イシュマエル・ノヴォーク

第7話: カリフォルニア州ビバリーヒルズ

書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2021.09.03

人口三万人ほどにして郡保安局ではなく独自の警察を組織するビバリーヒルズマーガレットはサンタモニカブルーバードからウィルシャーブルーバードまでの五〇〇メートルほどの高級ショッピングストリートロデオドライブを歩いている彼女は強化ガラス越しにプラダグッチディオールフェンディカルティエティファニーを見た値札が貼られていない装飾品は値札を必要としない者のみを必要とする彼女はお呼びではないのか装飾品の輝きは鈍く映る
 彼女の横に空気抵抗のCGモデュレートをそのまま形にしたような近未来的な自動車が停まりリチャード・ギアに似た男と若くいささか蓮っ葉な印象を与えるジュリア・ロバーツに似た女が降りて来た二人はレッドカーペットの上を歩いているわけではなく後ろにパパラッチが隠れ潜んでいるわけでもないまたロイ・オービソンが歌うかわいい女が挿入される気配もないファッション誌が特集する華やかで理想的なライフスタイルの一幕同時にリトルロックのアパートの台所で黄ばんだ観葉植物が萎れるか腐っているだろう瞬間マーガレットは自身の足元を見るが答えはコンバースのスニーカーのみ現実は夢の戦場であり推し通るためにはフランクリン・ルーズベルトの肖像画を必要とするのだマーガレットは旅行鞄に手を突っ込みコッパードから送られたDNA採取キット綿棒とプラスチックの試験管をとり出してポケットに入れた

 マーガレットは陽光降り注ぐサンセット大通りをサロメのようにヒタヒタ歩いている額から滴り落ちる汗は薄く塗ったファンデーションを落としはじめていた車道を銀色のセダンとワンボックスカーが走り去るモノクロ映画でもはっきり見ることのできる黒のイゾッタ=フラシキーニは走っていない
 樹皮の白い街路樹小人のような消火栓駐車禁止を伝える赤字で書かれた小さな看板時折交差点から顔を出すセキュリティ会社の職員うんざり顔の職員は肩から腰にかけて垂れ下がるベルトに装着された無線機に向かってやけっぱちな口調で異常なしとつぶやく職員はマーガレットを見ても興味を示さず職業義務的にうなずくだけ彼女はジーンズのポケットからメモ紙をとり出し先端が矢じりのように鋭利になった鉄柵に固定された住所表示とメモ紙を見比べるメモ紙に走り書かれた住所は一言一句間違っていないもののジノ・フィルのサインは滑稽に見えたマーガレットが呼び鈴を押すとウェストミンスター宮殿に付属する時計台ビッグベンと同じ旋律が響いたもしあなたが鐘だったのなら彼女がどんな気持ちでいるかを聞くことができるだろうハリソン・フォード主演のレイダース失われたアークのラストシーン溶けていくドイツ人兵士たちの特殊メイクほどではないにせよ汗で化粧が溶けアークのように輝くサンセット大通りに吸い込まれそうなひとりぼっちの女性の気持ちを
 呼び鈴に答えはなくセキュリティ会社の警備員を思い出したマーガレットは狼狽えたしかし後退はできないそれはリトルロックのアパートに忘れて来てしまっているのだから白髪頭の短髪芝刈り機を従えた老人があらわれた時マーガレットは驚きのあまり悲鳴を上げた農夫のような老人は目を細めて
死人を見たような顔だな何か用か?
 呼吸を整えたマーガレットがえぇっとお家の人と話がしたくてと言うと老人は首を傾げ
ワシ以外におらんよ
それじゃああなたがロイ・ハイドパークさん?
そうだが……あんたは?
マーガレット・ホットフィールドです
 ロイはマーガレットをしげしげと見ると何を売りつけに来た? 美術品か? それとも健康食品?
売りつける? 話を聞きたくて……
……アレのことか?
アレ?
 喉を鳴らしたロイが倅のことだと言ったマーガレットは言葉に詰まりながら
ファンなのと答えると目に見えない棘が胸を貫通し微かに顔を歪ませた
来客は久しぶりだ中で話そう
 鉄扉が開かれロイが手招きしたマーガレットは戸惑いながらも敷地に入った

