1:帰ってきた阿部和重
いや、 という漢字には厭と嫌があって厭、 のほうが本当にいやな感じがあるので、 厭を練習。 厭。 厭。
川上未映子 『乳と卵』
二〇〇〇年七月、 神町での殺人事件から 『シンセミア』 の物語は動きだす。 水面下で策謀は勢いを増し、 豪雨で水浸しになった町は悪臭に満ち、 その悪臭が引火性のガスであるかのように暴力が頻発して人がぽんぽん死んでいく。 悲劇の原因は、 一九五一年の 「よそ者の売春婦たちが拉致監禁暴行の被害に遭う、 郡山橋事件と呼ばれる惨事」 (Org 108) である。 『ピストルズ』 で明らかになるこの事件の黒幕こそ、 人心操作 (洗脳・幻覚) の秘術を受け継ぐ菖蒲家だった。 二〇〇五年、 歴代最強の継承者である菖蒲みずきは、 「圧倒的なる力のおかげで膨らむばかりとなった文字どおりの万能感」 (Org 112) のために増長し、 父・水樹の (実質的な) 死という報いを受ける。 そして、 「血まみれのラリー・タイテルバウムが阿部和重の住まいを訪れたのは、 二〇一四年三月三日月曜日の、 夜のことだ」 (Org 9)。 CIAのスパイであるラリーによると、 神町訪問が予定されている 「オバマ大統領」 が狙われていて、 菖蒲家が暗躍している。 孤立無援のスパイや息子の映記とともに、 『Orga(ni)sm』 ではいよいよ 「阿部和重」 が故郷に帰るとなると、 これはもうワクワクせずにはいられない。
ところが、 「阿部和重」 が主人公となる 『Orga(ni)sm』 は、 阿部作品とは思えない文体で語られていく。 ラリーは 「阿部和重」 に、 核攻撃を防ぐため神町に潜入してくれ、 映記も連れていこうと言いだす。 もちろんそんなの無理に決まっていると 「阿部和重」 は反発するが、 妻の 「川上」 が今まさにその神町にいることに思い至り、 妻子ある作家は絶句する。 こうして 「阿部和重」 はラリーにみずからの家族愛を逆手にとられるわけだが、 この場面の 「家庭だいいち主義」 (Org 315) という表記で私はつまずいてしまう。 漢字変換のミスでもないかぎり、 こんな書き方は見たことがない。 『シンセミア』 には 「瘡蓋」 (SS II, 181) や 「泣哭」 (SS II, 110) のような単語があふれていた。 こういうゴツゴツとした漢語によって語りの流れを乱されずに阿部は 『シンセミア』 を書ききったのに、 『Orga(ni)sm』 の文体はひどく弛緩しているのだ。
三部作の二作目 『ピストルズ』 はこの点でも中間に位置する。 『ピストルズ』 の語り手である石川満は神町の書店主で、 名前は明かされないまま 『シンセミア』 にも登場していた。 ただし 『ピストルズ』 の主要部分は、 石川に語りかける別の人物の言葉として提示される。 この第二の語り手が菖蒲みずきの姉、 菖蒲四姉妹の次女あおばである。 生身の人間が語り手であるため、 『ピストルズ』 での漢語は 『シンセミア』 ほど目を引くものではない。
他方で 『ピストルズ』 には、 『Orga(ni)sm』 での不自然なひらがな表記の萌芽がある。 パン屋の田宮家とヤクザの麻生家が郡山橋事件でも暗躍したという真相が 『シンセミア』 では明かされたが、 さらにその背後に隠れていた菖蒲家の秘密を語る 『ピストルズ』 では、 「秘密」 ではなく 「ひみつ」 と書かれる。 これは、 菖蒲あおばが書いた 「『モモ園のひみつ』 というヤングアダルト小説」 (Ps I, 28) に合わせただけとは思えない。 書店主の石川もまた 「ひみつ裡」 (Ps II, 344) と書く。 物語の内容からして 「極秘裡」 (Ps II, 87) や 「隠密裡」 (Ps II, 299) といった単語が頻出する 『ピストルズ』 には、 「ひみつ」 はあっても 「秘密」 がない。 菖蒲家はこうして先祖伝来の 「ひみつ主義」 (Ps I, 170) を破り秘密を明かす。
だから三部作の変化を、 「見慣れない硬い漢語の多用から見慣れた漢語のひらがな表記へ」 と要約できる。 『シンセミア』 の 「鬚髭」 (SS II, 307) など、 ふりがなが無ければどう読むのか私にはわからなかったし、 『ピストルズ』 の 「誑惑」 (Ps I, 197) や 「塗香」 (Ps I, 247) も私が初めて目にする言葉だった。 だが 『Orga(ni)sm』 の、 コーヒー豆の 「ちゅうぼそびき」 (Org 300) という表記は別の意味で見たことがなかった。 『シンセミア』 では 「一人」 だったが 『ピストルズ』 と 『Orga(ni)sm』 では 「ひとり」 になる。 「一方的」 ではなく 「いっぽう的」 (Ps I, 293, Org 770) と書くくらいならまだいい。 しかし 『ピストルズ』 では、 LSDの紙片が 「一枚」 と書かれていたのに、 『Orga(ni)sm』 では 「阿部和重」 が写真 「いちまい」 (Org 370) まともに撮れないと文句を言われる。 『Orga(ni)sm』 がどうして 「不じゅうぶん」 (Org 578) や 「ひと筋縄」 (Org 762) と書くのかを説明するのは一筋縄ではいかず、 漢字の使用を控えて読みやすくしたと考えるだけでは不十分なのだ。 (つづく)