イシュマエル・ノヴォーク

第4話: アーカンソン州リトルロック

書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2021.08.13

一六時に仕事を終えたマーガレットはその足でアーカンソン・ステート図書館に滑り込んだ予算削減の煽りで小型化したパルテノン神殿のようなエントランスを早足で歩きCDの棚に辿り着くなりPの列を探しはじめたポール・マッカートニーピーター・ポール&マリーピーター・ゲイブリエルフィリップ・グラスポール・デスモンドピート・シンフィールド……
 目当てのパーセプションは見つからず焦った彼女がペットショップ・ボーイズのCDを落とすと怪訝な顔をした白髪頭の司書が近付き何かお探し?と尋ねたマーガレットは声を掛けられたことで我に返り平静を装うとしたがどうにもぎこちない様子だった
「〈パーセプションのCDを探しているの
 司書はこめかみのあたりを指で撫でそれならたしか……地下の書架に入っていたわね
借りられる?
書類にサインしてくれればねカードは持っている? 貸出にはカードが必要なのないなら作るけどアーカンソン州に住んでいるか勤めていないと駄目なの
カードは持っていないでも住んでいるし勤めてもいるわ
それなら書類を書いてもうちょっとで閉まっちゃうから次に来る時はもう少し早めに来てね返却は表にあるポストにいれてくれればいいんだけど
次から気を付けるわ
 
 家に帰るなりマーガレットはデスクトップ・パソコンにCDを入れCDケースから古ぼけて皺が寄ったライナーノーツを引っ張り出した

パーセプション 一九六七年カリフォルニア州ロサンゼルスで結成メンバーはダグラス・ハイドパークヴォーカル)、 ジノ・フィルオルガン)、 ジョン・フーパーギター)、 ロビン・ミラードラムの四人だこのバンドにベース奏者はおらずベースパートは鍵盤奏者であるジノ・フィルによって奏されている彼らは一風変わった演奏をする彼らは小さなバーで演奏されるようなブルースから前衛的なビー・バップフリー・ジャズにも傾倒するジョン・フーパーのジプシー音楽風のギター奏法ジノ・フィルによるヨハン・セバスティアン・バッハを基調とした構成的な演奏ロビン・ミラーはジョン・コルトレーンのバンドで縦横無尽のドラム・ワークでポリリズムを難なく刻んだラシッド・アリのようで機械化された現代に対するアンチテーゼと言えようメンバーはそれぞれが個性的だが最も特筆に値すべきはヴォーカルのダグラス・ハイドパークだ歌手としてのハイドパークは声量に乏しいものの詩人としてはアレン・ギンズバーグやジョン・アシュベリーに肩を並べるここで少々私事を書かせていただこう私がハイドパークと初めて会ったのは六六年のことだまだパーセプションは結成していなかったが既にジノ・フィルとの演奏活動は行っていた古書店での小ぢんまりとした演奏会ダグは歌うというよりもポエトリーリーディングだった彼はマイクを使わずに囁き時にウォルト・ホイットマンのように自由と民主主義を飾り気のない言葉でつぶやいたその日最後に演奏した曲は本アルバムの最後を飾るだった扉は入口であり出口でもあるあなたが何かになるためあるいは何かを得るためには精神と肉体を解き放ち心を開かなくてはならないその鍵こそがパーセプションなのだ アップビート誌 ウェズリー・シモンズ

 光学ドライブの中ではデータ化され呪術のように書き込まれた計算式が高速回転するジノ・フィルの左手で奏されるベースラインは一度と五度の単純な繰り返しであるものの右手で押さえられた旋律は外声と内声を正確に弾き分けておりそれはエフェクターによって歪められるギターはピックの代用品である鉄の貨幣で爪弾かれ硬質なリュートのように響くドラムは脈絡がないように感じられるほど荒々しいが拍子はゴム鞠のように弾力があり力学的ですらある轟音の後にハイドパークが夢遊病患者のように扉を開けてくれとつぶやいた
モニターにゼロが表示されるとマーガレットはテーブルに置かれたままの名刺を見ながら携帯電話のボタンを押した

