杜 昌彦

GONZO

第32話: 淘汰と逃亡

書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2021.09.24

映画では観客を飽きさせぬためアクションにさまざまな趣向を凝らすトンネルの迫る列車上での格闘炎上する家屋での銃撃戦ひとびとが逃げ惑い果物の屋台がひっくり返る市場でのカーチェイス時計塔での格闘と転落……しかるに現実は往々にして似通った場面ばかりが続く史実によれば梶元権蔵は殺し屋の常道に背いて行動が定まるのを畏れなかったその信念はあながち無根拠でもない事実多くの兇悪犯は食事をしたり満員電車に揺られたりテレビを視聴したりするのと同様の営みとしてだれ憚らず殺人や強姦を行いその日常を曲げずとも社会の側で勝手に看過してくれるあり得ぬと決めつけ抗議を一笑に付し落ち度を責めて被害者を黙らせてくれる姫川尊を殺害してさえいればゴンゾは不可視でありつづけたろう被害者の言葉になどだれも耳を傾けないしまして死人に口はない
 箱沼にはしかし梶元権蔵が見えた彼は警察の轍を踏まず宿泊客を逃がす手間をとらなかった装甲車の隊列から特殊急襲部隊がわらわらと溢れ出て持ち場へ散開する色といい動きといいひっくり返した大きな石から虫が散るのに似ていた武装した虫らは箱沼の合図で一斉に建物へ侵入した箱沼はいかにも日常の業務といった態度で受付係に身分証を突きつけひと言も口をきかせず上司や客室への連絡も禁じてすべての出入口を封鎖してホテルを包囲したゴンゾに仕事を教えたのはほかならぬ彼自身であり手の内は読めていた殺害は自軍の損失が割に合わなくなった際の最終手段だそうはなるまいと踏んでいた生きたまま確保し手駒に加える公算は充分にあった
 顔の見えない隊列は足音を立てず壁沿いに進んだ何事かと扉から顔を出した男が血相を変えて部屋へひっこんだ箱沼はいつもの薄笑いを装う労さえ執らず日常に倦み疲れた表情で一瞥もしなかった万引き常習犯の息子を身請けに行く父親さながらの辛気臭さだうまいこと手懐けたネあのじゃじゃ馬をと苦い感慨に耽っていた復讐を畏れる姫川尊からは標的の息の根を確実に止めるよう懇願されていたミコトが感情を露わにするのは家族とゴンゾに関する話題のときだけだと気づいていた箱沼はそうはいかないよ事件の重要な証人だからねといかにも道理をわきまえた大人のごとく鷹揚に諭して猛烈に反論するミコトを納得させ情報提供者を匿うために契約した青葉市のマンションに軟禁しその事実をマスコミばかりか姫川家にすら隠して信頼できる数名の部下を警護につけた
 あの男がどのような性質のものであれ他人に関心を抱くとは殺害の手腕よりもむしろそのことに成長を感じた失望と感嘆の入り混じる感情を箱沼は三十年分の収穫のように味わった問題はそれが何を意味するかだ手管なり手段なりならよいが人間性を獲得しつつあるのだとしたらもう長くはあるまい消費期限が訪れても次の駒は仕込んであるミコトは勘がよく飲み込みが早い教団時代のゴンゾを思わせた生育環境に問題のある子どもはやはり教え甲斐がある乾いたスポンジのように血の味を憶えもっともっととせがむようになる奪われた自己肯定感を取り戻すには暴力が手っとり早いだから連鎖は断ち切られる畏れがないそこに商売の余地がある民族や宗教の紛争が終わらぬのも虐待を乗り越えられぬのもそれが理由だ死と憎しみが途絶えれば飯の喰い上げサあたしも軍隊もテロリストも暴力団もネ……
