おれのような人間がひとと関わればその時点ですでに暴力で、 ましてひとさまの作品のために口出ししたり、 原稿を預かってウェブや紙の上におれがいいと思ったように表示するのは暴力以外の何ものでもない。 おれが正しいと思うもののために他人を巻き込んで犠牲を払わせている。 そんなことをツイートしていたらヴァニティプレスの宣伝業者にフォローされた。 いや、 ちがうから⋯⋯。 出版社に相手にされない作家志望者みたいに見られたんだろうな。 どっちかというとおれ、 ひとさまの原稿を編集して出版する側です。 非営利だけど。 その業者のサイトには 「編集者に気に入られるには」 みたいな記事がならんでいた。 編集というより営業では、 と思ったがいずれにしても何様だよという話だ。 そんなことばかりやってるから出版がつまらなくなって読みたい本がなくなるんだよ。 自分の書くものに執着はあるけれど愛情はない。 評価されなければならなかったのにうまくやれなかった悔しさしかない。 読んだり書いたりする上で言葉のおもしろさ、 語りのおもしろさには執着する。 書いてしまえば虚しいゴミでしかない。 だれにも読まれないものは出版したとはいえない。 自分に価値がないのは知っているから価値ある他人の本を出版したい。 価値がある言葉を読みたい。 そこにしかない言葉を。 おもしろい物語であってほしいけれども、 おもしろいだけなら読む価値はない。 読むのも書くのも出版も、 言葉へのフェティシズムめいた執着でやっているような気がする。 小説においてそれが何より大切だとまでは思わない。 まず第一に物語がおもしろくなければ。 そのためには人間がちゃんと描かれているのが条件で、 そうでなければおもしろく感じられない。 しかしそれらを充分に満たしていても言葉がつまらなければ味気ない。 そしてそれ以上に、 共感したり勇気づけられたり啓発されたりするような著者独自の視点もほしい。 すでにあるもの、 ほかのだれでも交換がきくようなものなんて、 わざわざ手間と金と時間をかけて読みたくない。 自分とは異なるものの見方があるのだなと気づかされるから、 別に嫌悪を催させるような視点でもいいのだけれど、 でも社会的な暴力に加担するようなものはどうかなと思う。 暴力に抗う表現が多様にゆるされていて、 その上で加担する表現もあるなら均衡がとれているけれども、 この国では抗う側は出版されにくい。 だったらわざわざ加担する小説なんて読みたくない。 いちばん苦手なのは世の中で多くのひとが無自覚に持っていて、 おかしいとは気づいていないことを、 さもいいことであるかのように書いている小説。 それはおかしいんじゃないの、 というのを読みたいのに、 日本の企業はすでに実績のあるものしか出版できない。 これはむかし編集者からよくいわれた。 知り合った全員がいっていたからそういうものなのだと思う。 そのようにして出版と読書の幅を狭めて読者を育てるのを怠れば、 若い世代にとって読書はつまらないものになってしまう。 だから epub やプリントオンデマンドはおれにとって福音だったのだけれど、 でも結局はそれらもプラットフォーマーに気に入られなければ読者へ届けられず、 プラットフォーマーのやることはアルゴリズムによる利益の最大効率化でしかないから、 結局はおれがもっとも苦手とするものしかゆるされない。 苦手とする価値観に抗う表現は、 利益にならないので表示機会が抑制され、 読者にとって事実上、 不可視になる。 おれの居場所はどこにもない。 おれの求める読書も。
2021.
09.26Sun
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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