柳楽 馨

裏切り者へ愛をこめて:阿部和重論

連載第6回: 監禁者たちもまた監禁される 1

書いた人: 柳楽 馨
2021.
12.15Wed

監禁者たちもまた監禁される 1

2:監禁者たちもまた監禁される

語・擬音語が多用されるシンセミアの解釈をもうひとつ上の段階に押し上げようこの小説は破壊と暴力を誘発する罵倒の言葉によって書かれている粉塵爆発で死ぬ隈本光博と田宮明は前者が乱暴な言葉遣いをする男で後者は口汚い男であるSS I, 404)。 攻撃的な言葉は言葉ではない物理的暴力の触媒となる
 留保しつつではあるがこの罵倒暴露を付け加えることができる。 「恐るべきパン屋の実態を暴く!」 (SS II, 291という中傷ビラが物語をクライマックスにむけて加速させる一九五一年の郡山橋事件ではパンの田宮の初代・田宮仁が暗躍していたと訴えるこの怪文書はさらに二〇〇〇年に発見された変死体に二代目・明が関わっていた証拠としてその二代目が何者かに暴行を加える画像を添えている攻撃せよ破壊せよと訴える罵倒はその攻撃対象の醜い本性を暴こうとするただし、 『シンセミアの言葉は原則として真実を語ることができないのでこの暴露は根拠のない言いがかりに近づいていく問題の怪文書が語る悲劇的事件の真相」 (SS II, 292にも陰謀論的なデマが含まれる重力にも似た圧倒的な力によって真実から遠ざけられた言葉がそれでも真実を暴こうと躍起になると堕落・変質して誹謗中傷になるというわけだ
シンセミア罵倒・暴露と最も強く結びついた存在は個々の登場人物ではない言葉で他人を攻撃し何かを暴きだすことに最も積極的なのは登場人物たちの内面を語り彼らの認識の甘さを指摘する非人称の語り手であるとりわけ、 「パンの田宮三代目の博徳と妻の和歌子旧姓・増田はその浅慮や自己欺瞞がまざまざと語られている罪悪感があるくせに盗撮グループを抜けられない博徳については無責任が最良の立場だというのが博徳の信条だった──それは間違いだと彼が自省したことなどかつて一度もなかった」 (SS I, 81とされる未練がましく昔の恋人に会おうとする和歌子が自分を正当化しようとすれば語り手は容赦なく、 「それを独り善がりな発想だとまでは彼女は考えもしなかった」 (SS I, 189と断罪する
 ここから、 『シンセミアの例外的な場面の意義が浮かびあがるすなわち博徳と和歌子が夫婦喧嘩のすえに和解する箇所であるこの和解は物語に大きな影響を与えるわけではない和歌子は神町の出身ではなく彼女と博徳の葛藤の原因も郡山橋事件などの神町の負の歴史とはあまり関係がないからだ和歌子はかつて既婚男性と不倫していて今も薬物に依存している博徳がコカインの包みを偶然見つけそれを突きつけられて和歌子は逆上し二人はおそらく初めての夫婦喧嘩を演ずる。 「雨降って地固まるという慣用句を意識したわけでもないだろうが雨が止んだ頃に二人はひとまず和解する後に博徳はあっけなく車で轢き殺され和歌子は夫の死にどんな反応を示したかも書かれずに物語から姿を消すのだがそれを踏まえてもこの夫婦が雨上がりに見た恩寵のごとき陽光」 (SS II, 144は無意味ではないつまり敗戦後の日米関係の歪みによって神町が激しく傷つくという大きな流れの中でまさに恩寵のように破壊や暴力とは別の可能性がわずかに生じているのだ
 このささやかな奇跡が実現したのは博徳と和歌子がすんでのところで互いを罵倒することを避けたためだ話を聞いてくれと夫が言えば妻は聞きたくないと言い、 「本当に聞きたくないから!」 「じゃあどうしたいんだよ!」 (SS II,135-36と両者は声を荒げていてもちろんこれは罵倒と無縁ではない博徳と和歌子の内面を明かす手厳しい言葉を私たちは罵倒の一種と見なしたがこのことがすでに示すように死ねとか殺すぞのようなあからさまに攻撃的な言葉が使われているかどうかはその発話が罵倒になるか否かとは別問題なのだ程度の差はあれあらゆる言葉が罵倒になりうるだから博徳と和歌子も相対的な意味で罵倒を避けたにすぎない
 だがこの相対的な差異は無意味ではない博徳も和歌子も他の箇所では思いきり他人を罵倒しているからだ盗撮グループの笠谷保宏に向かって博徳はうるっせえなマザコン野郎!」 (SS I, 342と叫ぶさらにかつての不倫相手の妻に向かって和歌子は電話口で死ね! 馬鹿! 消えろ! お前は邪魔!⋯⋯」 (SS I, 347と呪いの言葉をつぶやくそんな二人の夫婦喧嘩なのだからセックスレスになっていることが不満な妻が死ね盗撮インポ野郎!と言いキレた夫がうるっせえわジャンキー女!と返すような罵声の連鎖が生じてもおかしくない裏返せばそうならなかったことの意味は小さくない。 (つづく

次回は 12月22日ですお楽しみに!

英米文学を研究しているレッチリの大ファン。下唇の左側に複数のピアスあり。(文責:編集部)
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