 漫画的であるがゆえの不可視を持論とする梶元権蔵はくしゃみをした抜けた魂を気遣う隣人は彼にはない迫る騒動を不随意運動にて知った彼はめんどくせえなぁと内心で毒づきながら手早く身支度をしたニットタイを締めモッズスーツを身につけビートルブーツを履いて中折れ帽を被り銃の遊底を引いたミコトに撃ち方を教えたあの日は楽しみのためにやったスポーツみたいなものだ裏切りどころかあいつとはもとより信頼関係などない警告に背いて潜伏生活中にだれかと頻繁に接触しているのは把握していたむしろ遅すぎた待ちくたびれたおかげで今日は無償で大量殺戮をやる気になれない田澤の親爺を急に思い出したおれをこの騒ぎに引き込んだあの糞じじいは今頃どうしてるだろう電話にさえ出やしない皺でたるんだあの頚をかっさばいたら水銀が流れるに違いない
 扉の左右に配置した隊員が銃を構える箱沼が無線で一階に連絡したこれ見よがしに銃を提げた隊員に睨まれて受付係は慄えながらパソコンを操作した解錠音が廊下に響いた先頭の隊員が扉を勢いよく開き突入する烈しい銃撃戦が生ずるかと思いきや暗い室内はもぬけの殻だった左右に回転させる方式の窓が大きく押し開けられて冷たい夜風が防火カーテンを揺らしていた狭い室内に隊員が散り筒先に目がついてでもいるかのように銃から先に部屋中を検めた両手に銃を構えた教え子がぶら下がっているのを期待して箱沼は戸口を見上げたゴンゾがそれだけの腹筋を備えていたのは遠い過去だと苦々しく思い出し失望の溜息をつく撃ち合いを避けやがったネ銃は上達しないくせに逃げ足だけ早くなりやがって大柄な隊員が浴室から戻ってきて無人の旨を報告した箱沼はバイザーに隠された隊員の顔をじっと見つめたそれから急に相手のヘルメットを剥ぎ取った隊員は戸惑って見つめ返した
 箱沼は失望を悟られまいとして顔を背けゆっくりと部屋を横切り窓へ近づいた慎重に首を突き出し街灯やネオンを頼りに周囲の闇に目を凝らすナイフも銃弾も飛んでこなかったゴンゾは壁にしがみついておらず蹴られることも頚をつかまれて引き落とされることも飛び降りてきて頚の骨を折られることもなかったいかにも地方都市らしく深夜の地上には人影もないあの餓鬼にしてやられた可能性も考えたがそれはなかろうと思えた虚言で大人を振りまわすならもっと悪辣なやり口があるそれに洗礼者の頭部を所望するサロメのごときあの熱病みたいな目つき社会病質に本心なんてものがあるとしたらそれはだれかを呪うときだけヨ……
 証拠品を物色するために部下が部屋の照明をつけた箱沼は深い溜息をついて引き返した作戦は屋内での戦闘を想定していた無理に追えば市民を巻き込む畏れがあるし隠蔽も困難になるあの男も歳かつまらないねェ取り逃がした事実よりも手口が軟弱になったのを嘆いたむっつりして部屋を出て行こうとする箱沼をアサルトスーツの男たちは困惑し拍子抜けしたように見送ったその視線に気づいて箱沼は戸口で振り向いて一瞥したもういい撤収だ何もいじらんでいいそのままにしときなどうせ役に立たないヨ片手をぞんざいにヒラヒラ振った男たちは魔法を解かれたように気の抜けた風情で列を成してあとを追ったあらかじめ指示されていた数名が残ろうとしたが無線で箱沼に叱責され慌てて出て行った
 ゴンゾは銃を手にして屋上に這いつくばり暗いオフィスビルの窓を観察していた看板や照明のおかげでホテルが映っているだれかが窓から頭を突き出して周囲を窺った部屋の明かりがついて初老とおぼしき男がかいま見えた途端に記憶が呼び醒まされ苦い気分を味わった歳をくってはいるしマスクで口許が隠れているがあの鼻は見間違えようがないあの頃はずっと歳上の大人に思えていたがせいぜいひとまわりしか違わなかったようだなぜあいつがこんなところにアサルトスーツの集団が装甲車に収まって立ち去るのをゴンゾは見届けた姫川邸を襲撃した集団と装備は似ているが別の勢力にも思えた警察内部にも派閥があるのかあるいは公安かも……ふん知ったことか教団外にも人脈があったり警察の手入れのときには決まって姿を消していたり集団自殺で教団が消滅したのちも平然としていたり信者にしてはおかしいとずっと思っていた
