イシュマエル・ノヴォーク

ペリフェラル・ボディーズ

第17話: セントラルパーク・ウェスト

イシュマエル・ノヴォーク書いた人: イシュマエル・ノヴォーク, 投稿日時: 2021.04.04

 ラスターとコービー・グルーサックはカフェで向かい合って腰掛けているグルーサックはテーブルの上に置かれているチェス盤のポーンを指差し
ボビー・フィッシャーを知っているか?と尋ねたラスターは下顎に人差し指をあて
映画を観たよ
いい映画だがそうじゃない彼の手筋のことだ
チェスは詳しくないんだ
 グルーサックは後頭部を撫で実の所おれもだ勝った試しがない今日だってルールを教えたばかりのお前に負けた才能がないっていうのはこういうことだ
そんなこと
とはいえチェスが好きだ誰にも勝てなくてもな思うに勝ちはドラッグに似ている勝ち続けないとおかしくなる負けが続けば途端に嫌いになるそういうものじゃないわかるか?
 ラスターがうなずくとグルーサックは笑いグルーサックの膝がテーブルの脚にあたってポーンが倒れたグルーサックが言う
事務所住まいには慣れたか? そうそうワシリーからメールがきた相変わらずやかましく生きているみたいだ多分あいつは地球の果てでも逞しく生きていくだろう
ぼくにもメールがきた住まいはおかげ様で慣れたよでもこのままじゃいけないからダウンタウンで探しているんだ中々見つからない
 大きく伸びをしたグルーサックが気にするなお前はお前が好きなことをキチンと作ればいいどの道金は後からしかついて来ないんだからな現にお前のトラックは評判がいいだから下手なことをするな前から言おうと思っていたんだがクローフィッシュと組んでみる気はないか?
 ラスターは頭にバンダナを巻き大きめのズボンを履く典型的なラッパー然のクローフィッシュを思い出すそしてワシリーが言っていた人と組むのが苦手ということもラスターが言う
彼はどういう人なの?
 目を丸くしたグルーサックがお前よりも一つか二つ上で前にワシリーと組んだこともあるあんな恰好をしているがウチの方針通りドラッグをやっていないそもそもそんなことに興味がない奴なんだが
普段は何をしているの?
ウォール街の郵便配達だあの恰好のまま自転車を乗り回しているいくらやめろと言っても、 〈おれの自由だの一点張り耳を貸そうともしないまぁあいつの仕事の服装をとやかく言うのも筋違いだがオフの時はソーホーをブラついていることが多いあんな恰好だがあいつはラッパーと呼ばれるのが嫌いなんだジェームズ・ボールドウィンみたいな詩人になりたいと言っているお前と組めばギル・スコットみたいになるかも知れないそれ以上かもなお前たちは若い可能性に満ちているでもどんなにいい種でも水をやるのを忘れたりやりすぎたりすれば駄目になる
感謝してるよホームレスになりそうだったし
そんなことは言わなくていい胸を張れ向上心を忘れるなこれぐらいでいいだろうと思うな具合良く感じるようになったら堕落していると考えろ精一杯背伸びするそうすればお前は伸びる
 グルーサックは大きな伸びをするとおれみたいになと言ったラスターが笑い
太らないように気を付けているんだ
 コーヒーカップに角砂糖を一つ放り込んだグルーサックが
占いのせいだたしかイタリアのだ
占いを信じる?
甘いほうが好きなだけだがそういうことにしておいたほうが面白い
そうだね
おれは戻るがお前はどうする?
予定があるんだ
何がある?
マデリンと会う約束があるんだ
 口角を吊り上げたグルーサックが恋人か?
違うよ友だち最近知り合ったんだ荷物を台車に乗せて運んでいる時に手伝ってくれたダンサーなんだって
 グルーサックはチェス盤の中に駒をしまうとチェス盤をわきに抱えて
そうかクローフィッシュにはおれから話しておく
ありがとうコービー
気にするな
 グルーサックが去るとラスターは青空を見上げた数年前までは11という数字そっくりの建物が立っていた場所はぼっかりとした空洞になっていた

