イシュマエル・ノヴォーク

第6話: カリフォルニア州サンタモニカ

書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2021.08.27

大陸横断を開始するにはうってつけの場所はどこか? それは州間高速道路一〇号線の最西端サンタモニカ
 フロリダ州ジャクソンビルまで続く道はヤシ並木ではじまりおそらくヤシ並木で終わる州間高速道路は物語のように形式的だが物語と異なりマーガレットに答えを示すことはない
 市営のビッグブルーバスを降りた彼女はスポーツ釣りボート遊びの三位一体サンタモニカ・ベイの目の前にある電話ボックスに入り電話帳のページをめくったページのいたるところに卑猥な言葉が落書きされており昆虫や眼球といった暗示的な落書きが散見された。 〈フィルモニカの電話番号を調べたマーガレットは公衆電話にコインを入れた携帯電話を持っているはずなのに何故公衆電話を使用するのか? 彼女は通話料を考慮しているマーガレットは銀色のボタン押し受話器を握る

─ はい、 〈フィルモニカ不動産です
 若々しく甲高い女の声何を言うべきか決め兼ねていたマーガレットは言葉が見つからない名乗った上でアポイントをとり話を聞きに行くべきか? あるいはビーチ沿いの住宅に引っ越しを考える開放的だがわからず屋のスクウェアのフリを決め込むべきか? スクウェアでもヒップでもない彼女は想像し演技することはできない
─ もしもし?
ごめんなさい聞こえているわ
─ もしかして別荘の購入を考えていらっしゃる? それとも住宅? サンタモニカほど素晴らしい土地はありませんわこの地の名前の由来は初めてスペイン人が足を踏み入れた日に因んでいるんですのそう聖人モニカ素敵な由来だと思いません?
えぇそうね
─ でしょう? 住んでも良い場所ですが万が一都合で引っ越しをしなくちゃいけなくなったとして普通ならどうでしょう? 住宅を手放す買い手がいなければただの負債それに経年劣化もしますしでもここサンタモニカの不動産価格は近年ずっと上がっていますつまり買った時よりも高い価格で売ることができるんです気候が穏やかで美しく投機的価値もあるこんなに良い場所他にあります?
え? その……なさそうね
─ 北米大陸のどこを探したとしてもありませんわもしご興味があるようでしたらさらに詳しい話はいかがです?
 一方的な濁流のような言葉にマーガレットの意識は電気式洗濯機の中で回転するハンカチーフのよう受話器の奥から聞こえるもしもし?という声がマーガレットの意識をすすぎ脱水した
えぇ聞こえているわその……詳しく話を聞きたくてそちらの場所を教えてくれるかしら?
 マーガレットはメモ帳に溶けた魚のような文字を走らせた

 受話器を置いたマーガレットは大きなため息をついた欲しくもない別荘の話をさも興味があるように振舞えたかと言えば彼女の演技はラジー賞に輝くほどだったマーガレットは電話ボックスを出ると手提げカバンからピークォド号の航海士の名前を冠し人魚のロゴがデザインされた空の紙コップをとり出してゴミ箱にいれ歩き出す
ルート六六〉、 桟橋に並ぶ商店道行く人々は薄着なので慎み深いマーガレットは目のやり場に困ってしまう下を向いた彼女はサンタモニカ・ピアの青色の鉄柵に導かれるようにタコを模した門扉をくぐった入場料無料にして乗り物はその度に支払いを済ませる前時代的なシステムのパシフィック・パークに入るなり彼女はタコスを買い近くのベンチに腰掛けた赤と黄色の屋根がない観覧車が眠たげに回転しているまばらな客を乗せたコースターがオレンジ色をしたレールの上を走り去るタコスからサルサソースが滴り落ちる拡声器のようなスピーカーから流れるイングランド民謡グリーンスリーブスのメロディーはコーラス毎にドリア旋法とエオリア旋法に変化するビーチから漂う潮風の粒子がタコスに塩分を与えた

 陽が傾く頃マーガレットはようやく腰を上げ潮気を含んだことでベタつく髪に触り歩き出した

 セカンド・アベニューでは街路樹のオリーブが鬱蒼とした葉を揺らしていたトッド・マクファーレンがマーベル社でデザインしたコミック・ヒーローのようにつり上がり大きな目をした銀色のセダンヒキガエルのようなワゴン車キャンピングカーのようなフェデックス社の配達車スポーツウェアに身を包んだブロンド娘が精神と肉体の健康を呼びかける街頭広告黄昏をつむぐ無数の光は傷口が開いた路上を縫うように垂れ下がるマーガレットは殴り書いたメモを見た彼女の目の前には二〇フィートほどの高さの銀の円柱が四本並んでいる彼女が顔を上げると円柱は凸面鏡のように細長くなったマーガレットを映し出していた