― もしもし?
 コッパードの声を聞いても言葉は咽喉から上がってこなかった父親かも知れないもうこの世にいない男の音楽を聴くことは彼女を混乱させるばかりだった
― ひょっとしてマーガレット?
 自身の名前を聞いて少し落ち着いたマーガレットはえぇと言った
― 真実を知りたいと思った?
 電話がくることは最初から決まっていたとでも言いたげな自信たっぷりの声マーガレットは不快に感じたが電話を切ることをしないのは好奇心からだった
― 明日契約書を送るよ
母さんと何を話したの?
この前に言った通りだよ。 〈ASCの名簿ただの電話帳だけどそれを頼りに電話を受けただけ
― ゴー・ゴー・ウィスキーのライブの後にハイドパークと寝たって話
ハイドパークなんていうロック歌手の話は一度もしなかったし家にそんなCD一枚もなかった
― 隠したかったことなのかもね
一度だけ寝てそれであたしが生まれたっていうのに?
― さぁわからないよ君は何か聞いたことがないのかい?
結婚する前に別れた人がいたって話は聞いたかも
― それただの事実でしょ
そうね……事実あたしを責める気?
― 別に責めているわけじゃないよでも気を悪くしたのなら謝るけどとりあえず明日書類を送るからサインして送って詳しい話はそれからでもいいでしょ?
 マーガレットがうなずくと電話が切られた彼女は孤独感に苛まれていたがそれと同時に今は亡き母親と存在しないと思い込んでいた父親降ってわいた謎に魅了されていた
 マーガレットは下着姿のままソファに足を投げ出し硬度の高いミネラルウォーターを飲みながらテレビを観ている画面の中に映るのは子供向け人形劇だが途中から観始めたので題名はわからない画面の中では呆けた顔の僧侶が黒い節足動物たちに囲まれている節足動物たちは調子の外れた声で
さぁさぁ楽しもうよと歌った歌声は奇妙にずれているのでブルガリアの女性歌謡あるいはピグミーの合唱のように響いた節足動物の節から伸びる釣り糸が振られて踊り出すしかし相変わらず僧侶は呆けたままで書割の空を仰ぎ見るだけ何度も繰り返されるさぁさぁ楽しもうよという歌詞は耳障りだったがこの時の彼女には心地よく聞こえた不意にサブリミナルという言葉を思い出した彼女は慌てて画面を消し残りのミネラルウォーターを一気に流し込んだ

 翌日ウォルマートでレジを打ついつもの仕事は退屈極まるもので独裁者によって逮捕されたレジスタンスが命じられる過酷な強制労働のように感じられたなぜ客たちは不愛想なのか? なぜ客たちは支払いを現金かクレジットカードか先に言わないのか? なぜ彼らは一列に並んでいることができないのか? これらの問題を解決することができる者がいるのならば彼女は喜んでその人間あるいは異星人にすら投票するだろう
 いつもと同じ一六時に仕事を終えたマーガレットは四〇分ほど歩いてアパートに帰ったバスに乗ればアパートまで一〇分程度の距離だが彼女は交通費を節約しているそのことについて上司であるショーン・ブラックウェルは気付いているが彼自身も同じようなやり方で節約しているので見て見ぬふりを決め込んでいる家に帰るなりマーガレットはマーガリンが注入されたロールパンを電子レンジで温め色彩を長持ちさせるための薬品に浸されたカット野菜を皿に盛って塩とドレッシングをかけたドレッシングの油膜に疲れた顔が鏡のように映し出されたマーガレットは油膜をフォークで潰した分裂した油膜が蜘蛛の目玉のように見えた彼女はメキシコで千切りにされたキャベツで蜘蛛の目玉を攪拌し口に放った
 ソファに深々と腰掛けたマーガレットはパソコンから流れる音質の悪い音に耳を傾けている彼女が聴いているのはパーセプションのファースト・アルバム、 『パーセプションの最後を飾る無数の扉という曲だ当時のポピュラー音楽業界では一般的ではない一〇分を超える無数の扉日曜大工の延長線にある自作楽器とコンボ・オルガンが奏でる雅楽で使用される笙のような和音を響かせているオリジナル盤のノイズはCDにもしっかりと焼き付けられておりそれは必然性と結びつき効果として作用していたダグラス・ハイドパークが詩を読み上げ音楽は扉を開けたまま去って行ったマーガレットはソファの上で大股を開いたまま天井を見ている天井には大理石を模したような壁紙の皺があるだけ彼女は何かを言い掛けるが言葉を掴むことはできない手を伸ばすと二の腕にうっすらとつきはじめた脂肪が揺れたマーガレットは目を瞑り現実から目を背けた

