イシュマエル・ノヴォーク

第18話: カリフォルニア州スキッドロウ

書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2021.10.22

マーガレットは快適なベッドで目を覚ました薄く切られた合成肉がフライパンの上で弾ける音とポップアップ型トースターの熱膨張率が異なる二枚の金属板バイメタルが一定以上の熱量を受けたことでトーストが吐き出される音も聞こえた彼女は星が輝く頭を振り毛布をどけて起き上がった床には彼女の旅行鞄が置かれていた曖昧な記憶を手繰りよせても今現在の状況を把握することができない不安の中アフロヘアーに虎柄ブーメランパンツ姿のアフリカ系男性と目が合った時の彼女の恐怖を表現することは困難を伴う
 アフロヘアーの男は背が高く大きなサングラスをかけているそして首からは金のネックレスが垂れ下がっている
お目覚めかい? メシを作ったんだ食おうぜ
 人懐っこい声のアフロヘアーは海獣と背中合わせに交合したエイハブのように手招きした彼女は促されるまま椅子に腰掛けたステンレス皿にトーストと合成肉のソテーが盛られている間彼女は辺獄の隅でうなだれるサラディンのように振舞ったアフロヘアーの男がさぁ召し上がれと言っても相変わらずマーガレットは辺獄で佇む回教徒の王のようだったアフロヘアーの男が彼女の目の前で手をヒラつかせるとマーガレットが目をパチクリさせた
どうしてここにいるの? ここどこ?
 アフロヘアーの男は褐色の左腕を見たが腕時計は巻かれていない
おれの家夕べは大変だったんだあんたをそのままにできないからここまで運んだんだよ店の外に放り出したままにしたらロクなことにならないだろうし
いっそそのまま死んだほうがラクだったのに
 アフロヘアーの男が赤黒い合成肉を嚥下した
おれはジョニー・オーロラ夕べあんたの身の上話を頭のてっぺんから爪先まで聞かされた男さ素面で話すのは初めてだから改めて自己紹介したわけさ
……マーガレット・ホットフィールド
OKに同意醒めない酒はないし覚めない夢明けない夜もないけど冷めるメシはあるまぁ食おうぜ
マーガレットは覚めないほうがよかったと言ってトーストに齧りついた

 ジョニーの虎柄ブーメランパンツを目にした慎み深いマーガレットが目を逸らす彼女は疑念と少量の怒りが混ざった声で
なんで裸なの?
寝る時は絹のパジャマを着るのかい? それで朝メシはシリアル?
そういうことじゃなくて……その……私に何かした?
 ジョニーはアフロヘアーを一揉みすると
アフロヘアーの黒人男は酔っ払った白人女をレイプするのが当たり前と考えているのなら考えを変えてくれよ
そういうつもりじゃないの
じゃあどういうつもりだい?
その……いやごめんなさいあなたを疑っていた
 笑みを浮かべたジョニーが
正直なのはいいことささぁ食ってくれと言いナイフが合成肉を切断するステンレス皿に擦れる耳障りな音が響いた

 食事を終えたマーガレットはため息をついた膨らんだ疲労から押し出された風がジョニーのアフロヘアーの横を通り過ぎた彼女が
洗い物をするわ流しを借りていい?と尋ねるとジョニーがうなずいたマーガレットは立ち上がると重ねたステンレス皿を流しに運んだ彼女は泡立てたスポンジで食器を磨き流水で汚れを落としていく彼女は誰かの食器を洗うという行為に戸惑っているなぜならこれは十年以上前にほんの一瞬だけ存在したボーイフレンドのためにしたきりだったから彼女はボーイフレンドの名前や顔を思い出そうとするものの記憶は朧気であり顔もぼやけている思い出せるものはボーイフレンドの裸体のみ裸体は引き締まっているわけでも太っているわけでもないが毛深くやや紅潮していた舌打ちしたマーガレットはひっくり返したステンレス皿を重ねて置いたマーガレットが振り向くとジョニーは既に着かえを済ませておりブルース・リー風の全身タイツを着ていた体毛が見当たらない褐色の胸板が見えた彼女はタオルで食器についた水を拭きとるとベッドまで戻り旅行鞄を持ち上げたマーガレットが言う
その……朝食おいしかったあなたが悪い人じゃなくていい人だってこともわかった
どこに行くんだい?
どうしたらいいのかもどこに行ったらいいのかもわからないでもここは私がいるべき場所じゃないってことぐらいはわかる
 ジョニーは口を尖らせるとアフロヘアーを軽く叩いた
旅行ってわけだ
……そうね
それじゃあマギー旅行には友だちが必要だと思わないかい?
友だちなんていない
まぁ待ちなよ自慢じゃないけどおれは顔が広いんだ役に立つぜ?
迷惑を掛けたくない
酔い潰れた挙句に家に運ばせ朝飯まで食ったのは迷惑じゃないってわけかい?
ごめんなさい
責めているわけじゃない実際おれはマギーをゴミ箱に捨てることだってできたでもそうしなかったいいかいマギー? 迷惑なんてものは生きている限り掛けちまうものなんだ何をやっても気に入らないと言う奴はいるんだしそれなら楽しんだほうがいい旅行をさ
あなたの得にならない
物事を損得で考えると絶対に損をする
マーガレットが観念した声であなたの手を借りることにするわと言うとジョニーが笑みを浮かべた
OKに同意これから厄介事をブチのめすわけだがその前に一ついいかい?
何?
マギーシャワーを浴びたほうがいい野良犬みたいな臭いがする
 マーガレットは鼻をピクつかせ腕のあたりを嗅ぎそうかしら?と言うと額を撫でたジョニーがこりゃ重症だな