 プールサイドで二人は向かい合って椅子に腰掛けた水が張られていないプールの底にはうっすらと苔が生えていたマーガレットが掃除の必要性について思索しているとロイがあれのファンはエルコに行くんだと言ったマーガレットは汗と共に溶けたファンデーションを手で拭い
彼が生まれ育った家?
そうワシの家今もあるしアレを好きな若い……今じゃあそれほど若くはないだろう連中がこぞって行くんだワシはあの家から離れたくなかったあそこで死ぬものだと信じて疑わなかったでも毎日毎晩のように知らない連中から打ち金を鳴らされちゃあうるさくてかなわんきっとあんたはこう思っているんだろうワシをアレの金で儲けた男だとな間違ってはいないバスの運転手じゃあここに家を買うなんて無理なことだからな
彼らの音楽には興味がないの?
エンジンみたいな音の塊を聞いて何が楽しい? アレが家を出る時ワシは勝手にしろと言った事実アレは好きにやってわざわざフランスで死んだワシの時代ならヨーロッパで死んだと言えば戦死と決まっていた誇りだろうだがアレは何をやった? 好きにやって好きに死んだ根っからの根なし草でどうしようもない……不肖の倅だ自分から家を飛び出したのに飽き足らずワシまで家から放り出したこんな仕打ちがあるか? 何の権利があってワシを家から追い出す? なぁ教えてくれ
 顔を真っ赤にしたロイの鼻から一筋の血が滴り落ちるとロイが皺の寄った手で鼻を拭ったマーガレットの脳内でロイの手と同じように皺が寄った皮質組織ニューロン組織体に電気信号が走り彼女はポケットからDNA採取キット綿棒を伝説の早撃ちガンマンボブ・マンデンと同じ速度でとり出したすべての政府が嘘つきであるように同じように人も嘘をつくマーガレットは早口で
動かないで看護師をやっていたことがあるのと言うなり綿棒をロイの仄暗い鼻穴に突っ込んだロイの鼻穴にある毛細血管キーゼルバッハをスパイラルタイプの綿棒が血液を吸い取っていく
 ロイの血小板が傷ついた血管壁に粘着し血小板凝集を起こす頃マーガレットは綿棒を引き抜いたロイは鼻のあたりを撫でながら随分荒っぽい看護師だなと言ったマーガレットはどぎまぎしながら
気にしないでちょっと急用を思い出したからこれで失礼するわと言うと血の付いた綿棒を握りしめたまま早足で去った

 サンセット大通りは快晴ビデオゲームの敵のようにブロックごとに配置された警備員たち彼らは似通った制服を着ているものの上腕か胸に縫い付けられたセキュリティ会社のロゴはそれぞれ異なっている力強い盾狡猾そうに笑みを浮かべる狐頭蓋骨の眼窩から飛び出る毒蛇一つ目巨人波打ち際で歌う人魚セキュリティ会社のロゴにするには相応しいと呼べない悪趣味なデザインこれらはマーガレットの思考を譫妄状態に追い込むには十分な材料だったリトルロック在住父親不明の元スーパーマーケット店員
 マーガレットは一番近くの角を曲がった左折左折左折迷路を最も効率的に脱出するための左手法はビバリーヒルズ地区というドルの迷宮の前では無力である異変を感じ取った茶色い髪の警備員がどうかしましたか?と尋ねてもマーガレットには男の顔がミノス王の牛のように残虐で好色に見えた
 ロデオドライブからデイトンウェイ南欧風のトゥーロデオ。 『ローマの休日ほどではない大きさの噴水の前で恋人たちはお互いを撮影するか携帯電話を器用に向けて記録を共有していた旅行鞄から携帯電話をとり出したマーガレットはコッパードに電話した

