裏切り者へ愛をこめて:阿部和重論

連載第4回: 帰ってきた阿部和重 3

アバター画像書いた人: 柳楽 馨
2021.
12.01Wed

帰ってきた阿部和重 3

承前

うした言葉と真実との関係を考慮すれば、 『ピストルズひみつが見抜ける。 『シンセミアの漢語や擬音語はギリギリのところで真実とは別のものであり真実を覆い隠す遮蔽幕として機能する。 『シンセミアの盗撮グループは青年団ということになっているがこれでは性念団」 (SS I, 85だと自嘲するくらい性欲を持てあまし退屈な地元の果樹王国禍呪王国」 (SS I, 89になる大惨事がおこらないかと嘆くひとつの漢字表記を変更しても別の漢字表記に行きつくだけで遮蔽幕の向こうには遮蔽幕しかないだとすれば菖蒲家の秘密をもはや秘密のままにはしておくまいとするピストルズひみつに固執するのも当然だろうそしてまた代々ミズキの名を持つ菖蒲家の秘術の継承者たち瑞生/瑞木/水樹とは違い最後の継承者の名はひらがなのみずきである

 もちろん見た目が相対的にやわらかいだけでひらがなも文字であり言葉でしかない。 『シンセミアとは違い、 『ピストルズでは菖蒲みずきが言葉によって真実を語るが言葉それ自体の性質は変わっていない神町を襲った少女の変死事件において小児性愛者の沢見克実という男 (『グランド・フィナーレの主人公が濡れ衣を着せられるみずきは沢見を餌にして彼を袋叩きにしようと集まった暴徒たちを警察に逮捕させるつもりだったのだが血まみれで現れたのは沢見ではなく父の水樹だった

ずうずうしいぞこのロリコン野郎が!

 その発声と同時にフルスイングされた緑色の金属バットが──菖蒲水樹の後頭部を直撃してしまう

 すると意識を失ってしまいたちまちくずおれてゆく父親をとっさに全身でささえたみずきは──傍らで突っ立っている暴徒らをきつくにらみつけただちにこう真実を告げる

これはロリコン野郎じゃないあたしのおとうさんだ!」 (Ps II, 428

 なんて間の抜けた真実の言葉だろうこれではまるで使い道のない外国語の例文を直訳したみたいだこれはロリコン野郎ですか?いいえこれは私のお父さんです

 みずきの台詞の平板さにもデビュー当初からの阿部の特徴があらわれている。 『アメリカの夜の中山唯生は特別な存在つまり気違いになるためには狂気について考えて頭の中で気違いへと接近すればいいと思いつくそうすれば、 「まるでミイラとりがミイラになるようにまたは木菟引きが木菟に引かれるようにあるいは人捕る亀が人に捕られるようにさらには羊の毛を取りにいって自分の髪を切られて帰るように」 (AY 75いずれは自分も狂気に落ちこんでいくというわけだこの諺や慣用句の列挙は、 『アメリカの夜だけの文脈で言えば唯生について語る語り手がドン・キホーテの従者であり夥しいほどの諺を駆使して」 (AY 87語るサンチョ・パンザに相当することを意味する加えてこれは直に目撃されるべき瞠目すべき独特な存在や一回きりの出来事を言葉で語ろうとしてもその表現には複数の選択肢が生じるということでもあるそして言葉によるそれらの表現は独特どころか使い古された定型表現になり語らねばならなかった特別な真実とはかけ離れてしまう

 だが、 「特別な真実ありふれた言葉の対立軸だけではピストルズを解釈するのに十分でない唯一の真実を表現するはずなのにいくつもの言い方複数の選択肢ができるという事態は、 『ピストルズにおいて必ずしも言葉の虚しさを意味していないからだたとえば、 『ピストルズで真実を語るのは菖蒲みずきだけではないすでに触れたように菖蒲家の秘密を明かすのはみずきの姉のあおばでありあおばは作家として菖蒲三月を名乗る。 「ひらがなでに濁点でみずきあたしのペンネームはに濁点で三月発音するとおなじになっちゃうんです」 (Ps I, 46)。

 これはシンセミア青年団性念団」 (変態集団になり、 「果樹王国禍呪王国と化した場合とは違う。 『シンセミアでは二つの選択肢の一方が他方を排除していたその二者択一の論理は、 『ピストルズでもまだ残ってはいる菖蒲みずきは父・水樹の死という代償によって継承者となりその水樹にしても彼の父・瑞木の死と引きかえに当主の座についたからだだがみずきとあおば三月は当たり前に併存しているみずきやあおばを含む菖蒲家四姉妹は全員母親が異なるのだがこの四人の母親たちにしても、 「ふたりのトシコさん」 (Ps I, 215ふたりのショウコさん」 (Ps I, 284であり菖蒲家の一員となった人々は、 「個性をうっちゃり一様にサトウを通称としてしまった(Ps I, 148)。 『ピストルズには一つの名が順を追って反復される縦軸だけでなく同じ名を持つ者が複数存在する同一平面がある。 (つづく

次回は 12 月 8 日ですお楽しみに!

英米文学研究者。『小説トリッパー』2022年夏号「今もかならず、どこかに春が」でデビュー。関西在住の文学研究者・大学教員。