これまでの執筆分を読み返すと 『GONZO』 がどうしてだれからも相手にされないのか理解に苦しむ。 年内には仕上げたいが月に 30 枚のペースではむりだろう。 書くものもウェブサイトも他人と較べてそう劣る水準とは思わない。 にもかかわらず貶められることはあってもだれからも評価されないのは自己宣伝の才覚がないからだ。 やってきた仕事に見合うだけの評価を得るにはモールに気に入られるかソーシャルメディアで支持者を得るかの二択で、 モールに気に入られるには商品そのものがモールに最適化されなければならない。 別な人間にはなれないので論外だ。 であればモール外のソーシャルメディアで自己宣伝するしか道はない。 その能力が致命的に欠落している。 父親は自己宣伝に長けた自己愛性の社会病質者だった。 そのような人間を憎んで人格形成した。 いまさら自己宣伝の権化にはなれないしなりたくもない。 しかしその適性を身につけなければ評価はされない。 自分自身であることを完全に消し去って大勢が交わる場へ積極的に首を突っ込み、 あたかも名刺交換のごとくに他人と交流して顔を売ることに徹する、 内容は伴わず自分をよく見せかける、 そういう才覚が最低限必要で、 本そのものはどうでもいいというのが海外の自主出版では常識だ。 もちろんこの国でもそうだろう。 あるいはこの国だからこそ資質と相容れない技能を身につけなければ今後はない。 業者を雇うことを検討した。 安くて月三万。 断念した。 十年以上もやってきてただひとりの支持者でさえ出逢えない、 だからせめて逆に自分がいいと思ったものは全力で支持しようと思ったのだけれどもそれすらうまくいかない。 寄稿者に魅力を感じてもらえる場には結局なれなかった。 二ヶ月も投稿がなく今後も見込めないので諸屋さんと成鵜さんのバナーと著者紹介をトップページから削除した (もちろん作品はひきつづき閲覧できる)。 ジョン・ボン・ジョヴィが 「自分の曲をかけてくれる最初の DJ を見つけろ」 と若者に助言する記事を読んだ。 世間に合わせて自分を変えるのではなくわかってくれる最初のひとりを見つけろという。 十年以上もやってきてそのたったひとりをいまだに見いだせない。 逆にいえばそのひとりにいまだ見いだされない。 この十年ずっとリサーチしときに試して痛い目に遭いながら、 さまざまな可能性を検討しているがソーシャルメディアはどうしても膚に合わない。 わたしという人間だけではなく書くものもソーシャルメディアと致命的に相性が悪い (ATP についてはきわめて個人的なマイクロブログと認識して運用しており他人の目に触れることは想定していない。 Fediverse に期待した時期もあったがそれもまた女児のアニメ風画像をアヴァターとする成人男性の世界だった)。 モールもソーシャルメディアも 「普通の人」 のためにある。 それが金になるからだ。 女児のアニメ風画像をアヴァターとする成人男性のような 「普通の人」 が手軽に消費できるものでなければ許されない。 「普通」 のアルゴリズムから疎外されたひとびとのために書いている。 手軽に消費なんてされないひとびとだ。 モールやソーシャルメディアに馴染めぬなら金で表示機会を買うしかない。 五年前から広告に金をちびちびと投じてきたけれども (総額は本を売って得られた収入より明らかに多い) やり方が悪かった。 そもそもが Kindle を利用するひとびとは、 少なくともこれまでは人権意識に偏りのある中高年男性だけだったし (Kindle 利用者かつ女性で絞り込むと表示先が極めて限られ、 この国がどのような社会であるかを思い知らされる。 そもそもモールのランキングや関連付けの表示を見れば明らかだ)、 彼らに読まれると毀損しかされない。 もっと別な層へ向けてプリントオンデマンドを売るべきだった。 自己宣伝の醜い殺伐とした世界で成功したいのかとみずからに問えば答えは否だし、 かといって現状を晴れやかに受け入れる気持にもなれない。 そもそも生きていること自体がまちがっている人間が何をやったところでだめだ。 ソーシャルメディアやモール、 というよりもインターネット、 というかそれ以前に人間の社会そのものに適性がないのだから、 どこへ行っても疎外され居場所を見いだせないのが当然だ。 それが毎度の結論で、 十年ものあいだこの思考サイクルをくり返している。 子どもの頃に作家になろうとした理由はほかに食べていく手段がないと思えたからで (被虐待経験者や発達障害者のロールモデルがほかになかった)、 現代の出版事業においてはだれよりも 「普通」 でなければ作家にはなれないことがわかったし、 書いたものを金に換えずとも生活できるようになったので別に読まれずとも構わぬ理屈だ。 であればあとはいかに自己満足できるか、 自己肯定感を少しでも向上させる生活ができればいいわけで、 そのために必要なのはどちらかといえば充分な睡眠と、 よい音楽やよい読書なのだろう。 書く必要もなくなったわけだがこれは病態の一部であり、 わたしがわたしである以上はどうにもならない。 病態で自分を肯定するのはむりな話であって、 むしろ貶める結果になるのは避けられないが、 そうであっても書くことはわたしであることと不可分なのでしょうがない。 書いて出版することで貶められながらも読むことで満たされるのを今後は目指すべきなのだろう。 よい音楽は Spotify で充足し、 あとは読む本さえあればいいがこれに窮している。 書いたものは世間から蔑まれ自分でも蔑んでいる。 世間に馴染めぬほど異常でなんの価値も生じぬほど凡庸な人間だ。 これまでの積み重ねが無価値ならそれよりつまらぬものはもっと価値がない。 ちょっといいかと思えても読みすすめると自分より低水準だとわかる。 何を読んでも価値を感じられずつまらない。 どれだけ世間の評価が高くとも明らかに自分のよりいいものしか楽しめず、 そしてそんなものには滅多に出くわさない。
2021.
03.22Mon
(1975年6月18日 - )著者、出版者。喜劇的かつダークな作風で知られる。2010年から活動。2013年日本電子出版協会(JEPA)主催のセミナーにて「注目の『セルフ パブリッシング狂』10人」に選ばれる。2016年、総勢20名以上の協力を得てブラッシュアップした『血と言葉』(旧題:『悪魔とドライヴ』)が話題となる。その後、筆名を改め現在に至る。代表作に『ぼっちの帝国』『GONZO』など。独立出版レーベル「人格OverDrive」主宰。
『D.I.Y.出版日誌』の次にはこれを読め!
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