杜 昌彦

GONZO

第30話: 古き良き絆

書いた人: 杜 昌彦, 投稿日時: 2021.08.21

思えばわたしと同じ高校に入学した時点で姫川尊は一族の爪弾きだったのかもしれない地元政財界の子息はナンバースクールと呼ばれる伝統ある進学校に入学するのが常識だった姫川邸の学区ならそれは青葉第一高等学校ということになる当時すでに共学化されていたとはいえ女子の割合はわずか三分の一にすぎず卒業生は古い価値観への郷愁に執着していた地元の旧帝大を出て世界で活躍する卒業生は多く大臣を歴任する政治家や世界の長者番付に載る経営者海外誌で表紙を飾った経済学者ノーベル賞候補と噂される工学部名誉教授政治団体を率いる文学者やハリウッド俳優といった錚々たる顔ぶれが名を連ねていた姫川尊はあるべきその生き方を裏切ったのだ知能指数が三百あると噂された彼が伝統に従わぬ理由が成績にあるはずもなくあるいはその背後にもわれわれの知り得ぬ家族との確執があったに違いない
 校風の象徴たる時代がかったその建物は重厚な煉瓦造りのおかげで焼け残ったとも進駐後の接収を意図して爆撃を免れたともいわれる真鍮の銘板には青葉第一高校同窓会館と大きく彫られその下にAoba First High Old Boys Association Club Houseと怪しげな英語もどきが併記されていたカード卓や撞球台といった遊興道具やマッサージ室を備えたサウナかび臭い革張りの本ばかりを収めた図書室家庭に居づらくなった際の避難所として機能する宿泊施設があった傍目には何の価値もない会員権が卒業生には優越感と身内意識を抱かせた主な出資者である姫川工業は社員の大半を地元出身者が占めることもあり自社ビルに立派な会議室を有しながら重要な商談にあえてこの歴史的建築物を使うことも多かった
 妙に天井の高いその一室では政権との結びつきの強さで知られる大手広告代理店が姫川工業の役員らに今後の戦略を説明していた陰惨な事件の渦中にあるクライアントと商売の好機に意気軒昂とする広告業者対照的な両者を大仰な舞台装置が繋ぎ止めていたスライドとバラエティ番組まがいのフリップを駆使して熱弁をふるうディレクターもまた青葉一高の出身だった有名私大メディア学部の客員教授でもある目の吊り上がった六十代半ばのその男は整えた口ひげと顎ひげのあいだの歯を剥き出して世間を見下すように笑いながら新旧のメディアを駆使すればいかにたやすく世論を操れるかを解説した老人はテレビ中高年は人脈を可視化するコミュニティ型ソーシャルメディア若者は自社傘下の短文投稿型ソーシャルメディアの画面に表示されたものをあたかも刷り込みのごとく全世界と思い込む若者は従順な反面金も力も持たぬので数を制するのが肝心であると語った
 世代ごと媒体ごとの数値をディレクターは棒や円や折れ線のグラフで示した言及率や肯定的な単語の割合を解説した顧客の表示優位性を決めるアルゴリズムについてそこで得点とされるマウントなる行為について熱く語った他人を見下す快楽はソーシャルメディアにおける最大の商品であり姫川事件はその絶好の手段だった同情を煽るメディア操作が功を奏し本来なら落ち度として責められるはずの陰惨な事件をまんまと企業イメージ向上へ転化させたことを彼は証明した巧みなその弁舌を背景音楽のごとく聞き流しながら細谷は落ち着きのない姫川直継社長を蔑みの目で見やった金持のばか息子と呼ぶにふさわしいこの無能は普段の会議中は居眠りしているそのほうがましだった平時においてすら何の役にも立たないが襲撃事件から二ヶ月報道陣の前でおろおろして頼りなさを印象づけばかりだいっそ息子の安否を案ずるがあまり倒れたことにでもして蟄居させたい
 一方で細谷は隣に立つことで対照的に落ち着き払って見える効果も自覚していたおかげでだれが姫川家を切りまわしているかを大衆に印象づけられる警察やマスコミとの折衝記者会見の段取り照明や音響の細部に至るまで緻密に計算して手配してきたメディアにどう発表するか無能の直継にいかに芝居をさせるかディレクターは自分の手柄と思い込んで得意の絶頂だが実際には傀儡くぐつのひとりにすぎないメディアを支配し政界にも影響力のある企業に属するからといってあたかも自分自身に特別な力があるかのように錯覚しやがては肩書きを転がしてのし上がっていくだけが能の大企業によくいる愚か者だその虎の威にしても細谷にしてみれば問題が生じれば責任を押しつけて切り棄てる手段にすぎない国内最大手だろうがたいした企業ではない代わりはいくらでもあった
 三十代の女性役員が怯えと屈辱の入り混じる面持ちで急須で淹れたお茶を配ってまわった商談から排除されることに抗って強引に出張へついてきた結果かくなる奴隷労働をあてがわれたのだった茶の温度か差し出すタイミングか何かが気に障ったらしく広告代理店側のひとりが小声で叱責したディレクターがまぁまぁいまどきはそんなもんですよと宥めた部外者が立ち入らぬ油断からか産む機械の経年劣化云々とさすがの細谷も苦笑する軽口まで叩いた早口の応酬についていけず焦りを感じていた姫川側の役員がさすが第一人者と囃し立て取引を逃したくない広告代理店側もそしてまた尋常ならざる事態に怯えてすがるものを求めユーモアを解さぬ田舎者と侮られるのを畏れてもいた姫川側もその機を捉えてどっと笑い声をあげ会議室に男同士ならではの連帯感と和やかな空気が満ちた
