業務としてツールを活用したソーシャルメディアアカウント運営をやらねばならない時期に来ている。 どれだけいい仕事をしても知ってもらわねば何の意味もない。 他人の原稿を預かる以上はその責任もある。 出版とは言葉を世に在らしむことである。 世に在らしむるにはふたつの側面がある。 すなわちパッケージにする (閉じる/綴じる:可搬性のある独立した形態にまとめる) ことと、 存在を公に認知されることである。 前者は epub と POD で解決した。 後者が問題だ。 他者はコントロールできない。 向上心や努力ではどうにもならない。 下手にどうにかしようとすれば浅ましい暴力 (支配欲や対人操作欲求や承認欲求といった自己愛的なふるまい) となる。 ISBN を取得し Amazon に商品登録し国会図書館に納入すれば書誌情報の上では公に存在したことになる。 しかしそれだけでは本が在るとまではいえない。 だれもいない森で倒れる木の音は存在しない。 他人によって満たされんとする欲求は浅ましく邪だ。 それは必ず他者を思いのままにしようとする欲求へつながる。 それは暴力にほかならぬ。 ところが出版は世に在らしむるというその性質上どうしても邪にならざるを得ない。 ソーシャルメディアは人間のもっとも卑劣で不衛生な部分だけでできている。 健康に生きたければ関わらないに越したことはない。 が、 そこでうまく立ちまわることなしに出版は立ちゆかぬ。 機械的に運用するしか精神衛生を維持する手段はないのだけれど機械的にやろうとするとスパムと見なされ凍結される。 かといってわたしがわたしである以上、 相容れない能力が求められる場にはどうがんばっても適応できない。 あまりにハードルが高すぎる。 極端な話ソーシャルメディアでなくともなんらかのコミュニティ (ウェブでもリアルでもいい) に属してそこで認知されればいいのだけれど社会的能力の欠如からかなわない。 コントロールできない他人の意思が介在する場に適応しようとするからうまくいかないのであって自分でコミュニティをおこして運営することも考えたがそれも対人スキルやら人徳やらがないので不可能。 この十年ずっとこの堂々巡りだ。 妻トーヤに愛されたいのではなく愛される価値のある人間になりたいのだと語ったロバート・フリップの言葉にヒントがあるような気はしている。 認知されようとするのではなく認知される技術を身につける。 他人を意のままにしたがる自己愛者とまともな人間との差はそこにあるのかもしれない。 後者になりたいし、 そのためにも出版をうまくやれるようになりたい。 このままのだめな自分ではいたくない。
2021.
04.03Sat
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
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