裏切り者へ愛をこめて:阿部和重論

連載第5回: 帰ってきた阿部和重 4

アバター画像書いた人: 柳楽 馨
2021.
12.08Wed

帰ってきた阿部和重 4

承前

の同一平面の違いが、 『ピストルズからOrga(ni)smへの変化に対応するまず二作品のタイトルを比較してみよう。 「ピストルズとは pistil花の雌しべの複数形であり綴りは違うが英語話者の耳でも区別できないほどpistol拳銃と同じ発音をするこれがみずき/三月みづき)」 と同様の事態であることはわかりやすいだが、 「Orga(ni)smを発音するなら、 「オーガニズムあるいはオーガズムのどちらかにしかならず、 「を発音するかしないかの二者択一が避けらない音声になることで二つの文字列 pistil と pistol の違いは消失するがorgasm と organism は文字列だからこそ一体となる

 これが、 『Orga(ni)smでの不自然なひらがな表記の謎を解く鍵になる。 『ピストルズひみつとは違い、 『Orga(ni)smではひらがなの単語が多すぎて個々に意味を見いだせない車は一台」 (Org 416で薬は一錠」 (Org 12なのにコーヒーはいっぱい」 (Org 300)、 あくびはいっぱつ」 (Org, 488という具合だ発想を逆転させよう木を隠すなら森の中と言うようにこのような表記が散りばめられたことで何かが目立たなくなっていると考えるべきだ引用した例から察しがつくかもしれないが阿部が一時期の漢字へのこだわりを捨てているのが一番よくあらわれているのは漢数字を用いる単語であるそして、 「一言ではなくひとことと書いたりするのはそうすることでやはりひとと読むを含む単語と文字の上でのつながりが生じるためであるつまりOrga(ni)smでは、 「一目人目がいずれもひと目」 (Org 150, 352と書かれているひらがな表記が多用されることでこの二つの言葉の違いは部分的に消去されしかも消去されていること自体が目立たなくなっている

 つまり一目でも見られることは人目にさらされることだたった一人にでも知られてしまえば遅かれ早かれ真実は万人に知れ渡る。 『ピストルズの菖蒲あおばはいずれは妹・みずきの秘術によって全てを忘れてもらうという条件で菖蒲家のひみつを石川に打ち明けるところがあおばの話を手記として残した石川のパソコンが暴露ウィルス」 (Ps II, 440に感染してあおばはそれを承知で菖蒲家のひみつを記した文書ファイルを世界中に公開するもっとも、 『Orga(ni)smで石川手記と呼ばれるこのファイルの中身は、 「さまざまな既存作品の引用や模倣で構成された安手のフィクション」 (Ps II, 447と見なされもともと菖蒲家の秘術に目をつけていた情報機関をのぞけば誰もそれを真に受けたりはしなかった真実は人目にさらされているが一目でそれとわかるものではない。 「人目一目は同じでもあり異なってもいるというわけだ

 これは、 『ピストルズのみずきとあおばが真実に対して異なるアプローチをしていることを示している前者はシンセミアから受け継がれたものであり後者がOrga(ni)smに受け継がれていく菖蒲家の歴代の継承者たちとは違いみずきは言葉というよりその独特の声の響きによって人の心を支配するのだがもちろん個々人の声の響きを文字で伝えることはできないそれはみずきの秘密を知った者が記憶を消されてその秘密を言葉にすることができないことに対応する逆にあおばは作家としてあくまでも言葉特に文字によって真実を明かすだがこうなるとそれを読んだ人間は書いてあることを信じず真実を真実として受けとらない。 『シンセミアの真実はそもそも言葉にはならず、 『Orga(ni)smの真実は書かれた言葉の中に埋もれていて見つかりにくく、 『ピストルズはこの中間にある1

 こうして見ると神町サーガで阿部がどれほど自らを成長させ着実に歩みを進めてきたのかが分かるだろう批評が阿部に追いつけないのも無理はない阿部の作品という檻の中に閉じこめられた私たちはハムスターやハツカネズミのように回し車を際限なくカラカラ鳴らしながら全力疾走しているかのようだある対談で阿部はネズミが大嫌いだと告白しているが2ひょっとして批評家に対しても同じような嫌悪感を抱いているのではあるまいか現に後段で述べるように阿部は諺や慣用句を文字通り再現するかのような場面を描くことがあるが、 『シンセミアの印象的なネズミは、 「窮鼠猫を嚙むとはゆかずあっさりと猫に食い殺されるのだ私たちは解釈を加速させどうにかこの檻から脱出せねばならない

次回は 12 月 15 日ですお楽しみに!

注釈

  1. 詳述はできないが、 『ミステリアスセッティングもまた真実と言葉との間の二種類の関係を交錯させる試みととらえていい主人公のハムラシオリはスーツケースに偽装した小型核爆弾をおしつけられるのだがこの爆弾が無力な言葉に対応する言葉が言葉として無力であるということはちょうど空っぽのスーツケースのように中身が空虚であるということでありだからこそそんな言葉は言葉を超えた暴力へと転化しようとするこのスーツケース型小型核爆弾と同種のものが神町に持ちこまれたとOrga(ni)smのラリー・タイテルバウムは考えているのだが作品終盤で確保したそれは本当にただのスーツケースでしかなかった。 『ミステリアスセッティングでは核爆弾を渡されてしまったのだと訴えるシオリの言葉を彼女のメル友である Z は架空のストーリーとして受けとめて面白がりクイズを解くような感覚で受け答えしていた」 (MS 269)。
  2. 阿部和重阿部和重対談集』 (講談社二〇〇五年249-250 頁

英米文学研究者。『小説トリッパー』2022年夏号「今もかならず、どこかに春が」でデビュー。関西在住の文学研究者・大学教員。