D.I.Y.出版日誌

連載第321回: 困惑

アバター画像書いた人: 杜 昌彦
2021.
05.25Tue

困惑

原稿を引き上げる旨を明確にしてもらえたのはよかったどっちつかずで困っていたのであるひとは一方的な決めつけで罵倒してよくてそれが正しいこととされて別のあるひとは何度も相手の意思確認をしてことを進めてもどのみち無礼だってことにされるのはなぜなんだろう批判ならロジックが必要だし単に好みではないとか自分に合わないとかいいたいのならそう書けばいいだけのことだただの好みでしかないことを批判であるかのように装ってでも裏づける理屈は提示せず最初から存在しないので)、 書かなくともわかるのが当然だろうといいはなち一方でなんの論理も根拠もなく人格否定をしておきながらその人格否定を常識にとらわれない自由な思考とみなし無条件で受け入れない相手を悪しき常識にとらわれた無礼な輩呼ばわりするそういうのは子どもならむりのないことだけれど大人が本気でそのような態度をとるのは書き手としてどうなんだろうと困惑する少なくとも社会人としてはそれで通りそして頭上にクエスチョンマークが浮かんだ側が無礼な悪人とされるようだ筋の通らぬ侮辱や人格否定を賞賛しなければ罵倒されてこちらが悪いことにされる。 『ぼっちの帝国を出版したときにもそれまでお世話になったひとに絡まれてそんな目にあったけれどそんなふうに悪意をぶつけられるばかりで味方はだれひとりなくやってきたことは一度として評価されたためしはないたとえば虫のいい期待を寄せられがちで魔法みたいにその期待を叶えないからといっていくらでも理不尽な人格否定を浴びせていいと思われている職業があったりするそういう差別が世間では常識に抗うかっこいい反逆者の表現だとされたりするそういう自己愛的を受け入れなかったからといって差別し人格否定していい対象として認定され理屈抜きで罵倒していいことにされたりするそれをおかしいと考えるのは世間にしてみればわかりにくいだから受け入れられない一緒になって差別に加担するのがわかりやすくよしとされる子どもはわかりやすい考えを世間に吹き込まれて自分がその同じ差別を受ける側にならなければいや受ける側になってさえも疑うことはないいろんな視点を教えるのは大人の義務なのだけれどだれも何も疑わないのが企業や国家にとっては都合がよく抗えば教えた大人も教わった子どもも生きづらくなるからその義務は放棄されがちだ世間に同調して二次加害をつづけたほうがうまく世の中を渡っていけるうっかり他人と関わると理不尽な悪意をぶつけられるだけだどれだけ配慮して取り決めを交わしてもそれが配慮なり取り決めであることを相手が認識していなければ無意味だしひとはなんでも自分の都合のいいように解釈する味方のいないほうが悪いことになるそれまでやりとりされていた文字化けについて書いたことを作品についての批判と誤解するような読み方や文意が読みとれなくとも質問しないで一方的に決めつけること質問したら無礼とされることも普通なのだとわかった書きたいひとは頬っておいてもあるいは禁じられても書くし書かなければそれは本人が表面上どう主張したとしても実際には書きたくないだけでこちらが頼まないのに向こうから執筆を再開します締切を決めてくださいといってきたところでそれは嘘でほんとうは書きたくないのにむりに書かされたかのように恨んでいてそして何かささいなことを口実にして相手が悪いことにして結局は書かないそういうものなのだとわかった自分が書く側の人間でありいやならいやだから書かないと伝える性格なので世間のひとたちの顔の使い分けを読み切れずつい信じてだまされてしまう悪口を広められてるんだろうなぁとは思うけれどどのみちおれには好意的に見てくれるひとなんて最初からいなかったわけだからまぁいいやあたかもこっちが悪いかのようにいわれたことの多くが最初から何度も向こうの意思を確認してやってきたことなのにそんな事実などなかったかにされるそういうところも含めて世渡りの技量があるほうが正しいことになるずるく立ちまわるだけの才覚を持たぬ以上はだれの目にも触れぬよう息を潜めてやっていくしかない文字化けと作品を取り違えるほど文意がくみ取れなくてもそれで感情的になって一方的に人格否定してくるようなひとでもそそっかしいなと思うだけでこちらは別に悪感情を抱くことはないけれどでもそういうひとのほうが世間的にはちゃんとしたひととして評価される。 「わかりやすさが大事ってことなんだろうよくわからない特定の職業のひとを理屈抜きで人格否定するような原稿をそのまま載せればよかったの? そんなのが常識を疑うことになるの? いちいち意図をいいわけしなければならないような作品が優れているというの? わからないよほんとうにわからないしかしまぁどれだけ憎まれ蔑まれても他人からどう思われるかではなくて自分がどうなりたいかで考えたい自分はあのようにはならない悪いひとではなかったいいひとなんだと思うけどそそっかしいのとあとほんとうの意味では作家じゃなかったんだろうたしかに原稿を頼みたいほどいいものをお書きになっていたしお借りした作品も素晴らしかったしとても評価されていてこれからもっと評価されるのだろうけれどでも人間の種類としては作家じゃなかったこれまでの人生を振り返ってみるとこちらから積極的に関わっていい結果になった経験ってひとつもないんだよなやはりサイコパスの家庭に生まれ育ったからだろう糞だめに生まれたら一生臭う遺伝的にも環境的にもおれは異常者なのだ迷惑をかけたくなければ人目に触れぬよう息を潜めることだ両親のようにはなりたくないもうすでに遅いけれど


(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。

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