イシュマエル・ノヴォーク

第20話: カリフォルニア州インペリアル郡 ~ジャック・トレモンド

書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2021.10.29

オネオンタ・アベニューにある撮影スタジオの壁からは純白のスクリーンが垂れ下がっている両袖には四角や八角円形大小様々な撮影用ライトが設置されておりニコン社製一眼レフの前ではケイト・モスに似た全裸の女が両手を腰にあてたシャッターを切るのは首にネッカチーフを巻き水玉模様のシャツにサブリナパンツ姿のジャッキー・トレモンドジャッキーがブロンドに染めた長い髪を撫でると手入れを怠ることのない髪が綿菓子のように揺れた手を止めたジャッキーはシャツのボタンをなぞり弾力のある乳房を模した布製パッドの寸前で指を止めたジャッキーがお疲れ様と言うと女が笑顔を浮かべて
どうだった?
 目尻に皺を寄せたジャッキーがよく仕上がっているわあなたは頑張っているところで料理はしている?
言われた通りレシピ通りにやっているんだけどジャッキーみたいに美味しくできないどうして?
秘密を知りたい?
 ケイト・モスに似た女が唇に指をあてるとジャッキーが愛よと言った女が
もう先に言わないでよと言って笑った手をヒラつかせたジャッキーが
長く生きていると相手の先が読めるのよほら次の撮影があるんでしょ? 早く服を着て
気が乗らない……口説かれるの
 眉間に皺を寄せたジャッキーが誰に?と尋ねた
ピアポントモデルはカメラマンと寝るのが当たり前だと思ってる
あの馬鹿の雇い主に電話しておいてあげるこれからピアポントが何か言ったり不必要にあなたの身体に触れたら弁護士の名前を出して弁護士の名前はわかるわね?
ジャッキー
そうでもそういう時はジャック
ありがとう
困った時はお互い様さぁ服を着て

 着替えを済ませたモデルは親しげにジャッキーに抱きついてしばしの別れを告げるとスタジオを出て行ったジャッキーはポケットからとり出した離煙パイプを口にくわえながら携帯電話のボタンを押した
モーン久しぶりね調子はどう? そうならいいの手短に話すから聞いてあなたが雇っているカメラマンピアポントのことあなたが雇っている男は公民権法第七編に抵触しているわあたしが言っている意味わかる? えぇそうわかるならいいのあいつの腕が良いのか悪いかは関係ない法律を犯している者を雇うことはそれを支持するということモーンあなたは?
 ジャッキーは離煙パイプを砕きそうなほど強く噛み
……あいつの変わりがいないことはわかったわそれじゃあ撮影時に女性スタッフを配置してそれぐらいはできるでしょ? えぇわかったありがとう
 携帯電話をポケットにしまったジャッキーがため息をつくとドアが開いたジャッキーは振り向かずに
忘れもの? 今電話をしたわよ今後豚野郎があなたにちょっかいを出すことはないわと言っても答えはなく不思議に思ったジャッキーが振り向くとアフロヘアーにトンボのようなサングラスブルース・リー風全身タイツを着た長身のアフロアメリカンとTシャツにジーンズ姿のありふれた顔立ちの女が立っていたアフロヘアーの男が
よぉジャッキー元気にしていたかい? 会いたくなって来たんだジョニー・オーロラ覚えているかい?
 離煙パイプを指に挟んだジャッキーが忘れるほうが難しいわねと言ったジョニーはO字型の口髭を指でなぞり
嬉しいねジャッキー今日は会わせたい人がいるんだと言って隣で呆気にとられている女の肩に手を置きマギー
 爪先立ちをしたマーガレットがジョニーの耳元で誰?と尋ねるとジョニーが
ジャッキーだよドライブ中に話しただろう?
あなたが喋っていたのはソウル・トレインの話だけ
そうだったかな?
そうよそれよりあの人男なの? それとも女?
 椅子から立ち上がったジャッキーは片手を腰にやり
内緒話は嫌いそれからあたしはあたしあたしの性別をどうこう言うつもりならさっさと出て行って
 ジャッキーに気圧されたマーガレットはウサギのように狼狽えたジョニーが言う
どうこう言うつもりなんてないぜマギーが困ったことになっているから手を貸して欲しいんだ
 手をヒラつかせたジャッキーが悪い男にでも騙された? 大抵の男は悪いものよ
OKに不同意おれは悪くない金回りは悪いけど
 ため息をついたジャッキーがジョニーをチラと見ると次にマーガレットを見た
あなた名前は?
マーガレット・ホットフィールド
 ジャッキーはそれじゃあマギー話を聞くわと言うと椅子を指差し座って