― やぁマーガレット
世慣れしたコッパードの神経を逆撫でするような声マーガレットは大きく息を吸い込み
……やったわ
― それは無事に採取したという意味?
それ以外に何かある?
― なんだか息が荒いみたいだけどDNAを採取しただけだよね?
えぇそれだけ
― ふぅんならいいんだそれじゃあ次は……
まだ何かあるの?
― うんだってそのままじゃあ駄目になっちゃうからねマーガレット郵送したキットは一式持っている? もちろんあるよね?
えぇ……
 旅行鞄を漁ったマーガレットは平べったいダンボール箱をとり出した
― まず検体はケースに入っている?
ケース?
― 説明書は読んだ?
えぇまぁ
― じゃあまずプラスチックの試験官を黒いビニール袋に入れてまさかとは思うけれど綿棒は外に出ていないよね?
 マーガレットは握りしめていた血の付いた綿棒を試験管に入れ
えぇ大丈夫……多分
― OKそれじゃあ今度は君の番もう一つケースが入っているからその綿棒を
ここで血を流すの? そんなの無理
― 綿棒を口にくわえてくれればいいよ
 マーガレットは白い綿棒をキャンディのように口にくわえた消毒薬のような味に顔をしかめ綿棒をプラスチックの試験管に入れた次にマーガレットは二本の試験管を黒いビニール袋に入れた
……できたわ
― 今度はその二つを発泡スチロールのケースに入れてダンボールの箱に入れたらおしまい
厳重ね
― そりゃあそうだよ大事なものだからね宛先は大丈夫? 今から読み上げる住所と間違っていないか確認してもしミスがあったら大変だからね
 コッパードは住所を読み上げマーガレットが大丈夫合っているわと言った
― あとはポストに投函してその包装ならガサツな郵便局員だって簡単にはDNAを破壊できないからね
えぇそうする
― 良かったそれじゃあ切るよ
 マーガレットが礼を言う前に電話が切られたものの不快に思うことはなかった彼女はスパイじみた行動背徳感譫妄息切れ筋肉痛の中で達成感に包まれていた彼女は平べったいダンボール箱を旅行鞄に入れ携帯電話を握ったまま歩き出した
 ロデオドライブまで歩くとブティックのショーウィンドウを背にポーズをとる栗毛の男と目が合ったマーガレットはこの男に見覚えがあった以前眠れずにテレビを点けた時に映り込んだ映画の主人公を演じた人物で金を求めてベトナム戦争に参加する若者たちという現実に憤り自ら志願して入隊した黙示録の息子映画の中では若くあどけなさすら漂わせていたものの公開から二〇年以上経っていることもあってか男は疲れたような顔をしていた男が手招きするとマーガレットは吸い寄せられるように近付いた
写真撮るかい?
 マーガレットがどぎまぎしていると近くにいた一九五四年版初代ゴジラがプリントされたTシャツを着た男がおれが撮ってやるよと言って彼女が握っていた携帯電話を掴んでカメラ機能を起動させた
随分古い携帯だな……それじゃあお二人さん
 黙示録の息子がマーガレットの肩に手を置き彼女はひきつったようなわけもわからないといった顔をした呆けた顔が携帯電話に記録されゴジラTシャツの男が携帯電話をマーガレットに返した
いい思い出になったな
えぇ……そうね

 黙示録の息子は既に別の観光客たちと撮影会をはじめていたマーガレットは足早にその場を去り隠れるように立つ青いポストにダンボールを投函した


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。

連載目次


  1. 一九七一年 パリ、ホテル・アンリ四世
  2. 二〇〇三年 アーカンソン州リトルロック
  3. リトルロック空港
  4. アーカンソン州リトルロック
  5. カリフォルニア州ロサンゼルス
  6. カリフォルニア州サンタモニカ
  7. カリフォルニア州ビバリーヒルズ
  8. アリゾナ州エルコ
  9. 一九七〇年カリフォルニア州ロサンゼルス / ミスター・ジョンソン。死んだよ
  10. 私たちは何者か?
  11. テキサス州ダラス
  12. アーカンソン州リトルロック
  13. カリフォルニア州ロサンゼルス
  14. カリフォルニア州ブエナパーク
  15. アーカンソン州リトルロック
  16. サタデー・ナイト・サタナイトショー
  17. 黒いブラックサバス
  18. カリフォルニア州スキッドロウ
  19. ブリテン・ボード・システム
  20. カリフォルニア州インペリアル郡 ~ジャック・トレモンド
  21. カリフォルニア州インペリアル郡 ~スティーヴ・ブルームデイ
  22. 裸の街
  23. 明敏で過敏なパーセプション (一九六六年 アップビート誌 九月号より)
  24. カリフォルニア州サンディエゴ ~ドーピーズ
  25. ピンクパープルの力学
  26. カリフォルニア州サクラメント
  27. 一九七〇年 コロラド州プエブロ
  28. ハート・オブ・グラス
  29. 屈折した知覚
  30. ミズーリ州セントルイス
  31. 離見の見
  32. 審理前会議
  33. オーディション
  34. 予備審問
  35. ハイエナたち
  36. デイライト
  37. アリゾナ州フェニックス
  38. 立証を終えて
  39. ブリテン・ボード・システムⅡ
  40. テキサス州エルパソ
  41. チップの用意はいいかい? ~TAKEⅠ
  42. チップの用意はいいかい? ~TAKEⅡ
  43. チップの用意はいいかい? ~TAKEⅢ
  44. テキサス州エルパソ ~天使のホンキートンク
  45. はかりごと
  46. 煙が目にしみる
  47. フロリダ州マイアミ
  48. モルフォゲンの輝き
  49. 暗号美学
  50. フロリダ州タイタスビル
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