 グリニッジ・ヴィレッジを通り抜けセントラルパークキャスト・アイアンで造られた弓なりの橋ボウブリッジまで歩いたラスターは欄干に肘をのせて湖を見ていた湖面をボート恋人たちがゆっくりと滑っていく肩が叩かれラスターが振り向くと羽根飾りのついたイヤリングが目に入った
考え事?
そんなところかな
 マデリンはジーンズに黒のタンクトップという飾り気のない恰好だった金属アレルギーがあるのかイヤリングは耳たぶに糸を通して垂れ下げているマデリンが微笑み考えるのは好き?
別にそういうわけじゃないよちょっと疲れたなって思っただけ
地下鉄に乗ると疲れる?
グリニッジ・ヴィレッジを通って来たんだ
お疲れ様
ありがとうそのイヤリングは?
お祖母ちゃんからもらったの
お祖母ちゃんは先住民?
そうチェロキー族の血を引いている
君は白い
差別主義者が言うような一滴規定が今もあるとするなら私もあなたと一緒
違うよ
 人差し指を突き立てたマデリンが違わないと言ってラスターの手を引いたマデリンは顔を近付け疲れているみたいだけど歩きましょう?
 二人は湖沿いの道をゆっくり歩いているマデリンは茶色い髪を撫でるように触った
ラスター家族は?
いるよ
そうじゃなくてどこの出身?
イングルウッド
どうしてニューヨークに来たの?
どうしてって言われても自分を試したかったっていうことじゃ駄目かな?
駄目じゃない立派だと思うわ
ぼく五人兄弟の末っ子なんだ兄さんたちとは仲が良いんだけれどどこか違う気がする変かな?
そこだけを聞いたら変わり者みたいに聞こえるけれど理由があるんでしょ? 理由もないのに違和感を覚えたりはしないもの言葉が見つからないそんな感じ
マデリンは?
普通よやりたいようにやればいいそれだけでも思う存分やりたいようにやるっていうのは大変ね
ダンサーの仕事はどう?
仕事の一歩前オーディションを受けて落ち続けている落ちるためにやっているんじゃないかって思うぐらいラスターは?
トラックを作っているんだ
トラック?
リズムトラック
よくわからないけれど作曲家?
そういう感じ
アート・スクールに通っているの?
そんなお金ないよコービーの事務所に寝泊まりして夜は掃除人正しく生きるって大変なんだって思う
そうね
 ラスターは風に揺られるカエデの葉を次にマデリンのしなやかな肢体を見た木漏れ日が彼女の髪の毛を照らしたラスターが言う
遠くに行きたいと思ったことってある?
遠くっていうのは距離のこと? それとも心?
距離たとえばインドに行きたいとか
魅力的だけどインドは遠慮しておくわ食あたりがひどいって聞くし
友だちがインドに住んでいるけれどそういうことは言っていなかったよ
そうなの? なら考えてみるでもその前に舞台に立ちたいわね私にとってインドぐらい遠くだから
ブロードウェイは近くて遠いミュージシャンのジョークなんだけどある老婦人がミュージシャンにカーネギーホールにはどうやって行くんですか?と尋ねたら、 〈練習しろっていう答えが返ってきたんだって
 マデリンが笑いイヤリングが揺れた二人は黙って歩いていたが居心地悪さはなく互いに会話の間に打たれた長い休符を楽しんでいた

 セントラルパーク・ウェストに着くとマデリンがまた会いましょうと言って二人は別れた

 地下鉄に乗りすっかり疲れ果てたラスターが事務所に戻るとクローフィッシュがソファに腰掛けながら本を読んでいた表紙のない古ぼけた本を見たラスターが高そうな本だねと言うとクローフィッシュはページをめくる手を止めた
通りに捨ててあったから拾ってきた
どういう本? 小説?
 クローフィッシュがラスターを見た疑っているような値踏みするような目つきだったクローフィッシュは小さくため息をつくと本を閉じ
大した本じゃない捨てられて当然だそれでも全部がダメなわけじゃない
厳しいね
 クローフィッシュは水を差されたような顔で本をソファの上に置くと立ち上がったラスターよりも背が高く毎日自転車を乗り回しているだけあって引き締まった身体つきをしていたラスターがコービーから君と組むように言われた
さっき聞いた
コービーは?
 クローフィッシュが下を指差しこの世で暇なのは多分おれとお前ぐらいだと言ったラスターは何と答えたらいいのかわからず首筋を撫でるとクローフィッシュが気のない態度で
よろしくなと言って手を出したラスターがクローフィッシュの手を握った


『ロクス・ソルス』という同人小説サークルで活動しています。それから、ジャズピアノの演奏活動をしています。気が向くと絵を描いたりします。
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