『ピストルズ』 では罵倒の連鎖が生じにくいが、 小児性愛者の沢見克実が菖蒲みずきの秘術にかかり、 会えなくなってしまった一人娘への思いを白状させられる場面は、 やや事情が異なる。 石川麻弥と鴇谷亜美が自殺しようとしていることに勘づいた沢見を、 みずきは 「言葉でいたぶらずにはいられなくなって」 (Ps II, 312)、 自分や彼女たちを裸にしようしていたのだろうと責めたてる。 胸の内を明かしながら沢見は悪態をつく。 「クソッ、 駄目だ、 このクソッタレが! まいったなチクショウ、 チクショウが! コンチクショウが!」 (Ps II, 305)。 これは、 みずきにバカ、 カス、 恥知らず、 と罵られた中学生たちが 「みな歯を食いしばったり渋面をつくりながら、 その通りだとうなずくしかなかった」 (Ps II, 268) のとは対照的である。
もちろん、 みずきと沢見は罵りあっているわけではない。 みずきの秘術で彼は自分自身の内側に閉じこめられており、 彼の罵倒はみじめで無力な彼自身に向けられたものだ。 別の場面でみずきは、 スーパーマーケットの空き店舗でいかがわしい商売をしていた霊能者を標的にしている。 この霊能者は強制的にみずきの心の中を見せつけられ、 壮絶な修行の記憶や奇怪な幻影によってたまらず嘔吐する。 「パーティションで仕切られた場所での事態ゆえ、 店内の仲間にはいっこうに察してもらえず、 助けを呼ぶ声も出せずにわが身を抱きしめていた霊能者は──孤立無援の中で恐怖の想念に苦しめられ、 自身の吐き出したものの傍らに座りこみながらひたすらおののく」 (Ps II, 358)。 沢見の 「コンチクショウ」 は、 このインチキ霊能者の吐瀉物に対応する。 現に、 『Orga(ni)sm』 の金森年生は小児性愛者としての欲望を抑えるべくみずきに秘術を施され、 「半径十数メートル圏内に女児がいると認識した途端、 本人が自主的にその場から遠ざかるまで反射的に嘔吐をくりかえしてしまう」 (Org 778)。 その嘔吐を目撃した 「阿部和重」 は、 「うるっせえ、 こっち見んなくそが」 (Org 401) と金森に罵られている。 罵倒するときに口から出てくる言葉とは、 ゲロでありクソであり、 自分の内側から生じたものではあるが、 排出しないと自分が苦しむことになる汚物である。 一時は沢見に殺されたのかという疑いも浮上した少女は、 LSDによるいわゆるバッドトリップにはまり、 仲間の少女たちから離れ孤立する。 「えずきかけた吐瀉物が気道をふさぎ、 もがき苦しんでいるところをだれにも気づいてもらえなかった少女は──その場であえなく窒息死してしまった」 (Ps II, 381)。
そして、 沢見の精神を掌握して内面をすべてさらけださせた時のみずきが 「獄吏さながら」 (Ps II, 307) と形容されるように、 菖蒲家の秘術の本質とは、 自白を引き出すために対象を (精神的に) 隔離・監禁するところにある。 だが、 真実を知っていながらそれを語ろうとしない者は、 その者自身が真実を閉じこめて見えなくしている牢獄に似ている。 つまり、 奇妙なことだが、 真実を己の内部に監禁する者こそが監禁される。 監禁されているのは監禁者なのだ。 『ピストルズ』 大詰めの 「血の日曜日事件」 では、 血の気の多い連中が大勢集まって、 真相を暴くために沢見を取り囲もうとする。 その 「四〇名ほどの少年らを屋内に待機させておき、 そこへひそかに警察を呼んで袋のネズミにしてしまい、 ひと夜のうちにひとり残らず凶器準備集合罪で検挙させる」 (Ps II, 413) のがみずきの目論見だった。 沢見を包囲 (=監禁) しようとした者たちをみずきは逮捕 (=監禁) しようとしているわけで、 こんなこみいった試みは破綻するに決まっている。
すこし文脈を広げておこう。 ここまで述べてきた 「罵倒の連鎖」 や 「監禁の反復」 は、 (阿部の) 小説を読むとはどういうことなのかという問題と確実につながっている。 『シンセミア』 の末尾には池谷真吾というジャーナリストが登場する。 様々な事件の真相を知りたがっている池谷は星谷影生に話を聞かせてくれと懇願するのだが、 ホシカゲさんは寿司やビール程度の情報料と引きかえに、 あまりにも重々しい真実を軽々しく喋ってしまう。 池谷も、 にわかにはそれが信じられない。 「しかし、 仮に真実だとして、 そんなこと喋っちゃっていいんですか? 大丈夫なんですか? 星谷さんは」 (SS II, 495)。 『シンセミア』 の 「真実」 がそれを暴いた者に死をもたらす以上、 平気な顔で真相を明かすと称する人間の言葉を額面通りには受けとれない。 人々が交わす言葉は無責任なデマも含み、 噂ぐらいの信憑性しかなく、 そんな噂の的になる者にとっては深刻な侮辱や罵倒と変わらない。 (つづく)