杜 昌彦

GONZO

第33話: どこにもいない朝

書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2021.09.27

その美少女を女は心のうちで放浪のゴスロリ画家と呼んでいた口が悪い割には従順なその子を気に入っていたはずなのにこのところ注文数に比例しておかしな客が増え対応に追われて息をつく暇もなかったおかげでその子が肖像画を描きに訪れないことに数日ものあいだ気づかなかった知り合った川縁の土手でも姿を見かけない次に気づいたのは連絡先を知らぬことで名前すら訊かなかったと思い至ったのはそのあとだ
 すでに十数枚もの作品が家中に飾られていた認めたくない自分そうありたかった自分見知らぬ女のような自分……画家はどれも出来に納得しておらず飾られるのをよく思わなかったようだ知ったことか気に入って金を払ったからには文句はいわせなかった最後の一枚が未完成で終わったのだけが残念だその分の労賃もまだ支払っていないいつかつづきを描きに現れるだろうかいやそんな日は訪れるまいお金には不自由していないようだし作品にも執着する様子はなかった
 別れは常にそうしたものだ万物が壊れてだめになるようにひとはいずれいなくなる気がつくと相手はとっくに別のだれかとの人生を築いていて自分だけがふたり分の食器の前に取り残されている若き日をともに笑ったり泣いたりときに喧嘩したりしながら過ごした友人もいまは結婚して子どもがいる誕生日やクリスマスにばかげた絵葉書や贈り物をやりとりするような間柄にはなれなかったあの声や笑顔は夫や子ども新たな友人や同僚のためにあるあるいは自分が鈍感なだけなのだろう自覚はないがよく他人から指摘されるそれが事実なら付き合っているあいだ相手はずっと苦痛に耐えていたのだだからといって後ろめたさは憶えない強要したり縛りつけたりしたつもりはない泣き叫ばれたときも出て行くときも引き留めなかった言葉にせぬ側にも責められるべきところはあるはずだ
 そんなことをぼんやり考えながら犬に餌を用意したこの犬だってふたりで迎え入れたあのよく晴れた春の午後に笑い合ったことを思い出すあのときは仔犬だったこの子もいつまで一緒にいてくれるだろうか犬は小屋の前で舌を垂らして昂奮し差し出した皿に頭を突っ込んだ
 秋も深まり早朝の土間は随分と冷えるようになった蛇口の水も冷たい無駄に広く天井が高いせいでエアコンが効かず夏は暑く冬は寒いこの古民家をなぜか気に入ったのは友人だった都会育ちの彼女にはロマンティックな魅力が感じられたのだろう水回りやアトリエは改修されているものの何かと不便な家だ第一ひとり暮らしには広すぎる彼女が出て行ったのになぜいまだに住みつづけているのか自分でもわからなかったそれをいえばこの街に留まる理由もないなりゆきではじめた仕事は世界中のどこでだってできるしこの先ずっと続く保証もないなぜ客が順番待ちをしてまで買い求めるかソーシャルメディアの商品画像が数万ものひとに共有されるのか自分でも理解できないほどだこんなのは本当の人生じゃない家は売るか貸すかして暮らしやすい都会へ移りそこでまっとうな職を探すべきなのだ
 両親は友人との仲をまるで理解しなかったわが子のために歩み寄る努力すら見せずただ穢らわしいもののように扱った別に驚くことではない幼少時からそのように扱われてきた子どもは親の女は夫の所有物よって女に教育は不要職業は結婚までの腰掛けいい家に嫁いで子をなすのが幸せと信じる彼らにはもとより何も期待していなかった女にとって理解しがたかったのは両親ではなくむしろ友人だ理解されぬことを理解せずひどくショックを受け傷ついたそうなることは予期しておりあらかじめ説得も試みたのだが友人は頑として聞き入れずわかっている覚悟はあるどうしても逢わせろと主張するのでおそらくわかってはいまいし何の覚悟もなかろうが現実を知ればいい薬になるだろうと思い警告はしたからねと念押しして実家に連れて行った結果がそれだった
 女にしてみれば無条件で受け入れられるのを当然と見なす人間が世の中に存在することがむしろ驚きでだからこそ惹かれた相手だった両親に愛され望むものは何であれ与えられて育った友人は当然のように万人から祝福されるものと思っていて己を受け入れぬ人間が世の中に存在する事実をどうしても受け入れようとしなかったうまくあいだを取り持たなかったことを責められそれと業務上の問題が積み重なって口論が増えた友人は装身具づくりへの情熱を喪い弁解ばかりしてアトリエに居着かなくなり架空のスポーツクラブに通いはじめ知らない石鹸の香りを纏って遅い時間に帰宅するようになった共同作業だった商売はいつしか女ひとりが担うようになり友人は帰宅せぬ日も珍しくなくなった天井が高い古民家は以前よりも広く薄ら寒く感じられた犬の面倒を見ていなければ神経がどうかなっていたろう皮肉にもその頃から作品がソーシャルメディアで評判になりガールズバーでの副業をしなくても済むようになったあんたのおかげかもしれないねと女は餌を貪る犬を見ながら思った