フィルモニカ不動産の看板を目にすると彼女の知覚は過敏な反応を示した大脳中枢を透明の液体が駆け巡り電気的に結合するマーガレットはこれはと繰り返し風という微かな抵抗をものともせずに突き進んだ。 〈フィルモニカ不動産の前に立つと電波よりも波長の短い電磁波赤外線を捉えた自動ドアが駆動装置を起動させスチール製サッシの上をガラス扉が通過した
 微かに漂う麝香外気を取り込み空調から排出されるが詰まり気味のフィルターを通したことで埃とカビの臭いが混ざっているマーガレットが口を開く前にブロンドの若い女が声を掛けてきた女は黒縁眼鏡にタイトスカートブラウスの袖はドレスシャツのような遊びがあった女は黒縁眼鏡の縁を手にやり下唇の斜め横にある黒点を舐め何かご用かしら?と言ったマーガレットは受話器の相手ではなかったことに安堵したもし受話器の相手であったら彼女は生命保険に加入した上三〇年以上の住宅ローンを組まされていただろうからマーガレットが胸を撫でおろしていると女が
事務員のデボラ・カーナンですあなたは?
デボラの言葉にはカリフォルニア以外の南部訛りが聞き取れたデボラはウェーブがかった髪を撫でマーガレットからの答えを待っているマーガレットはデボラの見た目とかけ離れた声に困惑したデボラの声は誰かが吹き替えているような借り物のような印象を抱かせたマーガレットが言う
ここで話を聞こうと思って電話をしたの
そういつ?
今日のお昼ぐらい
担当者は誰かしら?
名前は聞きそびれたけどよく喋る人
 手をヒラつかせたデボラがそれじゃレイねでもごめんなさいレイはもう帰ったの
それならフィルさんに会える?
 デボラは目を細めてジノに? ひょっとして、 〈パーセプションのファン?
そんなところ
変わっているのねロックバンドなんてあたしは全然
興味がないのにここで働いているの?
ここは不動産屋でロックバンドじゃないそもそも仕事に興味がある人っているの?
首を左右に振ったマーガレットが多分いないわねと言うとデボラが笑顔を浮かべた
内線でジノに繋ぐわこの時間はこっちに来ないで部屋にこもりっきりなのあたしもジノみたいに好きなようにできるのなら少しは仕事を好きになるのかしらね
 デボラはプッシュホンのボタンを押し手短に話を終えると受話器を置いたドアを指差したデボラがあそこから廊下に出てそのまま真っすぐ行けば彼の部屋よと言った

