ジムでひさしぶりに体脂肪計に乗ったら軽度の肥満と表示された。 腰を痛めてから下半身を鍛えるのをやめてコロナの流行以降はマスクで苦しいので走るのをやめた。 おかげで上半身の筋肉量は増えていたが下半身の筋肉が落ち、 結果としてもっともましだった頃に 13% だった体脂肪が 19% に増えていた。 体重も三キロ増えている。 たしかに上半身ばかりやっていたがだからって肥満はないだろう。 努力してもデブ。 すればするほどデブ。 努力しても読まれないし、 まちがってたまに読まれれば客層のミスマッチで低評価。 何をどれだけ努力してもうまくいかない。 やり方が悪いということか。 筋トレについては足腰を鍛えればいいとわかったが出版のほうは八方塞がりだ。 日記でさえふたりには読まれるのに本の感想文は文字通りだれにも読まれない。 一方で、 検索流入は (特定の) 本の感想文だけでそこから別の記事は読まれない。 同様に柳楽先生やイシュマエル氏のファンはそれぞれの作品を読んで満足し、 ほかの記事を読みに行くことはない。 相互の行き来がまったくない。 UI はつねに試行錯誤しているけれども導線は何ひとつ改善されない。 まじで今月の出版収入は 228 円になりそうだ。 いつもの月より桁がひとつ少ないし本来ならふたつ多くたっていいと思っている。 まず他人に認知されなければ。 知られていなさすぎる。 Amazon の関連付けから読まれるとろくなことにならない。 ゴミを好む読者に読まれてゴミと関連づけられ、 ペドアニメやペドゲームみたいじゃないから低評価をつけられゴミ評価が強化される。 外部の評価と導線がなければ悪循環にしかならない。 月千円ほどツールに金をつっこんで twitter アカウントを運用するのは三ヶ月以内にはじめたい。 たぶんそれで効果を得られるとしたら広告に金をつっこんだときだけだろう。 twitter と Google と Facebook と Amazon のすべてで広告を一度に打たなければならない。 しかしそれはそれとして twitter に何を投稿するかだ。 いかにも無害で 「わかりやすい」 ものでなければ。 twitter の主な利用者層は 10 代からせいぜい 30 代までの、 あまり本を読んだことのない若者だろうから、 その層に向けて販促をやるとしたらやはり 『悪魔とドライヴ』 だろう。 あれは若者向けに 「わかりやすく」 書いた。 『ぼっちの帝国』 はたぶん大人向きなのだと思う。 本をあまり読んだことのない若者にはむずかしすぎる。 Facebook での販促にもっと力を入れるべきかもしれない。 それだけなら金さえあればいますぐやれる。 一万くらい突っ込むか。 世間的には大型連休だし。 FB 広告に一万つっこむのは、 まぁ、 遊びとしてやってもいいかもしれないな。 効果はないだろう。 Google 広告はあまり気が進まない。 使い方が難しすぎる。 ブクログに広告を出したせいで合わない客に読まれて低評価をつけられたりした。 Amazon 広告にいたっては金がかかるばかりで効果が何ひとつ感じられない。 ストア自体との相性が悪すぎる。 ストアの表示から商品を選ぶような客の前にもし仮に露出できたところで選ばれる可能性はない。 彼らの好みとは違いすぎるからだ。 やはり twitter アカウントのプロフェッショナルな運用を急がなければ。 技能として身につけたい。 html や css や PHP とおなじように。 adobe ツールとおなじように。 つまり人間性を自分から完全に消し去る技能を身につけたい。 ただそれを実現すると何も書くことがなくなるんだよ。 それが問題なんだ。 心のない機械を模倣すること自体はやればできる。 言葉を憶えてから人生の大半を小説を書いて生きてきた。 AI による自動生成の小説がまだ存在しない時代に AI による自動生成の小説を模倣したソローキンほどにはうまくやれないが、 すでにある時代のおれにやれないはずがない。 ただ、 だれとも区別のつかない規格化された人間になることだけはできないんだよな。 きちがいに虐待されて人格形成したきちがいだから定型発達者のようにはなれないし、 まして企業が望むプロトコルに最適化されるなんて高度な芸当はできない。 現代の人間として最低限求められるその能力がない。 それができなければ twitter ではうまくやれない。 心のない、 ほかのだれとも同じ、 あたかも人間みたいに見える仕掛け、 みたいに装いながら、 かつ、 文章を投稿しなければならない。 そしてそれはあの場のプロトコルに合致した非人間的なものでなければならない。 小説は人間を書くものだから twitter のプロトコルとは本質的に相容れないんだよ。 でも、 身につけなければ。 健常者が当たり前にやっているそれができないせいで今月の出版収入、 二百円なんだからな。 FB 広告に一日千円で五日間つっこむことにした。 五千円なら伊達や酔狂で済む。 ただいつもそうなんだけど広告の効果ってすぐにはあらわれないんだよな。 数ヶ月後、 半年後、 一年後に KENP で読まれるようになる。 広告をやめるとおなじタイムラグでいずれ読まれなくなる。 いまがそのときで、 だから二百円だ。 広告に投じた金を回収できるかといえば、 できるようなできないようなという感じ。 