 マーガレットとジョニーは簡素なひじ掛け椅子に腰掛けたジャッキーはアール・デコ調の歪んだト音記号のような形の椅子に腰掛けている顎に手をあてたジャッキーが話してと言った
 戸惑ったマーガレットは喉と次いでしまりのない髪に手を伸ばした彼女は能動的に自らのことを語る経験に乏しく会話をはじめるための会話糸口も思い浮かばない彼女は教員から指を差された生徒が答えに窮したまま動きを止めてしまうようにヘビに睨まれたカエルのように身じろぎせずにいるジャッキーが言う
自分の話は苦手?
……えぇ
それじゃああたしからするわあたしはジャッキーさっきあなたが聞いていたことに答えるとあたしは男で好きでこういう恰好をしているあたしはケンブリッジで生まれた物心がついた頃から違和感を覚えていたいつも自分が自分ではないような感じがしてチグハグだったあたしは一七歳の時に化粧をしてそのまま家を出たヒッチハイクしてそれから流れ着いたニューヨークで暮らしはじめた皿洗いバーテンショー・ダンサーの衣装直しちょっとだけ記事を書いたり……要するに色々やった初めてウォーホルのファクトリーに行った時は口から心臓が飛び出すんじゃないかと思うぐらいだったわそれをキッカケにあたしも創造的な人間でありたいと思うようになったのでもケンブリッジ出身のおかまじゃあ表現するアイディアなんてないその時に思ったの自分の物差しだけじゃあ表現できるものの範囲は狭くなる一方だってこと人は望もうが望むまいが縛られる性別年齢生まれた環境好きなこと嫌いなこと……もし創造性を保ちたいのならそういったことから離れなくちゃいけないでもそれは難しいそういったことから離れたあたしはあたしなの? 誰かのフリをしているだけなんじゃない? 考えた結果あたしはニューヨークを去ることにした八〇年のことねその頃はまだ映像作品を撮っていたけれど連続的で論理的な側面が強すぎると感じるようになってやめたあたしが思うに愛や感情は連続的じゃない非連続で断片的なものそういう意味でカメラが一番好きこっちで仕事をはじめた時モデルの待遇が悪いことを知ったニューヨークでも同じことはあったけれどあの頃のあたしは自分のことしか考えていなかったのねモデルたちは当たり前のように寝ることを強要されるモデルはシェイプしてポーズをとる服やカバン貴金属が映えるよう注意しなきゃいけない寝ることは仕事じゃないケンブリッジの家を出るまであたしは惨めな子どもだった自分の思いを打ち明けることはできなかったし永遠に誰にも理解されることはないって思っていたところが彼女たちはあの頃のあたしと同じかそれ以上に酷い目に遭っているタチが悪いのはそういう仕事を選んだのだから甘んじて受け入れろという態度の他人よ少しでも状況を良くするためには行動するしかないあたしは弁護士資格を取るために嫌と言うほど勉強をしたでも変えるためには必要なことだった審査を通過するためにスーツを買い髪の毛を短く切った時は泣きたかった自分を変えてまでやることなの? きっと誰かがやるんじゃないの? それまでやっていたこと全てが嘘になったように思えた書類にジャック・トレモンドとサインした時死んだような気がしたわでも本当に死んだりはしないあたしにはやるべきことがあるそのためなら髪を短くしようがズボンを履こうがジャックとサインすることだって屁でもない自尊心なんかのために捨てちゃいけないものがあるっていうことを理解した
 ジャッキーは熱っぽい話を止めて離煙パイプを口にくわえた手をヒラつかせたジャッキーが
あたしはそんな感じマギーあなたは?
 マーガレットはジャッキーの顔を見据え息を吸い込んだ
私は……リトルロックのアパートに一人で暮らしていて……ウォルマートのレジを打つのが仕事ちょっと前まで私には取柄とか創造性なんてない観葉植物を枯らしちゃうぐらいだし私には友だちも恋人もいない一人ぼっちで……多分惨め母さんが死んで葬儀が終わってからも同じように暮らしていたしずっとそのままなんだと思っていたそんな時コッパードが訪ねて来たコッパードは弁護士で母さんとは全米孤独委員会とかいうヘンテコな団体で知り合ったと言っていた団体と言っても電話で話すだけだったみだいだけど私には父親がいないの昔からいなかったからそういうもので私には必要ないものだと思っていたコッパードから母さんは昔、 〈パーセプションっていうバンドのダグラス・ハイドパークと関係があったらしくて私は彼の娘なんだと聞かされた母さんからそんなことは一度も聞かされたことがなかった父親がロック歌手だなんてね……コッパードは私に訴えを起こさせてお金をとるつもりだったでも向こうの……ダグの父親や彼の権利を持っている人たちから訴えられそうだからと消えてしまった私に残ったのはとても優秀な弁護士から訴えられているという事実だけ多分私は一生かかっても支払えないようなお金を請求されるひょっとすると刑務所に入るのかもでも私にはどうすることもできない
 離煙パイプを犬歯で齧ったジャッキーが
六九年にダグとファクトリーで会ったその日はパーティであたしは手当たり次第カクテルをつくってトレーに乗せるのが仕事とにかく忙しくて目が回ったわパーティが終わってあたしが帰ろうとしていると壁に寄りかかっているダグと目が合った彼はボンヤリしていてドラッグをやっていることがわかったしきりに瞬きしていたわねあたしが疲れている?と言うと彼はあぁとか、 〈いやとか煮え切らない態度クタクタだったあたしを苛つかせたあたしがお別れを言ってエレベーターに乗り込むと彼も乗って来た彼は大げさに手を広げたりして嫌な奴だと思ったエレベーターはあたしとダグの二人っきりだった彼は煙草に火を点けて吐き出すとこう言ったわ