 マーガレットは細い廊下を歩き進んだ先にあるドアをノックしたすぐには応答がなく二度目のノックをしようか迷っていると内側からどうぞという不機嫌そうな声が聞こえたドアを開けるとまずは麝香の臭いが鼻についたマーガレットは床にあぐらをかくハーフパンツにTシャツ姿のサーフショップのオーナーのような男を見た男の髪は茶色だったが白髪が混ざったことでブロンドのような色になっていた
こんにちはとマーガレット男は首を横に傾けると
この時間は人を通さないように言っているんだけどね
ごめんなさい。 〈パーセプションの話を聞きたくて
 男は目をぱちくりさせ珍しいね君ぐらいの女性がぼくたちに興味があるなんてさ
そう?
 男は三本足の丸椅子を見て立ち話もなんだしまぁ座ってぼくはこのままでいいかな?
どうぞ
ありがとう
 マーガレットが丸椅子に腰を下ろすと両手を見せびらかすように広げた男が言う
知っているだろうけれどぼくはジノ・フィル君は?
マーガレット・ホットフィールド
ホットフィールドさんはどうしてここに?
マーガレットでいいわファミリーネームが嫌いなの
それじゃあ気を取り直してマーガレットはどうしてここに?
話を聞きたくて
バンドのこと? それともダグ?
えぇまぁ
 フィルは目を大きく見開き肩を上下させるとダグは天才だよ世の中に天才と呼ばれる人は大勢いるけれどほとんどがニセモノさでもダグは本物だ彼のことを考えない日はないよ人生が変わる出会いとかそんな言い方をするのかも知れないけれどそんな陳腐なものじゃないダグとは学生の頃に知り合ったその頃のぼくはUCLAで建築を学んでいた建築といっても住宅じゃなくてスタジアムとか大きなもの大きなものが好きなんだダグは創作科だった初めて会ったのは彼が脚本を書いた演劇の公演で場所は大学の中庭芝生の上だったぼくは当時のガールフレンドと二人で観た芝生に寝転がりながらお互いに触れながら演劇には内容とか物語はなかった皺の寄ったコートを着た俳優がひたすらひとりごとを言いつづけるというもの観ているうちになんだか奇妙な気分になった俳優が別の人間に変わっていくように見えたんだ公演が終わるとぼくは俳優に話し掛けたでも彼はあまりよくわかっていないみたいで何を聞いてもさぁ?とかそんな具合ぼくが誰が書いたの?と尋ねると彼は離れた所であぐらをかきながら煙草を吸っている男を指差したそれがダグだったぼくは名乗るのを忘れてとにかく話をした。 〈あれはどういう意味なの?〉 〈俳優のあの仕草の意味は何?とかまぁそんな感じその間ダグはずっとぼくを見ていた彼の目は真っ黒で不思議な力がある彼に話し掛けているのにまるで自分自身に問いをしているような哲学的な雰囲気があるんだ彼と会ったことがある人はみんな同じように言うよぼくは彼をもっと知りたいと思ったでもいくらお喋りしたところで限界がある彼の神秘性を一番近くに感じることができるとするなら彼と同じ舞台に立つほうがいいとはいえぼくは演劇なんてできそうにないから子どもの頃からやっていたオルガンでセッションをしようと持ち掛けた次の日ダグは約束通りぼくの下宿先にやってきたシャツにジーンズラフな服装だったけど普通の人とは違ったダグにはスタイルがあったんだ彼は何も持っていなかった脚本ぐらいは持って来てくれると思ったんだけどねぼくがブルースのコード進行を弾きはじめてもダグは天井を見たりぼんやりしていたひょっとして退屈なのかな? と思って演奏を止めるとダグが口を開いたあの時の衝撃は忘れられないよたとえばシェイクスピアに肩を並べるような詩人が目の前にいたとしたら君はどう思う? 気が動転したぼくはコードをちゃんとおさえられなかった。 〈コードってなんだろう?〉 〈音ってなんだろう?そんな問いが生まれたんだ彼の言葉は音楽的だし詩的なんだけどそれ以上ぼくの心に染み込んで来たぼくは生まれて初めて自分自身を問うことができたなんとなく建築を学んでそのままそれを仕事にするんだと思っていたぼくはまるで考えていなかったずっと眠っていたようなものさダグはぼくの目を開いてくれた彼と一緒にいた時間は素晴らしいものだった刺激的だったし常に示唆的だったずっと永遠にあんな時間が続くものだと思っていた
 マーガレットは咳払いをしてダグにはガールフレンドがいたのかしら?と尋ねると途端にフィルの顔が曇った
いたよ彼はモテたしねでもお盛んなタイプじゃなかったファンの女の子たちがホテルに押しかけて来ても一緒に騒いでプールにテレビを投げるぐらいだったロックスターにありがちな乱交なんてしなかったダグは女の子に優しかったよ甘いと思うぐらいそんな彼だからビビアンにつけこまれたんだダグは亡くなる二年ぐらい前からビビアンと付き合いはじめたぼくはビビアンが嫌いだったダグのドラッグ中毒が酷くなったのはビビアンと付き合い出してからだし彼女にそそのかされたのさビビアンは歌手志望だったしダグを足がかりにしようとしていたマネージャーのルークと寝ていたぐらいだしねビビアンには優しさも節操もないあるのは野心だけ魔女みたいな女さもしタイムマシンがあって過去に戻れるとしたらぼくはダグを止めるよ絶対にビビアンを近づけたりしなかった思うんだあの時ぼくがもう少しちゃんとしていればもっとモノが見えていれば今もダグと一緒にステージに上がっていたんじゃないかってね