やらないよりはいいがやってもひしゃくの水で火事を消そうとするようなものというか、 ざるで水を汲もうとするようなものというか、 沈む舟からひしゃくで水をくみ出そうとするようなものというか。 一日経過した時点で管理画面を確かめると九百円弱で中高年 (主に老人) に対してのみ表示され、 たった 20 クリック。 明らかに Kindle を利用する客層ではなくまったくコンバージョンせず。 うーん⋯⋯ Kindle を利用する客層は 20 代から 40 代のペドアニメやゲームを好む男性で、 twitter にはそういうのがいっぱいいるが、 そもそもミスマッチな客層で、 そのひとたちに読まれるとろくなことにならない。 一方で Facebook には老人しかいない。 本は読むかもしれないが Kindle は利用せず、 ペドアニメを好む twitter ユーザとはまた別の意味で (つまり年齢的な意味で)、 現代的な人権感覚をたぶん理解しない。 プリントオンデマンドは気軽に買ってもらえるような価格ではないので Kindle 版を売るしかないのだが、 日本の電子書籍は漫画から普及した背景があり、 小説は最近になってようやく権利者との契約問題が解決しつつあるレベルで、 その状況で読書家に本を売るのはきわめて困難な状況だ。 Facebook 広告と Kindle はやはり相性が悪すぎる。 一方でおれの書くものは twitter のような若年層もしくはペド中年男とは相性が悪すぎる。 ちゃんと小説を読める大人で、 かつ、 電子版に親しんでいる読者はどこにいるのだろう。 Facebook 広告のランディング先を Kindle 版ではなく POD 版にしとくべきなのかもしれない。 高齢者なら金は持っているだろうから。 いやでも高齢の女性は夫に財布を握られていて自由に読書はできないから高額な POD 版には手が出せないか。 どうだろう。 高齢者に読んでほしいかというとそれもちょっと違うんだよな。 隠居した世代ではなくこれからの世の中を変えうる世代に読んでほしい。 かといって若者にはおれが書いているようなことは理解できない。 それは若者の知恵や経験が浅いせいではなく単純に出版業界が読者を育てなかったツケだ。 あとは広告代理店による従順な消費者にさせるための反人権教育。 若者に罪はない。 むしろ彼らは有能さゆえに搾取のプロトコルに最適化されてしまっただけだ。 気の毒でさえあるがこれはどうにもならない。 FB 広告は三日で中止した。 『ぼっちの帝国』 の表示優先度がほかの自著よりもあがっていた。 ということは売れたか読まれたかしたはずなのだけれども管理画面に変化はない。 だとすれば POD が売れたのかもしれないがインプレスの管理画面に反映されるのは来月だ。 もしほんとうに POD が売れたのであればやはり年齢層の高い FB で POD を広告するのが正解ということになる。 ペドアニメとゲームしか知らない若年層の twitter よりは客層も適しているし⋯⋯。 考えてもむだだ。 やめよう。 三千円つっこむ価値はなかった。 プロフェッショナルなアカウント運営とやらもどうでもいい。 売れない、 読まれないも問題だがそれ以前に書くことすらできない。 今月は年休消化で休日がやたら多いのにもかかわらず二話しか書けていない。 『ぼっちの帝国』 のときならとっくに書き終えていた。 これだけ書けないのは体調やメンタルのせいもあるが題材が自分に合わなかったのも大きい。 アクション小説なら簡単に書けそうだと思ったのだが逆にむずかしかった。 健常者なら当然だれでも当たり前にわかっているはずの一般的な社会常識を持ち合わせていないからだ。 あまりにものを知らなさすぎる。 こんな書き方じゃだめだ。 だから難航してるんだな。 知らないことをごまかして書こうとしている。 根本からやりなおしたほうがいいかもしれない。 一般常識的をもうちょっとどうにかしないと。 いくらだれも読まない小説だからってこれはない。 警察小説でも推理小説でもないし、 リアリズムとは無縁の空想的な話で、 映画によくあるアクション (銃撃戦やら爆発やらカーチェイスやら) さえやれたらあとはどうでもいい、 という方針で書いてはいるのだけれどもそれでもやはり最低限、 雰囲気だけでもそれっぽく見せなければいけない部分はある。 ごまかすにしても限度とかやりようがある。 たとえばカーチェイスを書かなければならないのだが運転ができないので途方に暮れるしかない。 免許保持者の全員にカーチェイスの経験があるはずはないが、 それはさておき、 とりわけ刑事が登場するのに警察のことを何ひとつ知らないのがまずい。 「刑事ドラマで得た (まちがった) 知識」 ですら持っていない。 だからこんなことになるんだ。 若い頃なら図書館に通ってどうにかしたんだけれど⋯⋯いまそれをやって悪いということもないのだけれど⋯⋯いやそれ以前に図書館、 コロナのせいで休館中だった。 向いてないわこれ。 向いてない。 もう二度とアクション小説はやらない。 ほんと何やってもうまくいかないなぁ。 ジムに通っても腰を痛めただけで肥るばかりだし。 小説はこのざまだし。 生きるのに向いていない。
2021.
04.29Thu
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
『D.I.Y.出版日誌』の次にはこれを読め!