 あぁ 花よ 可愛い花よ
 旅人は旅路の果ての
 雪白い甘美な国を求め
 哀憐は消え去り 豊熟がやってくる
 花弁をむしれ 太陽の歩みを数えるために

 エレベーターが開いてもあたしは呆けていたドアが閉まりそうになると彼は手をドアに挟んで顎を上下に振ったそれから煙草を口にくわえた彼が手をヒラつかせるとあたしは歩き出した気になってすぐに振り返るとエレベーターはまだ開いていたのに彼の姿は見えなかった不思議な魔法使いみたいな男だったわね
 マーガレットが深刻そうにうなずくとジャッキーは髪を掻き上げ
彼から借りたものを返さないとね
それはどういう意味?
あなたの弁護を引き受けるってことよ
本当?
嘘なんてつかない
 マーガレットは膝を撫でながらありがとう……ジャッキーと言うとジャッキーはポケットに離煙パイプを入れお互い様よと答えた腕を組んでいたジョニーが片手を挙げ
いい話だけど一旦CMにしようその間に腹ごしらえをするんだ
その毛玉みたいなアフロでも食べたら?とジャッキーアフロヘアーを軽く叩いたジョニーが
こいつは非常食なんだ
 ジャッキーはため息をつき立ち上がるとチャイニーズ・レストランに行きましょう今後の打ち合わせも兼ねてね
OKに同意


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。
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