ミラーさんに会ったんだけど
 マーガレットが言い終える前にフィルが口を開いた
彼はぼくを恨んでいるでもそれは彼が決めたことだクレジットなんていらないと言ったのは彼なのにそれなのに裁判になった裁判の結果は公正なもので公平なものだよそのことに不満を言うのは間違っているよもし法律が間違っているというなら何が正しいの? もちろん友情は大切だと思うロビーのことは今でも好きだよでも彼はぼくを嫌っているだろうしぼくの言葉を聞きたくないどころか顔も見たくないと思っているだろうけどね
ミラーさん病気だってことをご存知?
いいや初耳裁判が終わってからは交流がないんだ
その……かなり悪いみたいなの
 フィルは手をヒラつかせ漂う麝香の臭いに鼻をピクつかせると
ぼくにできることはないよぼくが手を貸そうとしても彼は拒否するだろうし
一緒に演奏していたのに?
うん演奏はしていたでも同じバンドだからって同じ考え方じゃないんだそれに、 〈パーセプションはダグが頂点なんだダグを輝かせるための三人の使徒っていったらちょっと言い過ぎかも知れないけれどぼくはそういう気持ちでやっていたその点でぼくとロビーは違うロビーはダグに嫉妬していたダグの容姿人気カリスマ性に
気のいい奴だったと言っていましたよ
 鼻で笑ったフィルがどうだかねと言った
ぼくは中年だしこれからできることは数えられる程度しかないと思っているぼくはダグダグラス・ハイドパークという天才のために時間を使いたいんだこれはまだウェブサイトにも出していない情報だけど特別に言うよこれまでリリースした五枚のアルバムのリマスター盤を出そうと思っている裁判中はできなかったし裁判が終わってからもロイやビビアンの遺族たちの反対でリリースできなかったずっと複製品を出していただけビートルズは? ローリングストーンズは? 彼らはリマスター盤を出しているよね? ダグの才能は今の若者たちを導く力がある他にも言っていないことがあるんだそれはね、 〈パーセプションを再結成しようと思っているんだ
ミラーさんは?
無理だろうから誘わないよでもジョンは乗り気だったジョンはジプシーじゃないけどジプシー音楽が好きでジプシーみたいに生きている
歌手はどうするの?
オーディションするよでもソックリさんじゃ駄目だダグに似るわけがないし失笑を買うだけだからね新曲を作ろうと思うダグが残してくれた詩があるんだぼくは演奏の機会から遠ざかっているけれどオルガンは弾いていたしテクニックは昔よりある七一年には五枚目のアルバムを計画していた五枚目といってもあの不出来なボツ音源集のアーリー・イヤーズじゃないあれはダグがいなくなってしまったからレコード会社の契約上仕方なくリリースを許可した今でも悔やんでいるどうしてあんな馬鹿なことをしたんだろうってねダグの顔に泥を塗ってしまったとひどく後悔している新しい時代の新しいパーセプション……このアイディアはアリゾナ州のエルコダグの生家の前で棺を担いでいる時に思いついたんだでもその時のぼくはそんな気力がなかった悲しかったし打ちひしがれていたでも今は違うダグはこの世にいなくなってしまったけれどダグの精神は残っているはずでしょ? ぼくはそれを受け継いでいくことが使命だと思うぼくの会社はそこそこ成功しているしこれはそのままにしても誰も文句を言わないぼくは昔のように真摯な気持ちで取り組もうと思うこのトシになったらホテルで馬鹿騒ぎなんて必要ないダグの偉業を思い出させ若い人たちにこんなに素晴らしい人がいたことを知ってもらいたい
 フィルは悟りの境地に達したような恍惚とした表情で天井を見たマーガレットはおずおずと手を挙げ素晴らしいことだと思うわそれでえーっと……ロイ・ハイドバークさんの家はご存知かしら?
 ロイの名前を聞きすっかり水を差された様子のフィルが
知っているよ一年に一度は顔を合わせるからねダグのお金で私腹を肥やしている見たくもない爺さんだよ
あなたは?
ひょっとして君はぼくがパーセプションのロイヤリティ収入だけで生活していると思っているの? そうだとしたらひどい誤解だよ
えぇあなたはここで……成功している
成功は定義にもよるけどねまぁ不足を感じていないのは事実だけど君は信じないかも知れないけれどぼくはダグと一緒に演奏を続けたかっただけなんだダグがこの世を去ってから一人で演奏活動をしていたことがある楽器を人前で演奏したことは? 誰もいないクラブで演奏したことは? あれは演奏じゃないつまらなそうな顔でウェイターがグラスを拭いている間一所懸命演奏するんだひどいものだよそうやって気が付いたんだぼくには才能やカリスマ性……要するに何もないってことぼくは平凡だったんだ
平凡だったらスターにはなれないんじゃないかしら?
ダグが非凡なんだよあぁ……金満爺さんの住所の話だったねメモはある?
 マーガレットが答える前にフィルが立ち上がりメモ紙に住所を書いた住所の最後にはジノ・フィルのサインがされていた


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。
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