自称映画監督自分のことはいいから警察が来る前に逃げろと吾川を急かす。 「警察だっておれがアイツのおふくろだと知っちまったら手だしはできないと決まってるなにせ連中は原則的に民事不介入だからな親子の揉め事にはやつらは首を突っこめないんだよ」 (Ps I, 355-56)。 これは、 「自称映画監督の勝手な思い込みではない吾川に包丁を突きつけたアイツ買い出しから戻った自称映画監督がうろたえる様を見て、 「あたかも病身の母を心配するおさない子供のごとくに」 (Ps I, 352自分も動揺するこうして言葉の上での疑似的な母子が本物以上になってしまう

 明らかにこの挿話は郡山橋事件を描き直したものだ監禁と育成が重なり合うことはシンセミアですでに暗示されていた被害者を熊女」 (SS II, 217と呼んだ加害者たちにとって彼女への監禁・暴行はサーカスだとかの熊の調教みたい」 (SS II, 218なものだったこの娼婦は汚穢に塗れた」 (SS II, 217体で監禁されていたが、 『ピストルズアイツもまた監禁されて以来三カ月も入浴せずにいる着たきりスズメ」 (Ps I, 349であるそのせいで臭いもきつくなってきたので、 「アイツを風呂に入らせて汚れた服も洗濯しようと自称映画監督が提案し吾川もそれを認めたことからすでに述べたように監禁が失敗に終わる

 この挿話には一カ所不可解な記述があるすっかり腕利きのベビーシッター」 (Ps I, 348のようになった自称映画監督が食料の調達にでている間脱出しようとしたアイツは背後から刃物を突きつけて吾川を捕まえる。 「体を引きよせられると肌が濡れたような感触を得た捷子さんはアイツの着ているものが上から下までしっとりと湿っていることに気づきます──洗濯槽の中にあった自分の服をそのままアイツは身につけていたわけです」 (Ps I, 351)。 衣服が濡れていることなど書く必要があるのだろうか濡れた服のまま逃亡したためにアイツが凍死したという展開があるわけでもないだが答えはあっさり見つかる郡山橋事件の娼婦は神町に住むある妻帯者の男性をたぶらかしているという濡れ衣を着せられていた」 (SS II, 210)。 「アイツは現に片山笙子に害を及ぼしたのだから濡れ衣ではないが着ているものは文字通り濡れてしまう

 そしてこれが入浴や洗濯の結果であることから、 「洗浄の重要性が見えてくるこれも散髪と同じく身だしなみを整える行為でありいわば育成の一環であるだからこそ体を洗うことも髪を切ることも監禁・拷問の一部になるのだ郡山橋事件の加害者たちは娼婦を粉雪のちらつく川辺に連れ出して衆人環視の中で水浴びさせたSS II, 208)。 切っても切ってもすぐさま毛が生えるかのように真っ黒なこの娼婦は洗っても洗っても落とせない汚れでもある

 郡山橋事件の真の黒幕だった菖蒲家はこの娼婦の悲劇を繰りかえす彼女が橋から落下して、 「川原の岩端にを直撃して頭蓋がぱっくりと割れ乳色の脳髄がはみ出てしまい流血によって青白い顔が紅玉のごとく真紅に染まっていた時と酷似した光景が菖蒲家の父娘水樹とみずきによって再演されるのだSS II, 210 傍点引用者)。 「血の日曜日事件では暴行されて血だるまの水樹は見ろ体中こんな色になっちまったとみずきに言い、 「を金属バットで強打されるPs II, 427 傍点引用者)。 濡れ衣を着せられ後頭部が割れて死んだ女性に身をもって詫びるかのように水樹は全身を血で濡らし後頭部を攻撃される。 (つづく

次回は 1 月 26 日ですお楽しみに!

英米文学研究者。『小説トリッパー』2022年夏号「今もかならず、どこかに春が」でデビュー。関西在住の文学研究者・大学教員。