 犬が不意に皿から顔を上げ眉根を寄せて吠えた何か気に入らぬことでもあるかのようだあまり吠えない犬なので珍しいいつもの銘柄がスーパーで品切れになっていて他社の製品にしたのがいけなかったのだろうか普段は自分に似て贅沢をいわずなんでも喜んで食べるのに犬は目の前に飼い主がいないかのように宙を睨んで唸り狂ったように吠えつづけたねぇどうしちゃったのよと語りかけたが犬はこちらを見ていない女は不安が伝染したかのように落ち着かぬ気分になり犬の視線を捉えて振り向いた黒い小柄な影が立っていた拍子抜けしたなんだ来てたの声をかけてくれたらよかったのにと女は微笑んだそれが最後の言葉になった
 だれにも聞かれなかった言葉は発せられなかったのと同じでだからこそ鏑木紀一郎は顔をすり下ろされるまで痴漢をつづけられたし姫川尊は畏るべき悪童になり梶元権蔵は不可視の死神でいられたその見えざる男がもう少し早く女の家を訪れていたらその台詞は宙に消えなかったろうしそもそも発せられることもなかったのだがそのような結末があったからこそ彼はあの犬に呼ばれたのだ宿を追われた殺し屋はやむなく国道沿いのコンビニへ移動して広大な駐車場の片隅で車中泊をした短く吠える声で目を醒ますと隣に停車していた大型トラックは姿を消していて離れた場所に小型犬が舌を垂らして座っていた
 首輪はしているが赤いリードの先に飼い主の姿はない社内の時計を見ると世の中が動きだすにはまだ早い時間だった薄明るく霧が出ている幌を上げていても少し寒い犬はじっとこちらを見ていたゴンゾの視線を捉えるなり犬は背を向けリードを引きずって歩き出したかと思うと立ち止まり舌を出して期待するように振り返るゴンゾが車を降りると犬は走り出した普段のゴンゾならそこで車へ戻るところだがその朝は違ったファウスト博士を誘惑するメフィストフェレスを連想したのである酔狂の自覚はあるが初対面から疫病神と知れた子どもに振りまわされている時点ですでに常軌を逸しているのだ朝靄あさもやのなか犬を追った
 古民家を改装したその建物に鍵はかかっていなかった引き戸がなかば開いていて土間が見えた犬小屋の前に血溜まりができていて女が横ざまに倒れていた眉間を撃ち抜かれている至近距離から一発かとゴンゾは思った犬に餌を与えていたところを背後から呼び止められたような死にざまだった驚いた顔に恐怖の色はないむしろ幸福な微笑にも似ていたごく親しいだれかに思いがけなく再会したかのような表情犬は屍体に駆け寄り目醒めさせようとするかのように頬を舐めはじめた
 独り暮らしのアパートで飼い猫に食い荒らされた男を見たことがゴンゾにはあった犬をじっと見下ろした皿の餌を平らげたあともまだ発見されなければ味を憶えるかもしれない顔を上げて額装された絵に気づいた室内に上がって家中を見てまわった工芸家であるらしく広い部屋がアトリエのように改装されていたゴンゾと同様に普段から土足で生活していたらしく床が汚れているアトリエも含め廊下や便所に至るまでいたるところに絵が掛けてあった見憶えのある画風だ普段の抽象画とは趣が異なるが見誤りようもないミコトの筆によるものだった
 おれが謎解きに駆けずりまわってるあいだに大勢と愉しく交流していたみたいだなお盛んなこってとゴンゾは思ったあんたと関わった相手が決まって襲われるなんてずいぶん嫉妬深い相手がいるようじゃないかこれも姫川邸の事件と関わりがあるのかいと犬に話しかけると犬は屍体を舐めるのを中断しゴンゾを見上げて困ったように首を傾げた
 ゴンゾと犬は同時にパトカーのサイレンに気づいて耳をそばだてた近隣住民が銃声を聞いて通報したのだろうとゴンゾは思った騒音が迷惑だとか何とかあるいは加害者が出入りするのも見られていたのかもしれないな犬だけが出て行って戻ってくるところももしもおれまでもがえていたのだとしたら……犬と視線が合った来るかとゴンゾは尋ねて振り返らずに玄関を出た犬は小さく尻尾を振ってついてきた駐車場でロードスターの扉を開けると犬のほうが先に乗り込んで助手席に座ったここで小便をするなよといってやると犬は小さく不満げに唸った二頭の猛犬が地獄までドライヴだとゴンゾは告げて車を出した


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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