 火曜日は月曜日と同じように始まった彼女の毎日は同じように始まり同じように終わる時々マーガレットは自分の人生がビデオテープのようにただ巻き戻されているだけなのではないかと感じることがある与えられた僅かな場所でバーコードを読み取り商品をカゴに入れる半透明のビニール袋を渡すことを忘れずキャッシャーから吐き出された小銭をカルトンの上に置くだけ列に並ぶ客たちの顔はビニール袋と同じように半透明の疲れと苛立ちに覆われている彼らは人種宗教信条性的嗜好すら削ぎ落されているように見える列に並ぶ彼らが不平不満を口に出す度彼女は機械的に謝罪し心の中でこうはなりたくないものだと考えるそしてこう考えることができる自分は彼らより少しだけマトモであると思って優越感に浸るしばらくすると彼女は自身の薄暗い感情の虚しさに苛まれるこうした感情の波は螺旋状の遺伝子に刻まれているのかそれとも自ら選択した結果なのかマーガレットは母親から受け継がれたミトコンドリアだけが自分を形成していると考えていた写真は一枚もなく話題に上ることもなかった父親という存在は曖昧で実感が湧かなかった
マーガレットが帰宅するとドアに封筒が挟み込まれていたドアの鍵を開け歩きながら封を切って居間に行き椅子に寄りかかりながら書類を読んだ法律用語と回りくどい言い回しが散見された彼女は空白になっている最後の行にサインすると書類を四つ折りにして同封されていた返信用の封筒にいれた
週末はあっという間にやってきた彼女の生活は変化に乏しいので時間が加速しているのかも知れないマーガレットが夕食のサンドウィッチを齧っていると電話が鳴った電話の相手は多くない彼女に電話をするのはクレジットカードの新規所有を脅迫めいた口調で勧誘するビジネスマンか無党派層への抱え込みを画策する共和党あるいは民主党の後援会ぐらいだマーガレットに親しい友人はいない彼女自身そのことについて深く考えたことはなく友人を必要だと感じたこともなかった彼女は世捨て人でなければ他人よりも秀でていると勘違いした挙句に他人と交流しないことを是とする鼻持ちならない連中でもない影の薄いその他大勢の一人なのだ受話器の奥から問題が運ばれてくる

― やぁ書類は届いた?
 人懐っこい調子のコッパードの声夕べアルコールを過剰に摂取したのかしゃがれている
えぇサインしたわ
― 良かった大きな前進だよ
話を聞かせて
― 何の?
とぼけないで母さんとの話から
― ASCについて?
どうして母さんはそんなものに入っていたの?
― 知らないよ自殺しそうだったのかも
顏も知らない相手に自分のことをペラペラ喋るなんておかしい
― そうだねぼくもそう思うよでも知らない誰かに話を聞いて欲しいって思うことってあるでしょ? 意見は求めないし首を縦に振って欲しいだけっていう時でも一人の壁打ちテニスだと満足できそうにない今はインターネットがあるから、 〈ASCはインターネットのコンセプトを先取りしたとも言えるねインターネットと違うのは声っていう生のものがあることだ自我はフロイトよりも前からあるけれど顏を知らない相手から認められたいっていう気持ちが今ほど膨らんでいる時代はないだろうこの先もっと膨らんでいくだろうね
どういう意味?
― マーガレットパソコンは持っている?
あるわ
― インターネットに繋いでいる?
繋いでない
― どうして?
タダじゃないもの
 コッパードが小さく笑いそうだねと言った侮辱されたと感じたマーガレットが沈黙するとつられるようにコッパードも黙った台所に置かれた冷蔵庫がゴトンと鳴り彼女は冷蔵庫を睨みつけた
― もしもし?
えぇ聞こえている
― 寝ちゃったのかと思った
寝てない
― それならいいんだ話を戻そう君にやって欲しいことがあるんだ
何?
― そう構えないでよ電話の声からでも君が胡散臭そうな顔をしているってことがわかるぐらいだして欲しいことっていうのはDNAを採取して欲しいんだ君がハイドパークの娘だってことを証明しないといけないからね
私のじゃ駄目なの?
― 君だけだと比べられないでしょ? 墓を掘り返すのは至難の業だ重たい石棺をひっくり返さないといけないしハイドパークは結婚しなかったから彼の家族を頼るしかないとはいえ力を借りることは難しいなぜってハイドパークの遺産で食っているのにその食い扶持を差し出すなんて馬鹿な真似をする奴はいないからね裁判所が命令すれば彼らも従わざるを得ないけれど裁判所に命令させるには君がハイドパークの娘だってことを証明しなくちゃいけない
鶏が先か卵が先か
― そうその通り簡単に考えよう今は二一世紀だしねぼくCSIが好きなんだ
新手のインチキ団体?
― 違うよテレビドラマ科学捜査をするんだ本物のCSIは技官だから犯罪捜査をすることはないけどテレビだしそこはとやかく言っちゃいけない
テレビドラマの話がしたいの?
― ちょっと違う君にハイドパークの家族に会って欲しいんだ会ってDNAを採取する簡単なことさ鼻に綿棒を突っ込めばいいんだから
そんなことできるわけない
― 唾液を採取してくれてもいいやり方は任せるからさ
不可能よ私なんかに会ってくれるわけがない
― ハイドパークのファンだって言えば大丈夫だよそういう人は沢山いるだろうしDNAの採取キットとロサンゼルスまでの航空チケットを送るよもちろんタダで
あなたがやればいい
― それができれば苦労しないんだけどねちょっといざこざがあってさ顔を合わせるのは難しいんだ
嫌われたのね
― そういうことハイドパークの家族は彼の父親だけだまだ生きているから幸運だ
前に会った時言っていたわよね? 彼は大勢を食わせているって
― うん言ったでも遠縁だしあとはバンドメンバーとハイドパークの恋人の家族確実なものにしたいつまるところ獲物は一人だけ簡単なことでしょ?
月に行くほうがまだ現実的って感じられるぐらいにはね
― アーカンソンからロサンゼルスまで行くだけだよ観光がてらタクシーかバスでビバリーヒルズ地区まで行く観光みたいなものさ
観光客はスパイみたいな真似はしないわ
― 大丈夫君ならできるよ
どうしてそんなことが言えるの? 私がどうなろうと構わないから?
― どうにもなりはしないよ考えすぎさロサンゼルス観光をしたらその足でDNAを採取すればいい別に傷付ける必要はない暴力はお呼びじゃないこれは法を運用するための必要な措置さ
詭弁ね
― そう思う? マーガレットこれはチャンスだよく考えてリトルロックのアパートでミノムシみたいに生きているだけで満足? 君はお世辞にも成功しているとは言えないしお金を自由に満足に使っているわけでもないでしょ? これは正当なことで正道に至るためのステップなんだ

