裏切り者へ愛をこめて:阿部和重論

連載第7回: 監禁者たちもまた監禁される 2

アバター画像書いた人: 柳楽 馨
2021.
12.22Wed

監禁者たちもまた監禁される 2

承前

暴露についてはどうか博徳と和歌子が和解するのは二人が互いの秘密をとことんまで暴きはしなかったからでもある博徳は和歌子の過去をまるで知らないわけではないが和歌子に強いてその件を話させたりはせず和歌子も博徳が何故それを知りえたのかを追求しない他の登場人物に目を向けるとこの違いが明瞭になる松尾丈士の愛人である広崎妙子によって博徳は轢き殺されるのだがそれは博徳が妙子を怒鳴りつけ妙子の秘密松尾との不倫や松尾に命じられた盗撮をすっかり白状させたからだ博徳を殺してから妙子も自殺するそもそも郡山橋事件が地元ですら語り継がれなかったのは売買春が横行した当時、 「ただでさえパンパンの町などと誹謗されている地元の心証をこれ以上毀傷してはならぬという大義名分」 (SS II, 213-14のために神町住民がそろって沈黙したためだった。 『シンセミアの真実は暴かれれば全方位に致命的な打撃を与えてしまうものでありだからこそ必死に隠されるのだ

 こうした真実それを隠したり暴いたりする特定の誰かにとっての真実である博徳が妙子の自白を録音した音源は両者の死後にも残るしかしこの時すでに真相を隠していた妙子と松尾および真相を暴こうとした博徳は全員死んでいるので隠したり暴いたりする意味がなくなったこの真実は狭い意味では真実ではないつまりそれはもっと控え目な、 「事実情報へと変質している。 『シンセミアの言葉が真実を語りえないとはこうしたことを指すしたがって、 『シンセミアは登場人物とは違う非人称の語り手を採用しなければならなかった嘘や間違いではないという点で広い意味では真実と言えそうなことを語るためにはその言葉を発するのが特定の誰かであってはならないのだ

シンセミアのとても不自然な展開もこの観点から説明できるつまり田宮家を追いつめる怪文書という作中最大の罵倒名前も明かされない人物によって物語に導入されるのは何故なのかということだ。 『シンセミア主な登場人物の一覧では数回言及されるだけの者も含めて五〇人以上の氏名が列挙されているこうも律儀な名簿があるのに郡山橋事件という神町最大の秘密はたんなる書店主の口から語られる事件を調査していたこの書店主の名前が石川満であることはピストルズで初めて語られるさらに言えば郡山橋事件の概要をこともあろうに松尾に話してしまい結果として田宮家崩壊の原因を作ったのは書店主石川から事件のことを聞いた二三歳の女性JA職員」 (SS II, 201であって妙子ではないまだ石川という名が明かされない書店主とこの箇所にしか登場しないJA職員は実質的には匿名の語り手の分身と考えられる

 石川に注目すると、 『シンセミアからピストルズへの変化が明瞭になる。 『シンセミアで松尾に挑発された書店主石川、 「不機嫌を露にしてテーブルを叩き、 『馬鹿な!と怒鳴って」 (SS II, 199いただがピストルズで語り手として再登場した石川は様子が違う謎の多い菖蒲家を訪ねた石川はホシカゲさんこと星谷影生とその付き添いのタヌキセンセイこと星谷真実に出くわし菖蒲家と関係があるのかと尋ねる。 『シンセミアにも登場したホシカゲさんの口の悪さは、 『ピストルズでも健在だ

こごはおれんちだこのドアホが!

たしかに自分はドアホであるとわたしは思った──ホシカゲさんが菖蒲家をおれんちだと断ずる可能性をまったく考慮にいれていなかったからだ。 (

しかし立ち所に疑問も芽生えたホシカゲさんの名字は星谷であって菖蒲ではない婿入りして姓が変わったと考えるのが自然だが──この老人は未婚のはずなのだ。 (Ps I, 81

 いくらなんでもドアホと言われてこの反応は素直すぎる。 『シンセミアの終盤自暴自棄になった警官の中山正は別の事情で悪事に手を染めた二人の同僚を罵る。 「このボケが!」 「なめんなこん畜生!」 「馬鹿っ!」 (SS II, 446-48罵声が増幅され結果として中山は射殺される各場面での緊迫感の違いはあるにしても罵倒が罵倒を呼びよせ暴力が噴出するというシンセミアのメカニズムがピストルズでは無効になっているかに見える

 ここでも微妙で相対的な差異が重要になるあらゆる言葉が罵倒として機能しうることはすでに述べたこれは原則として粗暴な物言いをしないピストルズの語り手たち石川と菖蒲あおばについても妥当するたとえばあおばが菖蒲家の来歴を長々と語るのはその末に石川の娘の麻弥が自殺を決意していたという過去を石川に告げるためである菖蒲みずきが密かに介入したため麻弥は現在も生きている田宮家の悲劇の責任を感じた石川は廃人に近い状態になり娘の苦悩をまるで知らずにいたのだ石川を傷つけすぎないように時間をかけてはいるがあおばは石川にとって衝撃的な真実を暴露それを知らずにいた石川を罵倒しているとも言える現に麻弥が親友の鴇谷亜美とともに死のうとしていたことを聞かされた石川は、 「とにかく己の情けなさを痛感させられるばかりPs II, 325)。 『シンセミアでもピストルズでもすべての言葉には暴力性・攻撃性が宿っているだがかつての罵倒相手に辛い真実を受けとめさせるための説諭に変わり同時に嘘が混じり誹謗中傷にしかならなかった暴露その言葉通りに真実を明かす行為になったのだ。 (つづく

次回は 12 月 29 日ですお楽しみに!

英米文学研究者。『小説トリッパー』2022年夏号「今もかならず、どこかに春が」でデビュー。関西在住の文学研究者・大学教員。