それにしても評価されることへのおれの適正のなさは異常だな。 旧筆名時代にお世話になった方のブログをひさしぶりに見に行ったら気のせいか煽られてる感じがしたのだけれど、 その方が信奉しているような世間的な価値観はおれには向いてない。 既存の何かに当てはまるような資質がないし、 出版社が求めるライター的な資質も持ち合わせず、 どの新人賞でもカテゴリーエラーになるので、 プロになるのは二十年前に諦めた。 ソーシャルメディアでうまくやる世渡りの才覚も、 だれもがすでに見知った消費財を量産する適性も、 どちらも持たないから現代の価値基準にはどうがんばっても、 かすりもしない。 だれからも一度も愛されたことのない人間は、 未来永劫、 だれからも一度も愛されることはない。 でもまぁそれでいいや。 しょうがない。 家主が画商でなかったバージョンのヘンリー・ダーガーみたいな人生がおれなのだ。 ただの奇人変人、 きもい妄想を抱えた老人として生きて死ぬ。 死後に変な注目を浴びることもない。 『ぼっちの帝国』 を書いてこの扱いだからなぁ。 『GONZO』 だってまだちょうど半分とはいうものの、 これだけのものを書いているのに。 あるいはおれはそろそろ人格異常者であることに開き直るべき時期なのかもしれない。 他人に害をなす罪悪にほかならないのは、 誹られるまでもなく自覚しているから、 生きているのをずっと恥じてきたけれど、 しかしどうも世間を見渡してみると、 おれと同程度かそれ以上にいやなやつであっても、 そのことを恥じるでも隠すでもなく、 あからさまに他人を見下し害をなす、 尊大な輩のほうが立派な人物として扱われ、 堂々とまかり通るようだ。 ソーシャルメディアでうまく世渡りしている連中はみんなそうだ。 たしかにおれは病的な糞野郎だけれど、 うまくやっているやつはおれより病的な糞野郎ばかりだ。 しかもそのことを一ミリも自覚しておらず、 公の場ではだれからもいやなやつとしては扱われないどころか、 あべこべに愛され崇拝されている。 恥じたほうが悪とされ世間から誹られる。 世にまかり通るかどうかはどれだけ面の皮が厚くいられるかの差でしかない。 ときにはおれに傷つけられたことで騒ぐやつもいるけれど、 どうせそいつらだって詳細に検証してみれば、 おれと大差ない輩ばかりだし、 大概はそいつのほうが先に、 もっとひどいことをおれに対してやっている。 文句をいってくる輩は大概、 取り巻きを引き連れて向こうからつきまとってきて、 さも自分が人格者であるかのごとく、 さもこちらが公衆の敵であるかのごとくに恫喝する。 足を踏まれてもつくり笑いでやり過ごしていれば許容されるが、 ひと言でも抗議したら、 なんの価値もない無名人のくせに無礼だ生意気だ、 と寄ってたかって叩かれる。 だったらおれだけがおれであることを恥じる必要はない。 いやなら関わらなければいいだけの話だ。 こちらから執拗につきまとったりしたら別だけれど、 他人に積極的に関わろうなどとは思わない。 めんどくさい。 おれは人間がきらいなのだ。 すれちがいざまに袖が触れ合うくらいのかかわりであれば、 表へ出て行くかぎり避けられまいが、 それで他人が顔をしかめたり罵倒してきたりしたところで、 構うものか。 おれはおれが読みたい本を出版する。 そのためなら手段を選ばない。 どんなに厚顔無恥で迷惑な強欲野郎にだってなる。 おれ自身はおれのジョン・マーティンを見つけることは、 あるいはおれがおれのジョン・マーティンに見出されることは叶わなかったけれど、 しかしもしも何でも願いが叶うなら、 おれはイシュマエル氏のジョン・マーティンになりたい。 人格 OverDrive は彼のような作家のブラック・スパロウ・プレスになりたい。 「コイディシュ・ブッフ」 「ペリフェラル・ボディーズ」 「コロナの時代の愛」 を自分で読み返すために epub にした。 作業に丸一日かかってしまった。 作業フローにまだまだ改善が必要だ。 ほんとうは連載から epub 化までシームレスにやりたい。 破滅派さんみたいに自動で epub にできればいいんだけどな。 WordPress の epub プラグインは結構あるけれど、 以前ためしたかぎりでは epub3 の縦書きを正しく作成できるものは皆無だった。 日本人のつくったものが一見よさそうなのだがエラーが多すぎて使いものにならない。 LeME の WordPress プラグインがあればいいのに。 あるいは LeME にドラッグ&ドロップするだけで epub にできるようなテキストファイル生成でもかまわない。 それなら可能のような気がするけれどテキストファイル生成のような単純なことでさえやり方がわからない。 CSV にするプラグインはあるから、 それを使ってどうにかすればいいのか? とりあえずその実験は次回、 自著でやることにしよう。 大切な本でしくじりたくない。 自著はだれも (自分でさえ) 読まないからどうでもいい。 とにかくこれで毎晩、 ウィスキーをちびちびやりながら読み返して楽しめるようになった。 自分のとこに書いてもらったとか、 いつだれが書いたとか、 そんなことを一切抜きにしてわが人生における重要な読書体験のうちの一冊であることはまちがいない。 死後、 神の前に立たされたとき、 最低の人生だったがでもおれはこんなにいい本を読んできたぜ、 と申し開きをするつもりでいる本がいくつかある。 そのうちのひとつだ。 いやそれにしてもすごいよな。 ほぼ一年間の連載。 最初から好きな作家ではあったのだけれど、 だから連載をむりにお願いしたのだけれど、 しょうじきピンチョンとかチャンドラーとかアーヴィングとか獅子文六とかピーター・ケアリーとかオースターとか、 そういう強度で思い出深い読書になろうとは、 おれという人間をかたちづくる、 いまこの時点の道標のようなものになろうとは、 思ってもみなかった。
2021.
06.07Mon
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
『D.I.Y.出版日誌』の次にはこれを読め!
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