 催眠術師のように精神科医のように柔らかな声微かにしゃがれた声はベルベット織のように優しく彼女の鼓膜を愛撫した受話器を置いたマーガレットは衝動的発作的痙攣的にパーセプションの歌詞の一節を口ずさんだ


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。

連載目次


  1. 一九七一年 パリ、ホテル・アンリ四世
  2. 二〇〇三年 アーカンソン州リトルロック
  3. リトルロック空港
  4. アーカンソン州リトルロック
  5. カリフォルニア州ロサンゼルス
  6. カリフォルニア州サンタモニカ
  7. カリフォルニア州ビバリーヒルズ
  8. アリゾナ州エルコ
  9. 一九七〇年カリフォルニア州ロサンゼルス / ミスター・ジョンソン。死んだよ
  10. 私たちは何者か?
  11. テキサス州ダラス
  12. アーカンソン州リトルロック
  13. カリフォルニア州ロサンゼルス
  14. カリフォルニア州ブエナパーク
  15. アーカンソン州リトルロック
  16. サタデー・ナイト・サタナイトショー
  17. 黒いブラックサバス
  18. カリフォルニア州スキッドロウ
  19. ブリテン・ボード・システム
  20. カリフォルニア州インペリアル郡 ~ジャック・トレモンド
  21. カリフォルニア州インペリアル郡 ~スティーヴ・ブルームデイ
  22. 裸の街
  23. 明敏で過敏なパーセプション (一九六六年 アップビート誌 九月号より)
  24. カリフォルニア州サンディエゴ ~ドーピーズ
  25. ピンクパープルの力学
  26. カリフォルニア州サクラメント
  27. 一九七〇年 コロラド州プエブロ
  28. ハート・オブ・グラス
  29. 屈折した知覚
  30. ミズーリ州セントルイス
  31. 離見の見
  32. 審理前会議
  33. オーディション
  34. 予備審問
  35. ハイエナたち
  36. デイライト
  37. アリゾナ州フェニックス
  38. 立証を終えて
  39. ブリテン・ボード・システムⅡ
  40. テキサス州エルパソ
  41. チップの用意はいいかい? ~TAKEⅠ
  42. チップの用意はいいかい? ~TAKEⅡ
  43. チップの用意はいいかい? ~TAKEⅢ
  44. テキサス州エルパソ ~天使のホンキートンク
  45. はかりごと
  46. 煙が目にしみる
  47. フロリダ州マイアミ
  48. モルフォゲンの輝き
  49. 暗号美学
  50. フロリダ州タイタスビル
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