 マーガレットは狭苦しいバスルームの中で服を脱ぐと脱いだ服をシャワーカーテンの上に引っ掛けカランを回した水道管がゴトゴトと鳴りシャワーヘッドから水が噴き出た驚いたマーガレットが悲鳴を上げるが羞恥心から手で口を塞いだ彼女は油脂を水酸化ナトリムス溶液で鹸化することで作る界面活性剤を泡立て頭頂から膝下まで塗り付けるとスポンジで全身を擦りはじめた粘土板に目には目をと刻んだ人びとや陽気な大プリニウスも記した界面活性剤は神に祈りを捧げるために焼かれた羊の灰と脂から生まれスキッドロウのバスルームで日々の泡としてはじける脂肪酸の臭いを和らげるために添加された香料は酢酸リナロルリナロールカリオフィレンオシメンといった科学物質を基にしておりラベンダーの匂いに調整されている狭苦しいバスルームは南仏プロヴァンス地方の平原に早変わりマーガレットは温水を頭から浴びて粘り気のある泡を洗い流した彼女はカランを逆回転させパイルが粗くなったタオルで温水を拭き取った
マーガレットは着替えを済ませるとバスルームから出た居間ではラジオカセットレコーダーを肩にかけたジョニーが酸化されていない鉄合金磁性体を使用したアナログカセットのタイプⅣをラジオカセットレコーダーに入れた
準備はいいかい?
髪を乾かしたい
ドライブすればあっという間に乾いちまうさ
どこに行くの?
弁護士が必要だろ? 夕べ前の弁護士には逃げられちまったと散々言っていたじゃないか腕っこきを知っているんだインペリアル郡に住んでいる
弁護士にお世話になるようなことをしたことがあるの?
いいやDJを頼まれた仲さ
アポイントは?
当たって砕けろ
砕けるのはもう十分
 
 二人が外に出るとバスケットボールシューズにハーフパンツタンクトップ姿の青年が近付いてきた
お出かけかい?
ジョニーと青年は握り拳を交差させジョニーが散歩さと言った青年は首を傾げ目を細めて
一緒にいるのは誰だい?
マギーだよ
恋人?
一緒に歩く女が全部恋人だって考えるのはガキって証拠さ
 青年は不満げな顔でぼくはガキじゃないよと言った
ガキじゃないならスリーポイントをキメるしおれからポイントをとるのもラクチンだな
ジョニーは背が高いからぼくは不利だよ
そうかいじゃあおれが負けたらこう言おうチコは背が低いからおれのほうが不利だってさ
 青年は笑顔を浮かべるなりジョニーと拳を交差させた
次は勝つよ
 ジョニーは口を囲うように生やした髭を指でなぞりその意気さと言った

 リンカーン・コンチネンタルの運転席に座ったジョニーは口笛を吹き助手席のマーガレットに向かってご搭乗のお客様はおベルトをお締めくださいと甲高い声で言いラジオカセットレコーダーの再生ボタンを押した

 アナログ・シンセサイザーによる宇宙的サイレンが鳴り響きエレキトリックドラムによる残響音が排されたタイトなリズムパターンが繰り返されるアームが取り付けられたワウ・ギターは二重に歪んで浮遊感を漂わせベースラインは右手の人差し指のみで弾かれる通称ザ・フック〉。 不可視のミラーボールが回転し一味違う宇宙を表現するマーガレットが変わった曲ねと言うとジョニーは眉を上下させ曲はデヴィッド・ボウイのスペース・オティティだけど演奏はおれがプロデュースしている黒いブラックサバスっていうバンドなんだ最高にイカしているだろ?
 マーガレットは戸惑いそれからはにかんだような顔で歯列を見せた


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。
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