書店から 『コロナの時代の愛』 について問い合わせがあり回答したら返答がなかった。 一般社会の商習慣とはそういうものかと思った。 手がけた本が実店舗に並ぶのは夢だったが考えてみれば無意味だ。 読みたい本がないので長いこと書店に行っていない。 実店舗ばかりか商業出版物そのものから遠ざかっている。 いまの商業出版物はプラットフォームのアルゴリズムに最適化されている。 自己宣伝が巧みで強くて正しくて美しくて大勢に持て囃されていておれのような読者には疎外感しかない。 身勝手な期待でしかないのかもしれないが本には独りである生き方を勇気づけるものであってほしい。 現代の商業出版はそれとは真逆に成り果てた。 出版物がそうであるからには読書も。 自己宣伝に基づく華やかな交流だけが読書を意味するようになった。 商業で生き残るにはプラットフォームに最適化されるしかなく、 そこでの論理は読書とは相容れない。 かつて読み放題にはゴミしか読むものがなかったのでゴミばかり読まれ、 読まれるから優先表示され表示されるからさらに読まれた。 ささいなきっかけを核として雪だるま式に膨れ上がるアルゴリズムのおかげで 「本=つまらないゴミ」 が既成事実になりかねなかった。 本という商材が成立しなくなるリスクは Amazon もわかっていて、 ゴミはゴミ同士で関連づけて囲い込み、 なるべくゴミを好む客にしか読まれないようにアルゴリズムを調整するようになった。 だから海外では日本で KU が開始された年くらいから素人の本は読まれにくくなり、 旨味がなくなってプロのセルフへの流出も以前ほど話題にならなくなった。 資本投下が実を結びブランド価値が生じた時点でセルフに逃げられるフリーライド的な問題がかつてはあったが近年は聞かない。 アルゴリズムは注意して人為的に手を入れつづけないとフラッシュクラッシュを招く。 これまでの悪影響も取り除けていない。 日本人は権威者に見せられたものを正しいと信じ込む。 ゴミが互いに関連づけられ優先表示されたおかげでそれが価値のあるものであるかのように学習された。 そのため 「ゴミを好む客層」 が出現し、 関連付けで囲い込まれた作品を高評価するようになった。 かれらはゴミであればあるほど優れた本とみなすのでまともな本を逆にゴミ扱いする。 その価値観にもとづいてレビューがなされ、 それがその本の価値となる。 彼らが偶然まともな本を読めばその本は囲い込みに巻き込まれる。 ひとたび関連づけられたら閉じ込められ抜け出せなくなり、 そこでの評価が絶対になる。 このことが出版と読書に及ぼす影響は無視できない。 体力的な余裕のない現在の日本の商業出版では自転車操業のように目先の需要に隷属するしかなくマーケットインに偏りすぎだ。 現状そこでのマーケットとはプラットフォームでしかなく、 需要も個をないがしろにするアルゴリズムに最適化されたものでしかない。 読書は個を指向するのでプラットフォームの価値観とは相容れない。 アルゴリズムに適合しない本が出版されず、 書店に並ばぬ以上、 読みたい本を読むためには書いてくれる作家を探して出版するしかなく、 そこでの需要に基づくプラットフォームを築くことにしか可能性は見いだせない。 既存のプラットフォームやそこでの需要が個を否定し淘汰するならそれとは真逆のプラットフォームを創出するまでだ。 人格 OverDrive をたとえばイシュマエル氏のファンコミュニティにするのもあるいはひとつの方向性だろう。 この数年で実験は充分にやった。 その気になればいつでも実装できる。 ただそれが本質的に個を指向する以上は他人が参加するとは考えにくい。 そのジレンマで実行に移さずにいる。
2021.
11.06Sat
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
『D.I.Y.出版日誌』の次にはこれを読め!