 ミコトがおれを売った相手があの男だとしたらあの男はこのためにミコトに近づいたのではなかろうむしろこちらが口実で手懐けるのが真の目的だったはずだ今回の騒ぎはあなたのためにこれだけのことをやってますよというアピールご機嫌とりにすぎないミコトを監視していれば隣室でおれが数ヶ月ものらくらしていたのを知らぬはずがない金と人間を投じてこんな大がかりな真似をせずとも片づける気になればいつでも少人数でさっさとやれたのだ愚かなふりをしてみせているのだろうがこっちだってひっかかるほど初心じゃないそして向こうだってそのことをきっとわかっているおれとあの餓鬼は連中の掌の上で転がされているそんなことは重々承知だ思惑を知るためにあえて乗っかってみたわざわざ進んで首を突っ込み子守をしてやりスーツとブーツに血を吸わせ無償労働の大盤ぶるまいだがいくら探れども一向に見えてこないおれたちにいったい何をやらせようとしているのかあの餓鬼と教団に何の関係が? あるいは関係があるかに思わそうとするのは何のためだ?
 ゴンゾは考えるのをやめた探偵役は柄じゃねえや
 捕獲作戦が不首尾に終わったと報された姫川尊は電話越しに怒り狂った音声が割れるほどだった宿泊先の安ホテルのベッドに腰掛けマスクを顎まで下ろして煙草をくわえた箱沼は眉を八の字にして薄く笑い携帯を耳から離して音量を調整しネクタイをほどいて襟元を緩めながらまぁまぁ大丈夫だヨちゃんと優秀なのを警護につけたからサ……と宥めた
 大丈夫なもんかあいつは正常じゃない人間の命をなんとも思っちゃいないんだ僕は殺されちゃうよ!
 本当に? 急に箱沼は目から笑いを消した声にはいつもの含み笑いの底に聴き慣れぬ冷たい響きがあった正常なら人間の命を尊重するのきみは梶元権蔵と違うといえるのかい本当にあっさり殺されちまうの
 本当にって……何をいっているの
 箱沼は左右の靴を脱いでは放った……七三一部隊については習った? いまはそういう都合の悪いことは学校じゃ教えないのかナそこに配属された若い兵隊はネハルビンへ遠出して生まれて初めて水餃子を食べたり映画を愉しんだりしてたんだヨ捕虜を杭にくくりつけて細菌爆弾を炸裂させたり生きたまま解剖したりしてどうなるか観察するのと水餃子や映画どちらも日常生活の一部で何も感じないどころかいいことだと思ってた勉強や部活にいそしみ放課後にアイスクリームを食べるみたいなものだったんだヨ殺人がネ……箱沼は穴の空いた靴下の爪先をつかんで力任せに引っ張った伸びきった靴下はぱちん! と音を立てて脱げた鼻先に近づけて顔をしかめ丸めて部屋の隅へ放り投げる……入管が外国人をどう扱うか聞いたことは? 人気ユーチューバーが障害者とホームレスについてなんていったか知ってる? 正常な人間はネミコト君他人の命なんてなんとも思っちゃいないんだヨきみや梶元と同じようにネ……
 あんなおっさんと一緒にしないでよ僕は人殺しじゃない
 もちろん違うサきみはまだふたりしか殺しちゃいないが銃の腕はきみのほうが上だ接近戦に持ち込まれなければ勝てるナイフに気をつけるんだネ練習の成果を披露するときだヨ警護の連中に話をつけておく安心しなあいつらがやったことにするサ……
 箱沼は黙り込んだミコトにおやすみを告げて通話を終えた煙草を灰皿に押しつけ皺くしゃで汗まみれの服を着たままベッドに大の字になるや盛大に鼾を立てはじめた


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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