 愛想笑いを繕いながらも細谷は苛立っていた頭のよさをひけらかして威圧するつもりで機関銃のように喋るだけの軽薄な連中だどうせ過労死した若い社員もそのノリで虐め倒されたのだろう障害者を貶めホームレスを蔑み外国人を排斥し……とここまでは世間も喝采するかもしれぬがいかに構想にすぎぬとはいえ広く共感され支持されるプラスサイズモデルに豚の着ぐるみを纏わせた時点でこの男もそろそろ消費期限かと細谷には思えた広告屋のすげ替えを手配する労力や傀儡としてすら機能せぬ直継への苛立ちもさりながら姫川尊の失踪が負担に感じられた警察の内通者から得た情報によれば特殊急襲部隊は数度にわたって全滅させられている機密を洩らされる畏れは感じていないが万が一のこともある三十六年の人生において思い通りにならぬ経験はなかった神に祝福されている万事うまく運ぶはずだと信じていたよってその苛立ちが世間では不安と呼ばれることを知らなかった
 予定調和の会議は時間通りに終了したやはり同窓生は話が通じるすぐに纏まるとだれかがいい女は身分をわきまえず口を挟むからいつまでも会議が終わらないと別のだれかが苦言を洩らしまったくだと全員が肯き合った刻文町の料亭に一席設けてある市会議員の某も来ると細谷は案内した無礼講といった空気になりオールドボーイズは愉快そうに列をなして会議室を出たいかに贅沢な料理だろうが喰ってしまえば糞になるしいかにいい酒でも度を過ごして飲めば悪酔いする老舗の料亭だろうが何だろうが酔漢の騒ぎはどこも地獄である母校が共学になるなんて信じられない伝統が喪われる嘆かわしい世も末だと赤ら顔の男たちは唾を飛ばして大声でいい合ったマスクなどだれもしていない細谷の携帯が振動した画面を確かめて渋面になったのは一瞬でにこやかな笑顔に戻って詫びを入れてまわった座敷を去り際に内心で舌打ちした直継が置き去りにされた子どものように不安げな顔をしたからだ料亭は表向きは看板を下ろしていて身内のために特別に座敷を使わせているという体裁を繕っていたが剣崎に指定された終夜営業の居酒屋は堂々と時短要請を無視していた
 細谷は狭い通路をジョッキの束を運ぶ若いバイト店員とぶつかりそうになりながら進んだ歌謡曲と客の談笑に紛れて背後で小さな咳が聞こえた剣崎は奥の暗い席に座っていた完全に影に溶け込んでいてすぐには見つけられなかった背の高い色黒の痩せた男でひげを長く生やし眼は陰鬱に落ちくぼんで鋭く暗灰色のセットアップと黒いシャツコンバットブーツを身につけていたセブンスターを指に挟んだ手でショットグラスを口へ運んでいる偏見にまみれた米国映画のテロリストをどうしても連想させる容姿だこれまで話したかぎりでは特定の人種や宗教に差別意識があるようではなかったがヒトラーに憧れるネオナチのようなものだろうと細谷は決めつけていた重ね合わせる側の問題だとの自覚は細谷にはなかったパチンコ屋の駐車場で脅された家庭教師にどこか通ずる雰囲気も感じるがしかしあの黒ずくめの男は次の瞬間に何をするか読めぬような悪意の衝動に生きていた剣崎は違法ではあっても常識的な商習慣に従って行動しておりまだしも理解可能な人種だった
 連絡してくるなといったろうこんなところに呼び出して……と臭いがスーツにつくのを気にしながら苦言を呈する細谷に定期ミーティングは必要だろホウレンソウって奴だよと剣崎は犬のマーキングさながらに平然と煙を吹きかけた破壊工作で企業を強請る犯罪者の言い草にしては滑稽だったが細谷は笑わなかった法の埒外で生きるこんな男と見下しながらもだれにも気を許さぬ人生において後ろ暗い秘密で繋がる間柄ゆえの気安さがあった丘の上にあいた穴のように無価値すぎてだれにも信用されまいと蔑むからこそ遠慮なく心のうちを明かすことができた大事な会合を抜け出してきたんだ用があるならさっさと話せと押し殺した声で細谷はいいつれないねェおれとあんたは一蓮托生なんだぜと職業的テロリストは応じた芝居がかった台詞は冗談とも本気ともつかず余裕綽々たる態度がいつもながら細谷の癇に障った
 身柄の確保にいまだ手こずる警察に細谷は失望し苛立っていた内通者も金に見合うだけの情報を寄越さない密会を求める割に剣崎の報告にも何ら進展はなかった責めなじる細谷を剣崎は焦るな落ち着けよとたしなめたミコトが見つからなかった場合の代替策は用意してあると主張した呪いの絵だよソーシャルメディアで噂になっている見憶えはないかといって携帯の画面を雇用者の鼻先へ突きつけた薄気味悪い絵だなこれがどうしたと細谷はいった鈍い奴だなよく見ろと剣崎は節くれだった長い人差し指と中指で画像を拡大したうねる絵具に文字のようなものが刻まれていたまだわからんのかあんた技術には疎いもんなと剣崎は嘆息しそれでようやく細谷は知った識閾下へ擦り込んだ暗号コードの断片がミコトの絵筆によってウェブへ拡散しつつある事実を


(1975年6月18日 -)著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『悪魔とドライヴ』が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。最新作は『ぼっちの帝国』。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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